映画よりも面白い 『嫌われ松子の一年』

画像 映画『嫌われ松子の一生』は、
 ①主人公・松子の堕ちっぷりが見事
 ②その松子を演じる中谷美紀の“ここまでやるか”感が凄い!
 ③宮藤官九郎、劇団ひとり、武田真治、荒川良々、伊勢谷友介等、松子をめぐる男たち&その他のキャストが豪華で、ゴージャス!
 などに関して評価しつつも、そして2006年を代表する映画の1本であることはまず間違いないと思いながらも、(私が)どこかでひっかかってしまうという印象を持ったのにはいくつか理由があるように思います。観ている間中、「凄い、凄い」と思いながらも、でも「何か違う」と(私には)感じられたわけですね。
 映画『嫌われ松子の一生』について何か書くとなると、その「何か違う」部分について書かなければならなくなる、つまり、何か書くにしてもきっとこの映画を貶すことになってしまうと思ったので、この映画については、自分の中に収めてもうそれでおしまいにするつもりでした(映画を貶すために神経を使い、労力を消耗することにあまり意義は感じないから)。

 それが変わったのは、先週号(6月15日号)の「週刊文春」の、小林信彦さんのコラム「本音を申せば」を読み、さらにそこから触発されて、中谷美紀さんが書いた『嫌われ松子の一年』を読むことになったからでした。
 小林信彦さんは、中島哲也監督の『下妻物語』に感嘆し、映画『嫌われ松子の一生』も観るのを楽しみにしていたらしいのですが、(ただし、そのために「足を踏み入れることは一生しないと誓っていた」六本木ヒルズに行くことには抵抗があった、ということはありつつも)事前に原作ではなく、『嫌われ松子の一年』を読んで、映画鑑賞に臨んだんだそうです。
 私も、映画『嫌われ松子の一生』に対する他の方の感想や映画評もいくつか読んでいて、この映画に関する私の意見は固まりつつあったのですが、――マルクス兄弟本などの昔から、小林信彦さんが映画の見巧者であると知っていましたから、彼がこの映画をどう見たかということに関して、興味はあったのですが――新作映画に対して、彼がそういう臨み方をしたことに対してちょっと意表をつかれたわけです。しかも、「中谷さんと監督のバトル」があったことなど、これを読むまで知りませんでしたし。私が感じた違和感の原因も、ひょっとしたらそこで見つけられるのかもしれない、と思ったりもしました。

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 ◆映画『嫌われ松子の一生』に関する最初の感想

 で、私も『嫌われ松子の一年』を読んでみたのですが、それを読んでどう感じたのか、について書く前に、それ以前の段階で、私がこの映画をどうとらえていたのをまとめておきたいと思います。

 ④『嫌われ松子の一生』は「平成版『西鶴一代女』(好色一代女)」なんだな、ということ。
どんどん身を落としていく女を描いた作品として、まず思い浮かべるのは、『西鶴一代女』で、これはその平成版(もしくは中島哲也版)なのではないかということです(『またの日の知華』なんていう映画もありましたが)。検索してみると、そのことに言及しているブログはかなりありますね。

 ⑤『嫌われ松子の一生』はまた「私が棄てた女」ものの映画のヴァリエーションである。
 <「私が棄てた女」ものの映画のヴァリエーション>とは、“自分が捨てた女が、その後みじめな運命をたどっていく、そして、ある時にその女のその後の人生を知り、自分に罪の意識を感じ、その女のことを切なく思い返す物語”のことで、例えば――
 『私が棄てた女』(69 監督:浦山桐郎 原作:遠藤周作『わたしが・棄てた・女』)
 『愛する』(97 監督:熊井啓 原作:同上)
 『サマーストーリー』(88 監督:ピアーズ・ハガード 原作:ジョン・ゴールズワージー『林檎の樹』)
 『復活』(01 監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ 原作:レオ・トルストイ『復活』)
 などの作品を思い出させます(もっともっといっぱいあるのですが、今パッと思い出せるのはこのくらいです)。

 ⑥1人の人物の死から、その人物がどういう人生をたどってきたかをある人物(多くの場合は刑事や探偵)が探る形で、彼(または彼女)の人生と彼(または彼女)が生きてきた時代を回想し、その数奇な人生に思いを馳せるというのは、ある種のミステリの典型的パターンである。

 ⑦中谷美紀さんは、今のところ本年度の主演女優賞候補のナンバーワンである。
 各映画賞の審査員は年配の方が多いので、そういう方がこの映画をどう評価するかはよくはわかりません(かなり騒々しい作品だと見なすと思う)が、中谷美紀さんを、本年度の主演女優賞候補とすることに関しては異論のないところだと思います。ライバルは、黒木和雄監督の遺作『紙屋悦子の青春』に主演した原田友世くらいかな、今のところ。

