シンガポール映画小史年表!

 前回の記事で、「日本で上映されたシンガポール映画」についてまとめてみましたが、以下では、日本上映未上映に拘わらず、新生シンガポール映画について、年表にしてまとめてみることにします。

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 【シンガポール映画小史年表】

 1947年 ショウ・ブラザーズが、シンガポールにマレー・フィルム・プロダクションを設立。
 1951年 キャセイ・クリス・プロダクションがシンガポールにスタジオを設立。
 ※2大スタジオがシンガポールにプロダクションを作り、マレー語圏(マレーシア、インドネシア)向けの映画を作る。以後、シンガポールでは50年代~60年代にマレー映画の黄金期を迎える。

 1963年 マレーシア連邦発足。
 1965年 シンガポール独立。
 1967年 ショウ・ブラザーズがスタジオを閉鎖。
 1972年 キャセイ・フィルムがスタジオを閉鎖。
 1973年 ポール・ラムリーの死去。
 政治的な動揺と混乱、経済的な不況の中で2大スタジオが相次いで閉鎖され、マレー映画のスターで牽引者でもあったポール・ラムリーが死去して、マレー映画の黄金期が終焉を迎える。シンガポールは、国として独立はしたものの、資源もなく、国内市場も小さかったので、まず国家として政治的経済的社会的に成り立たせるのが先決で、映画産業を省みる余裕はなかった。結果的に、国産映画は1978年を最後に全く作られなくなった。

 1987年 シンガポール国際映画祭スタート。

 1989年 シンガポール国際映画祭が第2回大会からアジア映画を中心としたプログラムに軌道修正(この年より毎年開催)。

 この頃、シンガポール経済開発協議会(The Economic Development Board of Singapore)が、香港と台湾に調査員を送り、また、映画産業発展基金(the Movie Industry Development Fund)を設け、ニューヨーク大学への留学生の募集を始めるなど、映画産業再興のために動き始める。

 1990年 キャセイがシンガポールで初めてのアート系映画館Picturehouseをオープンする。この頃よりシネコンが続々オープンする。

 1991年 シンガポール国際映画祭に、アジア映画のみを対象としたシルバー・スクリーン・アワードとシンガポール短編映画のコンペティション部門が設けられる。この年の短編部門の作品賞は、エリック・クーの『8月』。

 1991年 “Medium Rare”(監督:アーサー・スミス)
 ※“Medium Rare”は、約20年に及ぶ空白期間を経て初めて製作されたシンガポール映画で、内容は、実在した殺人鬼をモデルにしたスリラー(英語作品)。製作費が200万シンガポールドル(以下Sドル)かかったのにも拘わらず、13万Sドルしか稼げず、興行的には失敗したが、この作品がシンガポール映画界に突破口を開けることになり、徐々にではあるが、シンガポールでも映画が作られるようになった。

 1992年 映画会社Golden Village設立。シネコンの運営や映画配給、映画製作を手がける。

 1993年 ニー・アン・ポリテクニックに映画・音響・ビデオ学部が設立される(1996年にマス・コミュニケーション学部と合併して、映画メディア学部となる)。ここからは、『雨の味』のグロリア・チー監督らを輩出する。

 1994年 シンガポールの通信・メディア事業が株式会社化・民営化され、国営放送SBC がTCS(のちのメディアコープ)となる。

 1995年 『ミーポック・マン』(監督:エリック・クー) [Z]
 ※『ミーポック・マン』は、短編作品が国際的に知られるようになっていたエリック・クーの初長編(福建語・広東語・英語作品)で、彼は自分のプロダクション(Zhao Wei Films)を作り、シンガポールのインディペンデント映画をリードする存在になる。『ミーポック・マン』は10万Sドルという低予算映画ながら、45万Sドルを稼ぎ出し、シンガポール国際映画祭で、初めて賞(NETPAC/国際批評家連盟賞スペシャル・メンション)を受賞したシンガポール映画ともなる。以下で、[Z]と付した作品は、Zhao Wei Filmsの製作または共同製作作品

 1996年 『美食漫遊』(監督:ケルヴィン・トン、サンディ・タン、ジャスミン・ン)
 ※『美食漫遊』は、シンガポールの日刊紙シンガポール・ストレイト・タイムズで映画評を書いていたケルヴィン・トンとサンディ・タン、ニューヨーク大学で映画を学んだジャスミン・ンによる共同監督作品。

