映画『神々と男たち』をもっと深く知るための6項目!

 ◆モデルとなった、実際のチビリヌの修道士たち

 モデルとなった修道士たちについて調べてみると、彼らの特徴や担当などがさりげなく映画の中で描写されていることがわかります。
 特に注目すべきは医師でもあったリュックで、映画の中のリュックは、マイケル・ロンズデールによって飄々としたキャラクターとして描かれていますが、それが実際にもそうであったかどうかはともかく、現実のリュックは、実に劇的な人生を送ってきていることがわかって、驚かされます。そういう劇的な人生を経てきたからこそ、一大事にも慌てずに、飄々としていられたのかもしれません。

画像

画像

 クリスチャン・ド・シェルジェ(Christian de Chergé)
 1937年生まれ。
 父は軍人で、幼い頃は、父の関係で、独立前のアルジェリアで過ごす。
 1964年にパリで叙階を受けて、司祭となる。1971年にチビリヌに着任し、1984年より修道院長となる。
 アラビア語とラテン語とギリシャ語とヘブライ語ができ、アラブ文化やイスラム学にも通じていた。
 彼は、日々の思いや修道院での瞑想を日記のような形で書き残している。

画像

 リュック・ドーシェ(Luc Dochier)
 1914年生まれ。
 医師の資格を取り、その後、1941年に修道院に入った。
 第二次世界大戦中、ボランティアの医師として向かったドイツで捕虜となる。
 1945年に解放され、1946年にはチビリヌにいた。
 1959年に、民族解放戦線(FLN)によって、イタリア人修道士とともに追い立てられるが、彼がとても人気のある外科医であることがわかって、解放された。
 彼は、宗教や政治的信条に関わらず、誰でも平等に診察した。
 彼によって助けられた孤児や娘たちも多いという。
 調理も手がけた。

画像

 ミシェル・フルーリー (Michel Fleury)
 1944年生まれ。
 最初は、プラド修道会のメンバーで、マイセイユで、10年間、人夫や港湾労働者として働いた。1980年にベルフォンテーヌ修道院に入り、1984年にチビリヌにやってきた。

画像

 クリストフ・ルブルトン (Christophe Lebreton)
 1950年生まれ。
 1972年から74年までアルジェリアの障害児センターで働く。その時にチビリヌの修道院のことを知る。
 1974年にタミエ修道院に入り、1976年にチビリヌにやってくる。翌年、タミエに戻り、1987年に再びチビリヌに戻ってきた。
 詩作に長け、村人とも良好な関係を築いていた。
 修道院では、畑仕事を担当した。

画像

 セレスタン・ランギール (Célestin Ringeard)
 1933年生まれ。
 アルジェリアで軍務についていたことがある。
 1960年にナントの司教区で司祭になり、通りに立って、アウトサイダー、売春婦、アルコール中毒者などに、指導を行なった。
 1983年にベルフォンテーヌ修道院に入り、1987年にチビリヌにやってきた。
 オルガン奏者であり、聖歌隊では先唱者を担う。
 1993年に武装イスラム集団を乱入を受けた後、心臓の手術を受けている。
 ※映画の中で、アリ・ファティヤらの乱入を受けた後、セレスタンがケアを受けている様子が映し出されているのは、おそらく彼が心臓病を患っていたということを示したかったからなのだろうと思われます。

画像

 ポール・ファーヴル=ミヴィーユ (Paul Favre-Miville)
 1939年に鍛冶屋の息子として生まれる。
 彼は、1961年までは落下傘兵で、その後、故郷で消防士になり、配管工に転じた。1984年にタミエ修道院に入り、1989年にチビリヌにやってきた。
 チビリヌの畑の灌漑システムは彼の手による。

