『アンソロジーNo.1』 横尾忠則
横尾忠則の最初の映像作品となるのが、この1964年の『アンソロジーNo.1』です。
【解説】
星、古城、太陽、木、鳥、女の顔、ふき出し、演奏、涙、指差す形、ピストル、決闘、死(死神、霊柩車、十字架)という風に、いくつかのイメージを集め、連鎖的につなげています。
ポスターや本の表紙、自らが描いたイラストなどから切り取った静止画がほとんどで、一部動画もあります。
実験映画というよりは、とりたてて映画に関する知識やノウハウがなくても作れるような作品で、美術館での展覧会場で、ディスプレーにでも流しておけばよいような作品ですが、横尾忠則の興味の方向性(あるいは、社会全体から彼が切り取った部分)などが垣間見られてちょっと面白いですね。
それは、彼の視線が、「死」以外は、ほとんど水平線(目の高さ)より上を向いているということです。こんなところにも上昇志向が表れている、のでしょうか(笑)。
作品自体は、7分あって、最後に「終」と出ますが、「未完」だそうです。そういう意味での「No.1」なのかもしれません。
◆作品データ
1964年/日本/7分4秒
台詞なし
アニメーション
*この作品は、DVD『YOKOO’S 3 ANIMATION FILMS 横尾忠則 アニメーション集 64-65』に収録されています。
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◆監督について
横尾忠則
グラフィック・デザイナー、美術家。
グラフィック・デザインの世界に、土俗性、エロス、ポップ感覚を持ち込み、衝撃を与える。
グラフィック・デザイナーとして、ポスター、レコード・ジャケット、雑誌表紙、相撲力士の化粧廻しなど幅広く活動し、また、デザインの仕事以外でも、油絵から立体まで、多様な手法・技法を使って数多くの作品を発表し、モーリス・ベジャールの舞台美術も手がけた。
多くのジャンルの作家と交流があり、自らも多様なジャンルで活躍している。ごく短期間ではあるが、俳優としてテレビ・ドラマや映画にも出演し、短編映画も発表した。
国際的な評価も高く、世界各地で個展が開催されている。
故郷である西脇市の岡之山美術館(http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/)には、作品が常設展示されている。
1936年 兵庫県多可郡西脇町(現在の西脇市)に生まれ。幼いころから絵本の模写をしていたという。
1943年 西脇国民学校入学。マンガを描くようになりマンガ雑誌に投稿したりもする。
1952年 兵庫県立西脇高等学校入学。この頃、通信教育でイラストを学び、油絵やポスター制作を描くようになる。
1956年 作品に注目したデザイナー灘本唯人の推薦により、神戸新聞社にグラフィック・デザイナーとして入社。
1958年 第8回日宣美展で奨励賞受賞
1960年 上京。日本デザインセンターに入社(~64)。その後、独立し、グラフィック・デザイナーとして活躍する。
1967年 寺山修司の「天井棧敷」に参加。
1969年 主演映画『新宿泥棒日記』(監督:大島渚)が公開される。第6回パリ青年ビエンナーレ展版画部門でグランプリ受賞。
1970年 写真を始める。
1974年 テレビ・ドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演(タイトル・デザインも手がける)。篠山紀信とインド旅行をし、この後、度々インドを訪れるようになる。
1980年 ニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、「絵画制作の方向へ自らの道を見出した」と記者に語ったことが、いわゆる「画家宣言」として受け取られることになった。以後、絵画作品を精力的に発表。
1984年 横尾作品を展示する岡之山美術館が故郷・西脇市にオープン。モーリス・ベジャールが主宰するベルギー国立20世紀バレエ団 ミラノスカラ座公演「ディオニソス」の舞台美術を担当。
1987年 兵庫県文化賞受賞
1995年 毎日芸術賞受賞
2000年 ニューヨークADO 「ホール・オブ・フェイム」(殿堂入り)
2001年 紫綬褒章授与
2007年夏 「デザイン廃業」宣言
【フィルモグラフィー】
・1964年 『アンソロジー No.1』(短編) [監督]
・1964年 『KISS KISS KISS』(短編) [監督]
・1965年 『堅々獄夫婦庭訓(Kachi Kachi Yama)』(短編) [監督]
・1969年 『新宿泥棒日記』(監督:大島渚) [出演]
・1969年 『ヤング・パワーシリーズ 新宿番外地』(監督:帯盛廸彦) [出演]
・1971年 『男一匹ガキ大将』(監督:村野鉄太郎) [出演]
・1977年 『僕は天使ぢゃない』(監督:あがた森魚) [出演]
・1980年 『小さな胸の五円玉』(監督:吉川一義) [美術]
・1985年 “Mishima: A Life in Four Chapters”(監督:ポール・シュレーダー) [出演]
*参考サイト
・公式サイト:http://www.tadanoriyokoo.com/
・横尾忠則に関するWikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B0%BE%E5%BF%A0%E5%89%87
・兵庫人挑む:http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin/26.shtml