 1997年 『12階』(監督:エリック・クー) [Z]
 ※『12階』は、人気コメディアンのジャック・ネオを起用した作品で、HDBフラットを舞台に展開される3つの物語を描き、シンガポール映画として初めてカンヌ国際映画祭(ある視点部門)で上映された作品。ハワイ国際映画祭グランプリ、東京国際映画祭アジア映画賞スペシャル・メンション受賞、ヨーロッパ映画賞インターナショナル部門ノミネート。

 1998年
 『フォーエバー・フィーバー』(監督:ゴレン・ゴーイ)
 “Money No Enough”(監督:タイ・テクロック)
 ◆メディアコープ・レインツリー・ピクチャーズ設立
 ◆シンガポール映画委員会(Singapore Film Commission)設立
 ※イギリスで演劇活動をしていたゴレン・ゴーイは、自力で製作資金を集め、オーストラリアから撮影監督とスタッフを得て、映画『フォーエバー・フィーバー』を製作。この作品は国内的には成功しなかったが、ミラマックスに買い上げられ、アメリカで劇場公開された。
 “Money No Enough”は、ジャック・ネオの脚本・主演による作品で、福建語とシングリッシュで作られ、『タイタニック』『ロスト・ワールド』に次いで、シンガポールの映画興行ランキング第3位(当時)に入る大ヒットとなった。この映画の成功は、映画の持つ潜在的なパワーに気づかせ、「ビジネスとしての映画」に目を向けさせるきっかけになった。
 実際に、シンガポールのメディア・グループ メディアコープが映画事業参入を決め、メディアコープ・レインツリー・ピクチャーズが設立されることになった。以下で、[R]を付した作品は、メディアコープ・レインツリー・ピクチャーズが製作または共同製作した作品。
 シンガポール映画委員会は、シンガポールの映画産業の発展のために設立された機関で、資金援助や映画製作者の育成、映画祭の運営などを行なう。共同出資を行なった長編作品には『メイド ~冥土~』や『4:30(フォーサーティ)』などがある。

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 1999年
 “Liang Po Po”(監督:テン・ビーレン) [R]

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 “That One Not Enough”(監督:ジャック・ネオ)
 “The Truth About Jane and Sam”(監督:デレク・イー) [R]
 “Eating Air”(監督:ケルヴィン・トン、ジャスミン・ン)
 ※1999年にはメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズが2本の映画を製作した。“Liang Po Po”は、ジャック・ネオの人気キャラクター(志村けんを思わせるおばあちゃんキャラ)を映画化したもので、“The Truth About Jane and Sam”は、シンガポールの人気テレビ女優ファン・ウォンと台湾の歌手ピーター・ホーを主演に据え、香港からデレク・イーを監督に迎えて製作された作品。
 “That One Not Enough”は、ジャック・ネオが初めて監督に挑んだ作品。
 “Eating Air”はケルヴィン・トンとジャスミン・ンによる初長編作品で、シンガポール国際映画祭でヤング・シネマ賞を受賞。
 この年は、8本もの国産映画が作られた(それまでは、91年と95年は1本ずつ、96年は2本、97年は3本、98年は4本だった)。

 2000年
 “2000AD”(監督:ゴードン・チャン) [R]
 『チキンライス・ウォー』(監督:チーク) [R]
 ※“2000AD”は、メディアコープ・レインツリー・ピクチャーズがMedia Asia Filmと共同製作した作品で、主演はアーロン・クオック。『チキンライス・ウォー』はメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズにとって初の英語作品で、トロント国際映画祭でDiscovery Award、マイアミ映画祭で審査員特別賞を受賞。

 2001年
 “The Tree”(監督:デイジー・チャン) [R]
 “One Leg Kicking”(監督:ウェイ・コー、エリック・クー) [Z][R]
 ◆Inno Form Media設立(ビデオやCDなどを扱うメーカー、映画の配給も手がける)
 ※“One Leg Kicking”は、エリック・クーのZhao Wei Filmsとメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズが初めて組んで製作した作品で、メディアコープ・レインツリー・ピクチャーズにとって2本目の英語作品となった。

