カレル・ゼマン 『プロコウク氏 映画製作の巻』

 意外な展開……。

 

 【物語】
 プロコウク氏は、映画の企画を映画会社に持っていくが全く相手にされない。
 帰り道で、手回しオルガンを弾いている人を見て、ピンとくるものがあり、お金で手回しオルガンを譲ってもらう。
 プロコウク氏は、手回しオルガンを映画撮影用のカメラに作り変えると、“BUDE SE FILMOVAT”(あなたも映画に出られる)と新聞に広告を打つ。
 すると、それを見た人が仕事を放り出してプロコウク氏の元に集まってくる。
 映画の内容は、土砂の採掘現場を舞台としたもので、プロコウク氏がカメラを向けるとどんどん作業が進み、たくさんのレンガができ、すぐに建物が出来上がっていく。
 そこまで撮り終えたプロコウク氏は、一息ついて汗をぬぐうが、ふと、スクリーンのこちら側を見遣って、意地の悪い笑みを浮かべ、こちらに向かってカメラを回し始める。
 すると客席からは、撮られてはたまらんとばかりに次々と観客が席を立っていくのだった。

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 【コメント】
 夢見がちなプロコウク氏が、手回しオルガンをカメラに見立てたところまではわかったけれど、その後どうなっちゃったの? 本作は、そんな、ちょっと煙に巻かれたような気にもさせられる作品で、どうも、わかりにくいですね。

 冒頭からちょっとドジなところのあるプロコウク氏であるし、フェイク・カメラを作った後は、普通の映画の文法だと、<プロコウク氏の夢想――映画監督になったつもり、というような――が始まって、夢から覚めたところで映画が終わる>という風に展開しそうなものですが、本作ではそのようには展開しません。というか、プロコウク氏が壁に“BUDE SE FILMOVAT”と書いてからの展開が唐突すぎる感じだし、フェイク・カメラは本物のカメラになったのか、それともフェイク・カメラのままなのか、それもよくわからないんですね。

 これはどういう意味なんだろうといろいろ考えていて、思い出されてきたのは、ジュゼッペ・トルナトーレの『明日を夢見て』です。
 『明日を夢見て』の物語は、主人公が、カメラを担いでいろんな町をまわり、映画のオーディションだと称しては、架空の映画のオーディションを行ない、映画に憧れる人々をだましてお金を巻き上げるというものですが、本作でも、どうもそれに近いことをやろうとしたのではないか、ということですね。
 つまり、映画会社に自分の企画を受け入れてもらえなかったプロコウク氏が、(その腹いせに?)フェイク・カメラを使って、映画を撮ると言って人々を翻弄し、その結果として、カメラを向けることで人々はどう変わるかということを示して、カメラの持つ魔力や映画の欺瞞を暴き立ててみせた、のではないか……。

 こういう解釈で合っているのかどうかは定かではわかりませんが、たかだか8分程度の、子ども向けの人形アニメだと思って侮っていると、急に映画としてのパラダイムが変換したり、思ってもみない展開を見せたりするので、驚かされてしまいます。

 カレル・ゼマンがこんなことをやってしまうのかということも驚きなら、短編とはいえ、当時のチェコスロバキアでこんな実験的な内容を含んだ企画が通ってしまうのかということも意外ですね。

 ◆作品データ
 1947年/チェコスロバキア/8分3秒
 台詞なし/日本語字幕なし
 人形アニメーション

 *この作品は、2003年にシアター・イメージフォラムで開催された<カレル・ゼマン レトロスペクティブ>で公開されました。

 *この作品は、DVD『幻想の魔術師 カレル・ゼマン 「彗星に乗って」/短編「プロコウク氏 映画製作の巻」」に収録されています。

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 ◆監督について
 カレル・ゼマン
 1910年 オーストリア・ヘンガリー帝国(現・チェコ)のオストロムニェジェに生まれ、1989年 プラハで没。
 幻想の魔術師、映像の錬金術師、チェコアニメ3巨匠の1人などと称される。

 少年の心をくすぐる冒険ファンタジー、次々と襲い来る試練とロマンの物語、イマジネーションあふれる“未来の”マシーンやメカの創造(特に空を飛ぶ乗り物)、技術の不足をアイデアで補った特撮、……。子ども向けの作品ばかりでありながら、(今となってはレトロとも思える)その作品の魅力にとりつかれたファンは多い。