画像

 ブリュノ・ルマルシャン (Bruno Lemarchand)
 1930年生まれ。
 父の仕事の都合で、子供時代を、ベトナムとアルジェリアで過ごす。
 1956年に教区司祭となる。
 1956年から80年までは、学校でフランス語を教えている。
 1981年にベルフォンテーヌ修道院に入り、1989年にチビリヌにやってきた。その後、1990年にモロッコのフェズにある別院に移る。
 映画でも示されているように、誘拐のあった前日、1996年3月26日に彼はチビリヌにやってきているが、それは、頼まれていたものを届けるためとか連絡係を任されたからとかではなく、ちょうど修道院長の選挙が行なわれる予定だったためで、モロッコに移ってから初めての“帰郷”であった。

画像

 アメデ・ノト (Amédée Noto)
 1920年アルジェ生まれ。
 シトー会に入り、厳律シトー会に移った。
 1946年にチビリヌにやってきて、1952年に叙階を受けて司祭になった。
 地元の子供たちに勉強を教えていて、村人からは「シーク(長老)・アメデ」と呼ばれて親しまれた。
 事件後、モロッコに移り、2008年7月27日にモロッコのミデルで亡くなった。

画像

 ジャン=ピエール・シュマシェ (Jean-Pierre Schumacher)
 1924年2月14日に、カトリックの労働者階級の家に6人兄弟の1人として生まれた。
 18歳の時にドイツ軍に徴兵されて、逃げようとしてロシア戦線に送られた。
 その後、敬虔なマリスト会の信者となり、1953年に叙階されて司祭になった。
 1957年にティマドゥーク修道院に入り、アルジェの司教の求めに応じて、他の3人の修道士とともにチビリヌにきた。
 修道院ではしばしば買い物係を担当した。
 事件の後、モロッコの修道院に移った。

画像

--------------------------------

 ◆『神々と男たち』に使用されている聖歌

 実際の聖歌がどのようにチョイスされているのかはわかりませんが、映画の中では物語のシチュエーションや修道士たちの心情に合うようなチョイスがなされていることがわかります。(聖歌には、「詩篇」をテキストとした「典礼聖歌集」といった聖歌集があり、典礼にはそこから採用されることも多いが、様々な宗教家が作詞した「聖歌」もたくさんあり、そうしたものもごく普通に歌われるそうです。)

 ここではできるだけ日本語字幕を尊重して訳を書き出していますが、全く同じになっているかどうかまでは確かめられていません。

 各タイトルで検索すれば、オリジナルの歌詞にとどりつくことができます(もちろんフランス語ですが)。
 よく知られた聖歌として定番の「日本語訳」があるものもありますが、その「日本語訳」も必ずしも逐語訳的な訳ではないようです。

 ちなみに、カトリック教会や聖公会で歌われるものを「聖歌」といい、プロテスタント教会のそれは「賛美歌」(「讃美歌」)と呼ぶそうです。

 ・“SEIGNEUR, OUVRE MES LÈVRES”(主よ、私の唇を開いてください)
 詩篇51:15
 冒頭の朝の典礼で朗誦される聖歌。
 サントラCD 2曲目に収録。

 神よ 私の口を開いて下さい
 私はあなたに賛美を捧げます

 ・“PUISQU’IL EST AVEC NOUS”(我らと共にあるのだから)
 クロアチア人殺し事件のあった後のミサで朗誦される。
 サントラCD 3曲目に収録。

 暴力の時にも主は
 私たちと共にあるから
 いたる所に主を
 夢見るのはやめよう
 私たちが死ぬ所の他には
 急いで行こう
 忍耐をあの御方へ向けよう
 苦しむ御方の元へ行こう
 十字架の上で
 印を示された主の元へ
 復活の日の暁のように
 私たちと共にあるから
 あの御方を見失うことはない
 流れ落ちる血と
 パンを分かち合おう
 めぐり来る聖杯から飲もう
 自ら犠牲となった
 あの御方を迎えよう
 最後の時まで
 私たちを愛したあの御方を

 ・“VOICI LA NUIT”(今ぞ その夜)
 クリスマスの前にセレスタンがチャペルに新しいロウソクをセットしていく時に一人で口ずさむ。
 また、ファヤティヤらの乱入後のクリスマスのミサでも朗誦される。
 サントラCD 11曲目に収録。