 2002年
 『僕、バカじゃない』(監督:ジャック・ネオ) [R]
 『the EYE(アイ)』(監督:オキサイド&ダニー・パン) [R]
 ◆映画配給会社Festive Films設立(外国のアート系作品を扱う)
 ※『僕、バカじゃない』は、シンガポールにおける受験戦争を背景に落ちこぼれの小学生を描いた作品で、シンガポール映画としては“Money No Enough”に次ぐヒットとなり、380万Sドルという興行収入を上げた。

 2003年
 『コウノトリの歌』(監督:ジョナサン・フー、グェン・ファン・クアン・ビン)
 『ホームラン』(監督:ジャック・ネオ) [R]
 『ターンレフト ターンライト』(監督:ジョニー・トー、ワイ・カーファイ) [R]
 “15:The Movie”(監督:ロイストン・タン) [Z]
 『インファナル・アフェアⅡ 無間序曲』(監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック) [R]
 ◆多様化するメディアに対応するために、シンガポール放送庁、映画出版局、シンガポール映画委員会が合併されて、メディア開発庁(MDA)ができる。
 ◆映画配給会社Encore Films、Lighthouse Pictures設立(ともに外国映画を扱う)
 ※『ホームラン』は、イラン映画『運動靴と赤い金魚』のリメイク作品で、子役のミーガン・チェンはシンガポール人俳優として初めて台湾金馬奨新人賞を受賞した。
 『ターンレフト ターンライト』はメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズが初めてワーナー・ブラザーズと組んで製作した作品。

 2004年
 『地球で最後のふたり』(監督:ベンエーグ・ラッタナルアーン)
 『the EYE 2』(監督:ダニー&オキサイド・パン)

 2005年
 『4:30(フォーサーティ)』(監督:ロイストン・タン)
 『メイド ~冥土~』(監督:ケルヴィン・トン) [R]
 『一緒にいて』(監督:エリック・クー) [Z]
 ※『4:30(フォーサーティ)』は、NHKがアジアの新鋭と組んで映画を製作するプロジェクト<NHKアジア・フィルム・フェスティバル>の1本として作られた作品。
 『メイド ~冥土~』は、シンガポール映画としてはこの年ナンバーワン・ヒットとなったホラー映画。
 『一緒にいて』はカンヌ国際映画祭の監督週間でオープニングを飾った作品(シンガポール映画初)。

 2006年
 『雨の味』(監督;グロリア・チー)
 “I Not Stupid too”(監督:ジャック・ネオ)
 『LOVE STORY』(監督:ケルヴィン・トン)
 ※“I Not Stupid too”は、2002年の『僕、バカじゃない』の続編。
 『LOVE STORY』は、アンディ・ラウがアジアの新鋭をプロデュースするプロジェクト<FOCUS first cuts>の1本として作られた作品で、シンガポール国際映画祭で監督賞受賞(シンガポール人監督として初)。
 ◇この年、シンガポールの映画館のスクリーン数が146から一気に171にまで増え、収容人数も36000人から40042人に増えた(それ以前の4年間はほぼ横ばい)。国産映画も過去最高の10作品が公開された。

 2007年
 『881 歌え!パパイヤ』(監督:ロイストン・タン) [Z][R]
 『ホーム・ソング・ストーリーズ』“The Home Song Stories”(監督:トニー・エアーズ) [R]
 ※『881 歌え!パパイヤ』は、Zhao Wei Filmsとメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズと組んだ2本目の作品で、354万Sドルの興行収入を上げ、シンガポール国産映画としては歴代3位の興行成績を残した。
 ◇2007年は、前年よりさらに1本多い11本の国産映画が公開された。

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 2008年
 “My Magic”(監督:エリック・クー) [Z]
 ※“My Magic”は、シンガポール映画初のカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作となった。

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 (註)[Z]はZhao Wei Filmsの製作または共同製作作品、[R]はメディアコープ・レインツリー・ピクチャーズの製作または共同製作作品。
 それぞれの年度は映画の製作年ではなく、シンガポールでの公開年を示す。

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 *当ブログ記事
 ・シンガポール・ブックガイド:http://umikarahajimaru.at.webry.info/200808/article_7.html
 ・シンガポール・ミニガイド:http://umikarahajimaru.at.webry.info/200808/article_6.html
 ・日本で上映されたシンガポール映画:http://umikarahajimaru.at.webry.info/200808/article_4.html

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