 そうは言っても、“松子の一生”が(私には)あまり切実に迫ってきませんでしたが、それは――

画像 ⑧ “堕ちていく松子の人生”が、それでも素晴らしいものだったという映画にするために、彼女の甥の視点で彼女の人生が語られていきますが、「松子の堕ちっぷりの見事さ」は伝わるものの、それがどう「それでも素晴らしいものだった」に結びつくのかはあまりよくわかりません。本当は彼女の人生をストレートに描いて、「人生っていろいろあるけど、なんて面白いんだろう」と思わせるべきなのに、この監督ではそれが手に余ったものだから、いろいろ策(例えば、ミュージカル仕立てにしたり)を弄して、誤魔化したのではないか、と感じられてしまいます。どうも、この映画は、監督の演出力の乏しさ、想像力の貧しさ、すなわち中身のなさを派手な外見で誤魔化しているような気がして仕方がありません(その証拠に、鑑賞後、ミュージカル・シーンの印象が薄れていくのは、他の部分に比べて、極めて早い)。
 ラストシーンで、本当はうちに帰りたかった松子が、死ぬことでようやくうちに帰ることができた、というのも、「本当の松子の人生」とは関係のない、物語の印象をいいものにして終わらせるためだけの都合のいいでっちあげだとしか思えません。

画像 ⑨この映画に関して、「最初は面白い、凄いと思ったけれど、やがて飽きてくる、退屈してくるが、それはずっと同じ調子が続くからだ」という感想をいくつか見かけましたが(というか、この映画に関する否定的な意見はほとんどこれ)、確かにその通りで、振り返って映画を反芻してみると、中谷美紀さんの演技も演じる年代とその時のメンタリティーによって丁寧に演じられ分けている、とは思えません。「松子=中谷美紀の見事な堕ちっぷり」とは、ひょっとして、中谷美紀による単なる「ヴァラエティーに富んだコスプレ」に過ぎないのではないか、という疑惑も湧いてきます(というかほとんど「確信」に近いのですが)。
 中谷美紀さんは、美人なのに「こんなこと」までするのか!と確かに驚いたのですが、それは表面的なことだし、やっぱりまだ「裸」になれていない。汚れ役をやってもまだお人形さんみたいというか、女優としてまだもう一歩踏み出せていないような気がしますね。「私の裸を見るためでもいいからこの映画(『さよならみどりちゃん』)を観て欲しい」と言った星野真理さんほどの根性も思い切りのよさもないと言いましょうか(尤もリアリティーとは違うものを追求した映画『嫌われ松子の一生』の世界にヌード・シーンがあったりするとそこだけやけに生々しくなってしまうかもしれませんが)。

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 ◆『嫌われ松子の一年』

 映画の攻略本や関連書籍などを買っても、その映画に対する興味や興奮が落ち着いていくとともに、どんどんそれらの価値も薄れていくので、あまりその場の勢いで買ったりしないようにしているのですが(『ダ・ヴィンチ・コード』からみの本とか)、この本はなかなか面白かった。「バトル・オブ・『嫌われ松子の一生』」というか、むしろ、映画『嫌われ松子の一生』よりも面白かったりもします。

 『嫌われ松子の一年』は、映画『嫌われ松子の一生』を中谷美紀さんの視点からとらえたある種のメイキング本なのですが、冒頭から中谷美紀さんと中島哲也監督の好みや考え方の違いが示され、それが中谷さんによって、ある時は皮肉っぽくユーモアにくるんで、ある時は辛辣に書かれていきます。最初は、とまどいもし、親しい仲であるがゆえの冗談なのかとも思ったのですが、どうやら冗談などではなく、本気でやりあっているらしいんですね。例えば、こんな具合(順不同)――

画像 原作の持つ胸を締め付けられるような重さから離れて、荒々しく躍動感に溢れる構成になったその原稿は、中島監督の筆のタッチと相まって、力強い仕上がりになっていた。随所に歌を唄うシーンが挟まれ、実在の芸能人を使ったギャグやコネタが頻出することで、悲劇を笑いに変える力を持っているものの、計算されたギャグやコネタが時折鼻につくのは否めない。父親を笑わせようと、事あるごとに変な顔をして見せるくだりなど、必要ないのではないかしら? 僭越ながら、「私の松子をどうしてくれるんだ」とまで思った(以下略)。