 父親は貝ボタン職人。
 幼い頃から人形劇が好きだった。
 フランスの広告美術の学校で学び、マルセイユのスタジオに就職。最初に手がけた仕事はスープの広告。
 帰国後も広告の仕事がしたいと考え、まずは、ショーウィンドウのディスプレイのデザインなどを担当した後、ズリーンのクゥドロフ・スタジオに広報担当として就職(1943年)。そこで、アニメーション作家ヘルミナ・ティールロヴァーと出会い、アニメーションの制作に興味を持つ。
 1945年 ティールロヴァーと共同で『クリスマスの夢』を監督。正確には、撮影所の火事でフィルムが焼失してしまったことで失望して降板したティールロヴァーに代わって、カレル・ゼマンが再撮影を買って出る。実写部分をボジヴォイ・ゼマンが監督。この作品は、1946年のカンヌ国際映画祭で最優秀アニメーション賞を受賞。
 1947年 ゼマンとしての最初のプロジェクト「プロコウク氏」シリーズを手がける。
 1950年 最初の中編『王様の耳はロバの耳』を制作。この作品でアニメーションの監督として国内でも知られるようになる。
 1955年 俳優を使った、最初の実写作品『前世紀探検』を制作。
 続いて、ジュール・ヴェルヌ原作の『悪魔の発明』、『ほら男爵の冒険』、『彗星に乗って』など、子ども向けのSFや冒険ファンタジーを制作して、一躍人気監督となる。

 1987年には第2回国際アニメーションフェスティバルに国際名誉会長として来日している。

 娘のリュドミラ・ゼマンは、1984年にカナダに移住し、父の『シンドバッドの冒険』のアニメーターだったEugene Spalenyと結婚(http://www.bookcentre.ca/gg/lzeman.htm)。Eugene Spalenyは、“Certík Fidibus”(1981)、“Lord of the Sky ”(1992)等の監督作品を発表している。

 【フィルモグラフィー】
 ・1945年 『クリスマスの夢』
 ・1946年 『ハムスター』
 ・1946年 『幸福の蹄鉄』
 ・1947年 『プロコウク氏 在役中の巻(靴屋はいやだの巻)』
 ・1947年 『プロコウク氏 試練を受けるの巻(家作りの巻)』
 ・1947年 『プロコウク氏 ボランティアの巻』
 ・1947年 『プロコウク氏 映画製作の巻』
 ・1947年 『生者の中の死者』
 ・1947年 『労働者』
 ・1948年 『水玉の幻想』
 ・1949年 『プロコウク氏 発明家の巻(発明の巻)』
 ・1950年 『王様の耳はロバの耳(ラーヴラ王)』
 ・1952年 『鳥の島の財宝』
 ・1955年 『前世紀探検』 1958年日本公開
 ・1955年 『プロコウク氏 動物の友の巻』
 ・1958年 『悪魔の発明』 1959年日本公開
 ・1958年 『プロコウク氏 探偵の巻』
 ・1959年 『プロコウク氏 アクロバットの巻』
 ・1961年 『ほら男爵の冒険』 2004年日本公開
 ・1964年 『狂気のクロニクル』 2003年日本公開
 ・1966年 『盗まれた飛行船』 1987年日本公開
 ・1970年 『彗星に乗って』 1987年日本公開
 ・1971年 『シンドバッドの冒険 第1話 はじめての冒険』
 ・1972年 『シンドバッドの冒険 第2話 ふたたびの海へ』
 ・1972年 『プロコウク氏 時計屋の巻』
 ・1973年 『シンドバッドの冒険 第3話 巨人の島(巨人の国)』
 ・1973年 『シンドバッドの冒険 第4話 磁石の山』
 ・1973年 『シンドバッドの冒険 第5話 空飛ぶじゅうたん』
 ・1974年 『シンドバッドの冒険 第6話 閉じ込められた魔神(かいならされた悪魔)』
 ・1974年 『シンドバッドの冒険 第7話 海のサルタン』
 ・1976年 『千一夜物語』
 ・1977年 『クラバート』 2003年日本公開←1981年 池袋西武スタジオ200にて上映
 ・1980年 『ホンジークとマジェンカ』 2003年日本公開
 ・1981年 『カレル・ゼマンと子供たち』

 *資料によりデータ(邦題、制作年、作品そのもの)が異なる場合があります。

 *2003年にシアター・イメージフォラムにて<カレル・ゼマン レトロスペクティブ>が開催され、長編8作品(『鳥の島の財宝』『前世紀探検』『悪魔の発明』『狂気のクロニクル』『盗まれた飛行船』『彗星に乗って』『シンドバッドの冒険』『クラバート』『ホンジークとマジェンカ』)、短編5作品(『クリスマスの夢』『プロコウク氏 映画製作の巻』『水玉の幻想』『王様の耳はロバの耳』『鳥の島の財宝』『カレル・ゼマンと子供たち』)が上映されました。2004年 同劇場で『前世紀探検』『ほら男爵の冒険』が上映されました。

 *参考書籍
 ・『アニメーターズ1 カレル・ゼマン』(日本出版社)
 ・『夜想35 チェコの魔術的芸術』(ペヨトル工房) 
 ・『チェコアニメの巨匠たち』(エスクァイア マガジン ジャパン)

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