 今ぞ その夜
 始まりの無辺の夜
 愛のほかに在るものはない
 生まれ来る愛のほかには
 砂と水を分かち
 神は大地を創られた
 御子を揺りかごとして
 今ぞ その夜
 パレスチナの平和な夜
 御子のほかに在るものはない
 神の御子のほかには
 私たちと同じ肉を取りて
 神はすべての砂漠を
 とこしえの
 春の大地になされた
 今ぞ その夜
 私たちが歩き続ける長い夜
 この場所のほか どこにもない
 希望が打ち砕かれた
 この場所のほかには
 私たちの家々に立ち止まり
 神は大地をご準備なされた
 天の炎が放たれる茂みとして

 ・“NOUS NE SAVONS PAS TON MYSTÉRE”(私たちは主の神秘を知らない)
 帰国派・残留派・慎重派に分かれた後、クリスチャンが独り森や野を歩いて、もの思いに耽るシーンのバックに流される。
 サントラCD 6曲目に収録。

 私たちは主の神秘を知らない
 限りなき愛を
 しかし 主は御心をもって
 道に迷った子らを探される
 そして 御胸に抱かれる
 この厄介な子を
 限りある人の世で
 私たちは主の御顔を見ない
 限りなき愛を
 しかし 主は御目をもって
 虐げられた人々の
 ために涙を流される
 そして私たちの上に
 光あふれる
 眼差しを投げられる
 赦しに満ちた眼差しを

 ・“CANTIQUE DE SIMÉON(SAUVE NOUS SEIGNEUR)”(シメオンの聖歌(主よ、私たちをお守りください)
 修道士のそれぞれがテロへの恐怖に怯えつつ、帰国か残留かで悩み、クリスチャンが「遺書」を認めた後の典礼で朗誦される。
 サントラCD 10曲目に収録。

 栄光は父と子と聖霊に
 初めのように
 今も いつも世々に
 アーメン
 起きている時には
 主よ 私たちをお導き下さい
 寝ている時には
 主よ 私たちをお守り下さい
 起きている時には
 キリストと共に心を配り
 平和に憩うことが
 できますように

 ・“PSAUME 142(COMMEUN TERRE ASSOIFFÉE)”(詩篇142(乾ききった土のように))
 クリストフがクリスチャンに苦しい胸のうちを告白した後の典礼で朗誦される。
 サントラCD 4曲目に収録。

 乾ききった土のように
 私の魂は主を慕います
 乾ききった土のように
 私の魂は主を慕います
 主よ 私の祈りを聞き
 あなたの真実と正義をもって
 私にお答え下さい
 あなたの しもべを
 裁かないで下さい
 人は誰も御前に義と
 認められないからです
 敵は私の魂を追い詰め
 私の命を地に打ち砕き
 死んで時を経た者のように
 私を暗い所に住まわせました
 それゆえ
 私の霊は私のうちで衰え
 私の心は私のうちで
 荒れさびています
 主よ 早く私に答えて下さい
 私の霊は滅びてしまいます
 私に御顔を隠さないで下さい
 私が穴に降りる者と
 等しくならないため

 ・“Ô PÉRE DES LUMIÈRES”(光の父よ)
 修道院の上空をヘリが旋回している時に、修道士たちが肩を寄せ合って朗誦する。
 サントラCD 13曲目に収録。

 父よ 光の父
 とこしえの光
 あらゆる光の源
 主は神々しい
 御顔の輝きによって
 夜の入口で
 私たちを照らす
 主において 闇は
 闇ではなく
 主において 夜は
 昼のごとく明るい
 願わくば主の御前で祈る
 私たちの祈りが
 香が立ち昇るように
 高く昇りますよう
 私たちの手が夕べの
 供物でありますよう

--------------------------------

 ◆「修道院」について

 清貧・貞潔・服従といった修道誓願を行なって、イエス・キリストの精神に則った、禁欲的な修道生活を送る者を修道士と言い、彼らが、世俗生活を離れ、祈りと労働のうちに共同生活を送るための施設を修道院という。