 この作品をミュージカル仕立てにすることにこだわっているようで、松子の人生をどう思うか、女性陣の感想をリサーチしているらしい。あまりにも悲惨すぎて笑えるというのが、監督の見解で、ディズニー映画のようにしたいとも言った。

 松子をファンタジーの世界で描くとしても、内面の真実に基づいて演じたい旨を伝えると、ただ地味なお芝居になってしまうのはつまらないとのことで、派手な演技を求められた。しかし、感情を無視して大袈裟な演技をすると、自分の中で白けてしまいそうで、監督の言う派手な演技というのを上手く消化できるかどうか自信がない。松子の置かれた背景を最大限にイメージして生まれてくる真実の感情を使って演じたいのだ。

画像 深呼吸をして、松子の辿った人生を思い出しながら、大事に丁寧に唄おうとすると、それをさえぎるように「芝居が地味!」と不機嫌な声で怒る監督。
 「あの、今自分の感情に忠実に演じてみたんですけれど、ウソでも誇張した方がいいってことですか?」
 と尋ねると、力任せに監督が言い放った。
 「あんたの感情なんてどうでもいいから松子の感情でやってよ!」
 その瞬間、心の中で今まで私をこの場に繋ぎ止めていた糸が静かに切れる音を聞いた。

 中谷「それにしても、監督のおっしゃることを全て実現するのは難しいですね」
 中島「君にとってはね」

 「じゃあ、この映画、泣けないですね。また泣いてるよ、くらい思われるかも。中島哲也監督の怒鳴り声みたいですね。ああ、また怒鳴ってるよ、みたいに」
 「すごい」我々のやりとりを見ていた久美役の市川実日子ちゃんが言う。

 数日の間に監督の全作品を観た上に、当日は『下妻物語』をもう一度くまなく見て、台本に16箇所も印をつけて携えた。お加減悪いんですか?と尋ねずにはいられなかったほど、死にそうな形相の監督は、自主映画の製作を手伝っているとのことで、ほとんど寝ていなかったらしい。

 中谷「昨夜はよく眠れましたか?何時間くらい寝たんですか?」
 中島「うんと……。何でそんなこと君にいちいち報告しなくちゃいけないんだよ。ほっといてくれよ」
 中谷「気になって仕方ないんですよ」
 中島「うるさい!あっちいけ…………………殺してやる」

画像 段取りよく進んで、あっという間に本番が始まりそうになったので、「あ、顔のテカリは……」メイクの光栄さんがあわててカメラマンに尋ねようとすると、「顔のテカリが何?」とイラついた声が聞こえてきた。雨で予定通り進まない撮影にかなりおむずかりのご様子で、「顔のテカリはどうかな?と思って」とやんわり応える光栄さんに「だから、顔のテカリがなんだって聞いてるんだよ。いいの悪いのどっち?」と詰問調の監督。「ああ、もういいです。大丈夫です」と引き下がる光栄さんにまだ食いつき足りないのか、「悪かったら俺が言うよ!」と怒鳴りあげる。たったこれだけのことで、大騒ぎになってしまって、光栄さんも気の毒だったけれど、監督のあまりのヒートアップぶりに可笑しくて仕方がなかった。

 天才監督の機知に富んだ演出は、私のような凡才が容易に越えられるレベルのハードルではなく、日記にでも書いて吐き出さなければ、現場に立っていられないほど辛く厳しい現場でもありました(以下略)。

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 これらから読み取れることは――

 ・どうも監督と中谷さんとは、最初から『嫌われ松子の一生』に対するイメージが違っていて、演技に対する考え方も2人の間では大きなギャップがあった。それを認めつつも、中谷さんはいったん引き受けたこの役を全うするために、できるだけ自分を監督のイメージに近づけようとした。

 ・中谷さんは、経験もあり、演技に対する自分なりの考え方もあったけれど、それを監督によって全面的に否定された。中谷さん自身、自分の演技や考え方に迷いがあって、この作品によって、一皮剥けたいと思っていた(のかもしれなかった)が、果たして監督の言っていることは作品にとってプラスになるのかどうか半信半疑にもなった。でも、監督と女優という関係上、監督の指示に従うほかなかった。

 ・実際のところ、監督の言っていることは(監督のイメージに照らし合わせて)すべて正しいわけでもなく、監督にも迷いや子供地味たところがあり、明らかに感情的になって暴言を吐いていることも多かった。中谷さんが親しく監督とコミュニケーションを取ろうとしたのに、監督はコミュニケーションを拒絶したことが多かった。

 ・監督は、主演女優の演技に対しては妥協しない、主演女優の感情や考え方を無視しても自分のしたいようにする、主演女優だけはいじめ抜いてもよい、それがこの映画のためになる、と予め決めていて、撮影現場に“神”として君臨した。

