『パトリス・ルコントのボレロ』

 今、映画監督で、『だれそれの~』という、監督名の入った邦題で映画が上映されるのは、パトリス・ルコントとウディ・アレンくらいでしょうか。これは、これら2人が監督名だけでお客さんが呼べる稀有な映画監督ということの証なのでしょう。俳優であれば、まだほかに何人か思い浮かべることができますが。
 パトリス・ルコントには「パトリス・ルコントの~」とつく映画が3本あり、『パトリス・ルコントのボレロ』はその先駆けになった作品です。



 映画は、オーケストラによる「ボレロ」の演奏で、ずっと同じリズムを刻みつづけなければならない打楽器奏者(ジャック・ヴィルレ)を1シーン1カットで撮影しています。カメラは、ただ、退屈そうにしていたり、他の奏者の音に驚いたりしている彼を8分間ずっと映し続けるだけ。

 この作品のやろうとしていることがわかれば、まあ、面白くないこともないのですが、コンセプトだけで十分という気がしないでもありません。だからなのでしょうが、この作品が紹介された時、「こんな(思いつきの)作品が撮れるのもパトリス・ルコントだからだよな」という意見も多く聞かれました。

 この作品を観てわかることの1つは、ルコントがクラシックの演奏会で途中で退屈してしまったらそういう風に自分で意識して楽しみ方を変えて退屈をしのいでいるんじゃないかということで、そういう発想からこの作品も生み出されたのではないかということです。同様にして、ルコントは、他のいろんな退屈(退屈な映画とか)もそういう風にして乗り切っているのではないでしょうか。

 こういう姿勢は、自分の映画制作にも無関係ではないはずで、ルコントは、そういう風に観客を退屈させることを嫌った脚本作り、映画撮影を心がけているのではないかと考えられます。
 これは、ルコント本来の気質という可能性もありますが、たとえば、喜劇集団スプランディドのメンバーとのつきあいの中から学び取った感覚なのかもしれない、とも考えらそうです。

画像

 ◆作品データ
 1992年/仏/8分1秒
 台詞なし/字幕なし
 実写映画

 *この作品は、『パリ空港の人々』とともに劇場公開されました。
 時折、短編映画のプログラムに組み込まれて、スクリーンで上映されたりもしています。

 *この作品は、日本ではビデオやDVDには収録されていないようです。

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 ◆監督について
 パトリス・ルコント
 1947年 パリ生まれ。

 映画監督になるためにIDHEC(フランスの高等映画学院)で学ぶが、卒業後、すぐに監督デビューすることはなく、しばらくは漫画家およびイラストレーターとして“Pilote”誌などで活躍する。
 最初の長編 “Les Vécés étaient fermés de l'interieur”(1976)は、自身の漫画作品を実写化したもの。
 1978年に、人気喜劇集団スプランディド(1974年に結成。メンバーは、ジェラール・ジュニョ、クリスチャン・クラヴィエ、ティエリー・レルミット、ミシェル・ブランら)の舞台を映画化した『レ・ブロンゼ/日焼けした連中』を発表。これがヒットし、その後も続けてスプランディドのメンバーと組んで映画を作る。

 ルコントが国際的に注目を浴びたのは、1989年に『仕立て屋の恋』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されてからで、『仕立て屋の恋』と、続いて発表された『髪結いの亭主』は日本のみならず世界的にヒットした。これをきっかけとして、後に、フランス以外の国でも旧作がまとめて紹介されることになった。

 『タンデム』『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』『リディキュール』『橋の上の娘』と5度セザール賞にノミネートされ、『リディキュール』で同賞の作品賞と監督賞を受賞。『髪結いの亭主』ではルイ・デリュック賞を受賞し、名実ともにフランスを代表する映画監督の1人となった。

 コメディーからアクション、サクペンス・タッチの作品まで、さまざまなタイプの作品を手がけるが、哀愁の感じられる人間ドラマを、ユーモアをまじえた暖かいタッチで描くことに定評がある。
 彼の作り出すドラマには、少々毒があり、どこか人生に対する皮肉が込められているという指摘もあるが、そうした物語世界の中で登場人物たちの行なう選択は、意外性をともないつつも、観る者に深い共感と感動を呼ぶことが多い。

 日本でも確実にヒットが期待できるフランス人監督の1人。

 ・1971年 “Le Laboratoire de l'angoisse”[短編]
 ・1969年 “L' Espace vital”[短編]
 ・1973年 『ハッピーファミリー』“La Famille heureuse (Famille Gazul)” [短編]
 ・1976年 “Les Vécés étaient fermés de l'interieur”(トイレは中から閉まっていた)
 ・1978年 『レ・ブロンゼ/日焼けした連中』
 ・1979年 『レ・ブロンゼ/スキーに行く(人間模様)』
 ・1980年 『恋の邪魔者』
 ・1981年 『夢見るシングルズ』
 ・1983年 『愛しのエレーヌ/ルルーとペリシエの事件簿』
 ・1984年 『スペシャリスト』
 ・1987年 『タンデム』
 ・1988年 “Sueurs froides”[TVシリーズ](“Toi, si je voulais”の回)
 ・1989年 『仕立て屋の恋』
 ・1990年 『髪結いの亭主』
 ・1991年 “Pour Alexandre Goldovitch, URSS”[短編]
 *“Contre l'Oubli”(忘却に対して)というタイトルのオムニバス映画の1編で、40人のフランスの映画監督が競作している。ルコントのほかには、パトリス・シェロー、シャンタル・アッカーマン、ジェーン・バーキン、ベルトラン・ブリエ、アラン・コルノー、コスタ・ガブラス、クレール・ドゥニ、ジャック・ドワイヨン、ジャン=リュック・ゴダール、 サラ・ムーン、ミシェル・ピコリ、アラン・レネ、コリーヌ・セロー、ベルトラン・タヴェルニエなど。
 ・1992年 『パトリス・ルコントのボレロ』[短編]
 ・1992年 『タンゴ』
 ・1994年 『イヴォンヌの香り』
 ・1995年 『リディキュール』
 ・1995年 『ラ・シオタ駅』 “La Ciotat 1996/Patrice Leconte”(『キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒』“Lumière and Company”)[短編]
 *世界初の映画撮影用カメラ“シネマトグラフ”を使って製作された、40名の映画監督によるオムニバス映画。参加監督は、ヴィム・ヴェンダース、ジャック・リヴェット、スパイク・リー、ジェームズ・アイヴォリー、ピーター・グリーナウェイ、アッバス・キアロスタミ、アーサー・ペン、テオ・アンゲロプロス、アンドレイ・コンチャロフスキー、吉田喜重ら。総監督がサラ・ムーン。
 ・1996年 『パトリス・ルコントの大喝采』
 ・1998年 『ハーフ・ア・チャンス』
 ・1999年 『サン・ピエールの生命』
 ・1999年 『橋の上の娘』
 ・2000年 『フェリックスとローラ』
 ・2002年 『列車に乗った男』
 ・2002年 『歓楽通り』
 ・2004年 『パトリス・ルコントのドゴラ』
 ・2004年 『親密すぎるうちあけ話』
 ・2006年 “Les Bronzés 3: amis pour la vie”
 ・2006年 “Mon meilleur ami”

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