 修道院は、内部の交流を図り、外部からの敵の侵入を防ぐために、外壁を設け、その内側に、チャペル、集会所、食堂、共同寝室、作業所などを作り、自給自足を図っている。

 [修道士と聖職者]
 カトリック教会には聖職者を「神父」と呼ぶ言い方があるが、カトリックの修道士のすべてが「神父」なのではない。「神父」とは、一般的に、聖職者である「司祭」に対する敬称であり、修道士は自体は、身分としては、聖職者ではなく、一般信徒である。だから、修道士も、秘蹟(洗礼、聖体、婚姻の秘蹟、叙階、堅信、ゆるしの秘蹟あるいは「告解」、病者の塗油)にあずかるためには、最寄の教会に通う必要があった。しかし、修道院は、人里離れたところに設けられることが多く、修道院から教会に通うことは現実問題として難しい。そこで、修道士の中で、叙階を受けて聖職位階(司教、司祭、助祭など)につく者が出てくることになる。叙階を受けて聖職者となった修道士を「修道司祭」もしくは「司祭会員」と言い、叙階を受けていない「修道士会員」や、修道士ではない司祭「教区司祭」とは区別する。
 修道院長も、もともとは聖職者である必要はなく、したがってかつては司教の権威の下にあったが、時代を経て、司教から独立し、教皇のみに服従するようになった。
 かつて修道院長は、修道士たちにとっての絶対的な権威であったが、現在は、精神的な指導者であり、共同体のリーダーというにとどまっている。聖職者である「修道司祭」に関しても、以前は、「修道士会員」より身分が高いと見なされていたが、現在ではそのような区別はなくなっている。
 チビリヌの9人の修道士のうち、叙階を受けているのは、クリスチャン、セレスタン、ブリュノ、アメデ、ジャン=ピエール、クリストフの6人である。

 [シトー修道会]
 1098年、フランスのシトーに設立されたシトー修道院を発祥とするカトリック修道会で、「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守ることを旨とする。
 「聖ベネディクトの戒律」とは、529年にカトリック教会最古の修道会ベネディクト会を創建したヌルシアのベネディクトゥスが、生活の規範として書き残したもので、修道士のあるべき態度、典礼に関する注意事項、生活の指針等が細かく定められていて、多くの修道会の会則のモデルとなっている。
 シトー修道会の特徴としては、規律によらない衣食の禁止、所有の禁止、絶対的な共同生活、手仕事による労働、などが挙げられる。僧衣は、染料を用いない白い修道服を着用する。
 本作に登場する修道士は、厳律シトー会(トラピスト修道会)に属する修道士で、厳律シトー会とは、1662年のフランスのラ・トラップ修道院におけるド・ランセによる改革を起源とし、シトー会の生活様式に厳格さを加えたものである。この改革は、もともとは修道院内部での改革で、いくつかの修道院に採用されたに過ぎなかったが、1892年の総会で、シトー会から独立した修道会となり、1894年に教皇から認可された。厳律シトー会の特徴としては、厳重な沈黙、完全な共同生活、菜食(のちに乳類も採用される)などが挙げられる。

 [修道院生活]
 シトー会/トラピスト会の生活は、聖書に基づき、聖ベネディクト会の戒律に従って営まれる。聖ベネディクト会の戒律は、修道士たちの典礼にも伝統的な形式をもたらす。

 「聖務日課」は、1日に7回、「詩篇」に基づいた修道士たちの典礼で、チャペルで行なわれる。聖歌は、典礼の重要な部分を占め、シトー会の生活にリズムを作り出す。声に出して歌うことで、「生命の息吹」(Breath of Life)に触れることができ、斉唱することで、彼らはともに精神世界に入り込むことができる。

 シトー会士は、1日のほとんどの時間を黙して過ごすが、それはそうするように定められているからでもある。また、彼らの生活は、修道院長(大修道院長もしくは小修道院長)の指導に従って進められる。重要な決定は修道院総会で行なわれる。