 ・中谷さんは、監督の指示に理不尽に思い、メンタル的にボロボロになりながらも、それをクールに見つめるもう1人の自分を持っていた。そして、それによって自分を冷静に保とうとした。しかし、それでもついに耐え切れなくなって、降板して損害賠償を引き受けてもいいと思い、一度は現場放棄までした……。

 どうも私がこの映画に感じた違和感の原因はここらへんにありそうで、間違った方向性を与えられた物語が、それなりのノウハウもあり、まとめ上げる能力を持った監督と、ある程度の要求については十分に応えられるだけの演技力を持つ女優によって、力技でねじ伏せられたのだ、と考えてよさそうです。

 私は、上でこの作品について「中身のなさを派手な外見で誤魔化している」と書きましたが、それは「間違った方向性を与えられた物語が力技でねじ伏せられた」と言い換えてもよさそうで、でも、しかし、それを跳ね返して、監督の期待以上の作品にする力もまた中谷さんにはなかった、と考えられます。と言っても、昨今の日本映画でこの作品を越えるものは少なく、この映画の中谷さんを越える演技や存在感を示すことのできる女優もまた少ないのですが……。

 この作品は2006年必見の1本ではありますが、たとえ評価されたとしても、それは、見かけの目新しさと、作品の持つ勢いと、中谷さんのある種の覚悟、からくるもので、それ以上でもそれ以下でもない、というのが私の感想です。

画像 意地の悪い言い方をしてしまえば、この作品によって(そして『力道山』への出演が合わせ技ともなって)、中谷さんはいくつかの女優賞を受賞するでしょうが、作品賞は他の作品に譲るはずで、それは別の監督がこの物語を別のアプローチで映画化したら獲れるかもしれなかったはずだったものだと私は考えます(例えば、『血と骨』の崔洋一監督だったら十分に作品賞を狙える作品になっていたのではないでしょうか。『血と骨』も1人の人物の数奇な人生をたどった物語であり、ハッピーエンドでもないのに、ケレンをつかうことなしに、凄まじい主人公の生きざまが衝撃と言い知れない感動を呼ぶ作品になっていました。そこでなら、中谷さんの「松子の置かれた背景を最大限にイメージして生まれてくる真実の感情を使って」の演技も生きてくると思えます)。
 中谷さんも(現時点でこんなことを書くのもなんですが)映画のヒットや賞の受賞などといった結果に満足することなく、この作品の中で感じた自分の中の違和感や、監督との齟齬をもう一度咀嚼して、もうワン・ランク上の演技や女優を目指してもらいたいと思います。これまで彼女は、実力以上の演技を引き出してくれる監督に出会っていないような気がします。これまで起用された作品では、優しげで可愛い女性としてお人形さん的な扱いが多かったというか。

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 ◆小林信彦さんの評価

 詳しくは、図書館などでオリジナルに当たってもらいたいと思いますが、「本音を申せば」での彼のこの作品に対する感想部分を抜粋するとこうなります――

画像 ・中谷美紀さんの映画は主演第一作の「BeRLin」から観ている。謎めいた美人という印象だったが、その後、どうも役柄の向きがわからなかった。
特徴が出たのはテレビドラマの「ケイゾク」で、面白いコメディエンヌだと思った。このドラマは役が面白いので、彼女はふざけたり、変な表情をするわけではない。むしろ、まじめに演じるほど、おかしく見えるというシチュエーションになっている。

 ・「嫌われ松子の一生」で感心するのは、日本映画では珍しく、ミュージカル・ナンバーで<寒くならない>ことである。

 ・中谷美紀はこの長い映画の<串>なのであるが、<黄金のハート>の松子という役で、初めて、演技者として大きく弾けたと思う。彼女抜きでこの映画は考えられないのである。

 ・では、この映画、成功作かというと、客席を見ればわかる。「下妻物語」のように人々は笑わない。あまりに人工的な画面、小ネタ(太宰治の原稿のコピー、など)――凝りに凝った映像の連続に、観客は息苦しくなってしまう。
中谷美紀の弟役の香川照之の言葉を借りれば、
<デザートのあとにもう一回ステーキが出てくるような映画なんですよ。>
ということになる。

 ・悲劇をミュージカルにするのはすれすれの綱渡りなのだ。

 「私は」と書くべきところで、「観客は」と書いて、はぐらかされたような気もしますが、要するに、日本で作られたミュージカル調の映画としては悪くない、中谷美紀は頑張っている、しかし映画自体はくどくてあまり楽しめない、というのが彼の感想でしょうか。これらの意見に対しては私も概ね賛同したいと思います。「ケイゾク」に関してのコメントは、裏を返せば、この映画のことを言っているとも受け取れますね。