【解説】
星、古城、太陽、木、鳥、女の顔、ふき出し、演奏、涙、指差す形、ピストル、決闘、死(死神、霊柩車、十字架)という風に、いくつかのイメージを集め、連鎖的につなげています。
ポスターや本の表紙、自らが描いたイラストなどから切り取った静止画がほとんどで、一部動画もあります。
実験映画というよりは、とりたてて映画に関する知識やノウハウがなくても作れるような作品で、美術館での展覧会場で、ディスプレーにでも流しておけばよいような作品ですが、横尾忠則の興味の方向性(あるいは、社会全体から彼が切り取った部分)などが垣間見られてちょっと面白いですね。
それは、彼の視線が、「死」以外は、ほとんど水平線(目の高さ)より上を向いているということです。こんなところにも上昇志向が表れている、のでしょうか(笑)。
作品自体は、7分あって、最後に「終」と出ますが、「未完」だそうです。そういう意味での「No.1」なのかもしれません。
◆作品データ
1964年/日本/7分4秒
台詞なし
アニメーション
*この作品は、DVD『YOKOO’S 3 ANIMATION FILMS 横尾忠則 アニメーション集 64-65』に収録されています。
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◆監督について
横尾忠則
グラフィック・デザイナー、美術家。
グラフィック・デザインの世界に、土俗性、エロス、ポップ感覚を持ち込み、衝撃を与える。
グラフィック・デザイナーとして、ポスター、レコード・ジャケット、雑誌表紙、相撲力士の化粧廻しなど幅広く活動し、また、デザインの仕事以外でも、油絵から立体まで、多様な手法・技法を使って数多くの作品を発表し、モーリス・ベジャールの舞台美術も手がけた。
多くのジャンルの作家と交流があり、自らも多様なジャンルで活躍している。ごく短期間ではあるが、俳優としてテレビ・ドラマや映画にも出演し、短編映画も発表した。
国際的な評価も高く、世界各地で個展が開催されている。
故郷である西脇市の岡之山美術館(http://www.nishiwaki-cs.or.jp/okanoyama-museum/)には、作品が常設展示されている。
1936年 兵庫県多可郡西脇町(現在の西脇市)に生まれ。幼いころから絵本の模写をしていたという。
1943年 西脇国民学校入学。マンガを描くようになりマンガ雑誌に投稿したりもする。
1952年 兵庫県立西脇高等学校入学。この頃、通信教育でイラストを学び、油絵やポスター制作を描くようになる。
1956年 作品に注目したデザイナー灘本唯人の推薦により、神戸新聞社にグラフィック・デザイナーとして入社。
1958年 第8回日宣美展で奨励賞受賞
1960年 上京。日本デザインセンターに入社(~64)。その後、独立し、グラフィック・デザイナーとして活躍する。
1967年 寺山修司の「天井棧敷」に参加。
1969年 主演映画『新宿泥棒日記』(監督:大島渚)が公開される。第6回パリ青年ビエンナーレ展版画部門でグランプリ受賞。
1970年 写真を始める。
1974年 テレビ・ドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演(タイトル・デザインも手がける)。篠山紀信とインド旅行をし、この後、度々インドを訪れるようになる。
1980年 ニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、「絵画制作の方向へ自らの道を見出した」と記者に語ったことが、いわゆる「画家宣言」として受け取られることになった。以後、絵画作品を精力的に発表。
1984年 横尾作品を展示する岡之山美術館が故郷・西脇市にオープン。モーリス・ベジャールが主宰するベルギー国立20世紀バレエ団 ミラノスカラ座公演「ディオニソス」の舞台美術を担当。
1987年 兵庫県文化賞受賞
1995年 毎日芸術賞受賞
2000年 ニューヨークADO 「ホール・オブ・フェイム」(殿堂入り)
2001年 紫綬褒章授与
2007年夏 「デザイン廃業」宣言
【フィルモグラフィー】
・1964年 『アンソロジー No.1』(短編) [監督]
・1964年 『KISS KISS KISS』(短編) [監督]
・1965年 『堅々獄夫婦庭訓(Kachi Kachi Yama)』(短編) [監督]
・1969年 『新宿泥棒日記』(監督:大島渚) [出演]
・1969年 『ヤング・パワーシリーズ 新宿番外地』(監督:帯盛廸彦) [出演]
・1971年 『男一匹ガキ大将』(監督:村野鉄太郎) [出演]
・1977年 『僕は天使ぢゃない』(監督:あがた森魚) [出演]
・1980年 『小さな胸の五円玉』(監督:吉川一義) [美術]
・1985年 “Mishima: A Life in Four Chapters”(監督:ポール・シュレーダー) [出演]
*参考サイト
・公式サイト:http://www.tadanoriyokoo.com/
・横尾忠則に関するWikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B0%BE%E5%BF%A0%E5%89%87
・兵庫人挑む:http://www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin/26.shtml
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