 シトー会/トラピスト会士に、伝道の義務はなく、改宗からも免れている。

 聖ベネディクト会の戒律では、修道士には、奉仕と共有の実践(特に貧しきものや異国人、傷病者に対して)が求められている。体を使って働き、近隣の住民と農作業を通して、関係性を深めることも定められている。

 修道士たちは、農耕をはじめとする手仕事に従事して、必要なものを生産するほか、余剰のものは町に出て販売したりもする。

 修道士は、自然の中で黙想することを好むため、修道院は、たいていは人里離れた地に建てられていることが多い。トラピスト会士は、1ヶ月に一度自然の中を歩き、黙想する。

 今日、厳律シトー会は、修道院が96と女子修道院が66あり、そこに約2600人の修道士と約1900人の修道女が暮らしている。
 日本には、北海道に当別修道院(灯台の聖母トラピスト大修道院)、大分に大分トラピスト修道院(お告げの聖母修道院)があり、女子修道院として、函館の女子トラビスチヌ修道院のほか、兵庫県西宮市、栃木県那須市、佐賀県伊万里市、大分県宇佐市の4ヵ所に設けられている。

 現代では、修道士も、隠遁生活ではなく、時代の求めに応じて、積極的に外の世界に出て行くことが多く、修道院も一般の建物と変わらないものも多い。

 ※参考:フリー百科事典Wikipediaの「修道士」「修道院」「叙階」「司祭」「シトー会」「ベネディクト会」「厳律シトー会」「詩篇」「聖餐」の項目、『ブリタニア国際大百科事典』の「修道院」「シトー会」「トラピスト修道会」の項目。

--------------------------------

 ◆アルジェリア内戦について

 1989年、アルジェリアでは、経済状況の悪化や食糧難など、国民の不満を解消するために、1962年の独立以来、社会主義政策を推し進めていた民族解放戦線(FLN)の一党体制から、複数政党制に移行する。
 その結果、1990年6月に行われた地方選挙では、イスラム原理主義者によるイスラム救国戦線(FIS)が50%以上の票を得て勝利し、続いて、1991年12月の総選挙でも、FISは圧勝する。勢いづいたFISは、フランスの影響を大きく受けて、世俗化したアルジェリアを改めるべく、憲法を廃し、イスラム法による徹底した統治を進める。
 こうした急激で極端な政策は、激しい反発と混乱を呼び、軍部の介入を招いた。
 1992年1月、クーデターにより国家最高委員会議長に就任したブーディヤーフは、ヨーロッパ諸国の支持に力を得て、選挙結果を無効とし、FISの非合法化を断行。
 一方、イスラム原理主義者たちは、こうした弾圧に武力で対抗して、6月29日にはブーディヤーフを暗殺。10月には武装イスラム集団(GIA:Le Groupe Islamique Armé)を結成して、テロ活動を展開した。以後、政府軍とイスラム原理主義者勢力の対立によるアルジェリア内戦は激しさを増していく。本作で扱われている事件が起こったのは、こうした状況下であった。
 1999年4月、FLNと軍部の支持を得て、文民として34年ぶりにアブデルアジズ・ブーテフリカが大統領に当選。彼は、「平和と国民和解のための憲章」に対して国民投票を行ない(2005年)、一部の過激派以外で、武装解除に応じ、法を遵守すると誓ったGIAメンバーに対して、恩赦を発令するなど、内戦の沈静化を図った。
 10年以上におよぶアルジェリア内戦の犠牲者は、10万人以上、一説によると20万人以上とも言われる。

 ※参考:フリー百科事典Wikipediaの「アルジェリアの歴史」の日本語版および英語版。

--------------------------------

 ◆武装イスラム集団(GIA)について

 1991年のアルジェリアの総選挙で、イスラム救国戦線(FIS)が勝利したのにも拘わらず、軍部がクーデターを起こし、選挙結果を無効として、FISを弾圧した結果、誕生したアルジェリアのイスラム原理主義の武装組織で、アルジェリアにイスラム国家を建設することを目的とする。略称は、GIA(Groupe Islamique Armé)。