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 ◆もう少しだけ、感想など

 ・この映画にミュージカル・シーンが必要だったかどうかはともかく、人を高揚させるものとしてミュージカルがあり、だからミュージカルはインド映画で多用されたりもするんですが、同じ理由でCMにもよく使われるわけで、そのことと、この映画の監督がCM出身であることとはちょっと考え合わせてみたくなります。

 ・この映画の豪華出演陣の中で、特に私の印象に残ったのは、沢村めぐみ役の黒沢あすかさん。塚本晋也監督の『六月の蛇』での演技が印象的な彼女ですが(にしても体がゴツすぎると私は思った)、こんな演技もできるのかとちょっと驚きました。

画像 ・劇場パンフの豪華さ。
薄くてペラペラでさしたる内容もないのに一人前の値段を取る劇場パンフも多いのですが、映画『嫌われ松子の一生』の劇場パンフは、監督・キャストへのインタビューから、音楽面・映像面・撮影面からのアプローチに、作品世界を楽しむための情報や遊びが満載、しかもオールカラーで、700円! 普通だとメイキング本用に取っておいて、物販でも儲けようとしたりするものですが、本作の劇場パンフにはそれがありません。内容の充実度は今年劇場公開された映画の劇場パンフとしては恐らくピカイチです!

 ・劇場パンフには、関連グッズの告知は載っていても、メイキング本『『嫌われ松子の一生』オフィシャル・ブック』や『嫌われ松子の一年』のことは載っていません。協力して作品をバックアップしなくていいの?と思ったりもしますが、まあ、それはそれとして、撮影期間中に、監督と中谷さんのバトルがあったことは劇場パンフではちょっと曖昧にぼかされています。

 ・『嫌われ松子の一年』には、女優・中谷美紀の日常の一部が書かれてあります。
心と体のバランスを保つために、ヨガと茶道をやり、添加物や農薬が使われた食品はできるだけ摂らない。スナック菓子を食べる習慣もない。時間があれば海外に出かけてリフレッシュしてくる。食べるものには気をつけているし、楽しみにもしている。心を落ち着かせるのに、例えば“Paris Texas”のサントラを聴く。モーパッサンの『女の一生』なども読んでいるし、パリでは毎週『ベニスに死す』が上映されていることを知っている(観てもいるらしい)。へえ~なるほど~って感心させられます。女優一般がこうなのか、中谷さんが特別なのかはよくわかりませんが。
 ちなみに、彼女の「脱ぐ脱がない」についての考えは、p112にあります。

 ・『嫌われ松子の一年』の目次
 はじめに
 プロローグ
 第一章 決戦前夜
 第二章 クランクイン
 第三章 監督との攻防戦
 第四章 多彩な共演者
 第五章 攻防戦激化
 第六章 大事件勃発!
 第七章 披露困憊
 第八章 あと4日!
 第九章 撮影終了
 エピローグ
 中島哲也監督 メッセージ

 ・『嫌われ松子の一年』では、彼女の迷いや気遣いも文章に表われていて、必ずしも真意が伝わらなかったりもしていると思うのですが、小林信彦さんも書いているように、彼女には文才があるようです。これまでにも「anan」に連載していたり、何冊か本も出されているようですね。ちょっと読んでみたくなりました。
 『ないものねだり』(マガジンハウス 2006年1月刊) *関連記事http://umikarahajimaru.at.webry.info/200607/article_10.html
 『光―中谷美紀』(ロッキング・オン 2003年10月刊)(写真集)
 『だぁれも知らない』(小学館文庫 2002年7月刊)
 『NAKATANI―中谷美紀写真集』(ロッキング・オン 2001年1月)(写真集)
 『アバウト・ア・ガール―中谷美紀写真集』(リトルモア 1996年6月刊)

 ・その他 まだまだこんなにある関連商品

 原作の続編『ゴールデンタイム―続・嫌われ松子の一生』(幻冬社 2006年5月刊)

 DVD「MUSIC FROM “MEMORIES OF MATSUKO” 嫌われ松子の音楽 メイキング・オブ・『嫌われ松子の一生』」

 サントラCD「嫌われ松子の歌たち」

 サントラCD「嫌われ松子の曲たち」

 関連CD BONNIE PINK「LOVE IS BUBBLE」

 *かなり長くなってしまったし、果たして丁寧に最後までこの記事を読んでくれる人がいるだろうかと思ったりもするのですが、もしそういう奇特な方がいらしたら、その足跡を残すためにも、人気ブログランキングにクリックをお願いします。
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