 1992年以降、アルジェリア国内で激しいテロ活動を行ない、政府軍との内戦を引き起こした。
 ターゲットとしては、民間人やジャーナリスト、外国人で、1993年9月には在留外国人に対するテロ攻撃を表明し、100人以上の外国人を殺害した。
 本作で描かれるような喉を切り裂いて殺す残虐なやり方は、アフガニスタン紛争に参加したアルジェリア民兵が広めたものと言われる。
 特に1997年から1998年にかけては残虐さを極め、アルジェリア北部の村で皆殺しを行ない、いくつもの村を壊滅させている。
 あまりにも残虐であり、また、内戦の終息にともなって、組織は内部崩壊し、一部は海外に逃亡した。
 アルカイーダとのつながりも指摘されている。

--------------------------------

 ◆トリビア

 ・修道士たちが招かれる地元のイスラム教徒たちの集まりは、ヌルディンの息子ジャマルの割礼祭(khtana)。

 ・本作では修道士たちの私服姿もたびたび映し出されるが、宗教儀式以外では修道士も私服が普通で、むしろイスラム社会を刺激しないために、外出時は私服のことが多い。

 ・修道士たちと地元民が共同で畑仕事をしたりしているシーンがあるが、あれは「修道院と地元民の共同畑のようなものだから」ではなく、「修道士が地元民に畑仕事で奉仕している」のでもなくて、修道院の畑仕事を地元民に手伝ってもらっているということらしい。しかも、修道院から地元民に労働対価も払っているらしい。

 ・診療所の入り口に書かれていた看板(MEDICINE)の文面は「土・日を除く毎日、8:00~11:30と15:30~17:30」(フランス語とアラビア語で)。

 ・修道院の正式の名前は、「チビリヌの修道院」ではなく、「Abbaye Notre-Dame de l’Atlas(アトラスのノートル・ダム大修道院)」。Tibehirine(チビリヌ)とは、ベルベル語で「菜園」の意味。

 ・クリスマス・イブに修道院を襲ったイスラム武装集団のボスは、サヤット・アッティヤ。映画の中では、アリ・ファヤティアとされていて、なぜだか彼だけ名前が変えてある。

 ・クライマックスで流れるチャイコフスキーの「白鳥の湖」は、ニューヨーク映画祭2010でのグザヴィエ・ボーヴォワのインタビューによれば、彼の単なる思いつきらしい。
 “I thought, this might not be very interesting because they’ve been singing throughout the film and also because these are non-professional singers it might not be that interesting. Then I hit on the idea of listening to music instead, and I was listening to a lot of music through my headphones, and I came upon this excerpt from Tchaikovsky’s Swan Lake and I suddenly had this idea in my head.”

 ・ラストシーンは、3月~5月のはずで、そんな時期に雪が降るだろうかとも思うが、実際に修道院があった場所は、標高が1000mくらいあり、5月はともかく、3月くらいであれば降雪は珍しくないらしい。ただし、実際の撮影は2009年12月から2月にかけてモロッコで行なわれ、ロケ中に降った雪を撮影に生かしたのだという。

 ・修道士たちの席次
 2回行なわれる議論の席と食事の席ではそれぞれの席の位置が違っています。
 2回ある議論時の席次:-リュック-セレスタン-クリストフ-ミシェル-クリスチャン-ポール-ジャン=ピエール-アメデ-
 食事(最後の晩餐)の席次:セレスタン-ブリュノ-ミシェル-リュック-クリスチャン-クリストフ-ジャン=ピエール-アメデ-ポール
 ひょっとすると特に意味はないのかもしれませんが、①議論が四角いテーブルを囲んで行なわれ、食事がコの字型の席で行なわれること、および、②議論の時に、セレスタンとクリストフとポールが退去派で、リュックとミシェルとジャン=ピエールが残留派、クリスチャンとアメデが慎重派という風に分かれるので、それがバランスよく見えるようにということ、と関係があるかもしれません。

 ・クリスチャン修道院長の「遺書」(フランス語版):http://users.skynet.be/bs775533/script/contemp/Atlas/testa-ita.htm

 ・チビリヌの修道院の公式ホームページ!:http://www.notredameatlas.com/
 映画で見てわかるように、この修道院には電気が通じているのはもちろんのこと、インターネット回線も引かれていたようです。(ただし現在は不通)

 ・修道院の中には、チャペル、共同寝室のほか、写本室、食堂、会議室、門番室、守衛室、さらにはイスラム教の礼拝室もある。

 ・雑誌「ふらんす」2011年3月号には、本作のシナリオの一部が中条志穂さんの対訳つきで掲載されています。

 ・キャロリーヌ・シャンプティエ 全フィルモグラフィー
 当ブログ記事:http://umikarahajimaru.at.webry.info/201103/article_14.html

--------------------------------

 ◆チビリヌの修道院

画像

 画面中央の奥に伸びる棟が共同寝室で、正面から左に伸びる棟にチャペルがある。

画像

 チャペルのある棟の左側に別棟として建てられている客室(を塀側から見た風景)。客室の左サイドを通って進むと、マリア像があり、さらにその奥に行くとチャペルがある。
 画面手前、撮影している側に診療所(とその入り口)がある。

画像

 マリア像とチャペルの入り口。

画像

画像

 誘拐され、殺害された7人の修道士の墓。

画像

 チビリヌの風景。

--------------------------------

 ◆ポスター・ギャラリー(オリジナル版&その各国バージョン以外のもの)

画像
画像
画像
画像

画像

--------------------------------

 調べだすとキリがありませんが、文字数が上限に達したので、今回はここまでとしたいと思います。

 *この記事がなかなかよかった!と思ったら、人気ブログランキングにクリックをお願いします。
 ↓ ↓ ↓ ↓
 
 ↑ ↑ ↑ ↑
 クリックしてね!

 *主な参考サイト
 ・フランス版プレスキット:http://www.ambafrance-fj.org/IMG/pdf/033400.pdf
 ・アメリカ版プレスキット:http://www.artificial-eye.com/database/cinema/ofgodsandmen//pdf/pressbook.pdf
 ・Abbaye Notre-Dame de l'Atlasに関するWikipedia(仏語):http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_Notre-Dame_de_l%27Atlas
 ・Assassinat des moines de Tibhirineに関するWikipedia(仏語):http://fr.wikipedia.org/wiki/Assassinat_des_moines_de_Tibhirine
 ・Find A Grave:http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gsr&GScid=2380636
 ・ニューヨーク映画祭2010 グザヴィエ・ボーヴォワ インタビュー:http://labuzamovies.blogspot.com/2010/09/nyff-interview-xavier-beauvois-of-gods.html
 ・frickriver.com:http://flickriver.com/photos/tags/tibhirine/interesting/

この記事へのコメント

しま子
2011年04月14日 04:25
はじめまして。
検索してたどりつきました。
昨日、この映画をみてとても素晴らしくて、もう1回観にいこうかと思っているのですが
この記事を読んでより深く理解できそうです。
ありがとうございました!!
2011年05月04日 13:06
Me too! Thanks so much for this information. 昨日映画館へ脚を運ぶ前に 聖歌などをPick-up しまして同伴する友人達にも手渡しました。< Catholica で本当に良かった~~>って・・恐縮ですが、全員清められた心を共にしまして、涙致しました。 聖心にかなう者になることの痛く、切ない想いが、白鳥の湖のsound で 歓びと感動の涙に変わりました。 クリスチャンの独白を日本語で是非読み取りたいと・・・願っております。ありがとうござうました!
umikarahajimaru
2011年05月04日 18:41
しま子さま、grancheryさま
私の書いた記事がお役に立てたなら喜ばしい限りです。
miharu
2011年05月06日 21:26
本日この映画を観ました。
クリスチャンの独白のところでは涙 涙
この記事を読んだ後
もう一度映画館に足を運ぼうと思いました
ありがとうございました

まるた
2011年05月30日 10:54
ぜひ見てみたいと思いました。遺書を日本語に訳してくださると、映画では、覗うことができない気持を読み取ることが出来ると思います。
T.Tom
2011年05月30日 14:37
「神々と男たち」について、これほど深く、広く、解り易い解説はないと思いました。
でも、どうしても気になることが一つだけあります。
国内のリーフレットに掲載されている(7人の修道士の最後の晩餐の)場面ですが、どこかで見たことがあります。
よく似た構図の油絵ですが、画家とタイトルをご存知でしたら教えてください。
よろしくお願い致します。
umikarahajimaru
2011年05月31日 01:12
まるたさま
映画をご覧になっていないようであれば、まず映画を観て、劇場パンフをお求めください。
umikarahajimaru
2011年05月31日 01:15
T.Tomさま
残念ながら宗教画には詳しくありません。ご専門の方にお問い合わせください。
2012年01月03日 10:13
暮れにDVDを見たばかりで感動冷め切れないうちに、このブログに会えたことも奇跡です。
本当にありがとうございました。新たな感動に襲われています。
umikarahajimaru
2012年01月06日 21:32
Madame Pasqualさま
コメントありがとうございます。
ブログ拝見させていただきました。
大学の先生をされているんですね。
直接、英語の情報にアクセスできる方に気に入ってもらえて恐縮です。
よかったら他の記事も見てみてくださいって言いたいところですが、英語が堪能な方であってみれば、それほど有用でもないという感じでしょうか(笑)
ま、お暇があれば、是非見てみてください。
sc928
2012年03月31日 16:53
この映画を見たいと思っていてDVDが出たので見ました。
いなかに住んでいるのでこういう映画は地元では上映してくれないものですから。
淡々と進む映像、また映画のバックグランドをあまり知らない、ということもあり
難しく感じましたが、見てよかったです。
またこれは当時の状況を知らないとダメだと思って
検索してここに来ました。
大変参考になりました。

2012年05月30日 20:13
感動そのものです。世の中にまだこのような一途に崇高な生き方を求める凄い男たちがいる。そして一途にテロ行為に向かう男たちも。
殺された7人の遺体のうち胴体は未だに行方不明で、頭だけが残っていたそうです。残虐きわまりないだけに、あの修道者たちの崇高さがきわだちます。
2012年09月21日 06:53
このブログの詳しい調査にはびっくり!いろいろ映画に関するブログを観ましたが、こんなに調査しているブログは初めてです。脱帽。これからもちょくちょくお邪魔させていただきます。
umikarahajimaru
2012年09月21日 21:22
いちごさま
コメントありがとうございました。
貴方さまのブログも拝見させていただきましたが、大変ですね、歯ごたえのある映画ばかり取り上げていらっしゃる。しかも、作品の背景まで深く踏み込んで。
私は楽しみながらやってるからいいんですが、あのペース、あの濃さだと辛くて続けられなくなるかもしれませんね。そんなこともないんでしょうか。
本来ならコメント欄に書くようなことですが、コメント欄は開放されていなかったようなので。
あまりお眼鏡に適う記事もないかもしれませんが、よろしかったら、またいらしてください。
コーヒー
2012年11月08日 15:11
私はパリでこの映画を見ました。映画では、フランス人修道士を殺したのがイスラム原理主義者となっていましたし、みんなそう思っていました。私もそう思っていましたが、実際はアルジェリア軍が犯人だったと新聞で知り、この映画が嫌いになりました。

この記事へのトラックバック

  • 映画「神々と男たち」それでも神は沈黙を守るのか

    Excerpt: 「神々と男たち」★★★☆ ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、 オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ロダンバッシュ出演 グザヴィエ・ボーヴォワ監督、 101分 、2011年3月5日公開 .. Weblog: soramove racked: 2011-04-16 02:50