フェルメール「牛乳を注ぐ女」を見る前に、または、「牛乳を注ぐ女」徹底ガイド

 いよいよフェルメールの「牛乳を注ぐ女」が初来日します。
 1点の絵の前にどのくらい人だかりがするのかちょっと想像もつきませんが、本物はわりと小さい作品だということもあり、ちょっと見ただけで、「あとは家に帰って図録で確認しよう」ということにもなりかねないので、“本物”に触れる一瞬のチャンスをしっかり生かすべく、ここで「牛乳を注ぐ女」についてまとめておきたいと思います。

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 発色は、本によってもネット上でもまちまちでしたが、これが一番近いのではないかというものを選んでみました。実物と比べてみましょう。

 ◆制作年代
 フェルメールの作品ではっきりと描かれた年が記されているのは4点だけで、そのほか何点かが具体的に制作年代が特定できているほかは、その他の資料や技法などからおおまかに制作年代を推定するにとどまっている、ということのようです。
 年代が記されている作品の中では、1656年の「遣り手婆」から1662年の「音楽のレッスン」の間に描かれた作品であることは確実で、さらに1660年以前の作品に違いないということが、絵の具を重ねて塗り込む技法を使っていること、暖色系の絵の具を使っていることなどから絞り込まれています。
 いわゆる風俗画の中でも比較的初期の作品で、具体的な作品としては、「眠る女」「窓辺で手紙を読む女」よりは後で、「兵士と笑う女」「紳士とワインを飲む女」「二人の紳士と女」とほぼ同年代であり、「中断されたレッスン」や「デルフトの眺望」よりは確実に前に描かれていると考えられています。
 ちなみに、43歳で死んだフェルメールの、20代後半の作品ということになります。

 ◆サイズ
 「牛乳を注ぐ女」は、45.4×40.6cmで、比較的小さな部類の作品になります。
 ちなみに、フェルメール作品では初期の4作品が1m×1m以上の大作で、その後、その2/3~1/2以下の作品が多くなったかと思うと、時折思い出したかのように、「デルフトの眺望」「絵画芸術」「信仰の寓意」といった大きな作品を描いています。
 一番大きな作品は「マルタとマリアの家のキリスト」で158.5×141.5cm。一番小さな作品は「フルートを持つ女」で20×17.8cm。
 “全36点”のうち、1辺が1m前後またはそれ以上の作品が7点、60~90cmの作品が8点、40~50cmの作品が17点、それ以下の作品が4点あります。

 ◆タイトル
 オリジナル・タイトルは“De Melkmeid”、英題はそれを直訳した“The Milkmaid”(ちょっとそっけないですね)。“A maid pouring milk”、“The Kitchen Maid”と呼ばれることもあります。
 フェルメールの作品には複数の邦題が存在しているものが多いのですが、「牛乳を注ぐ女」は「牛乳を注ぐ女」以外の呼び名はないようです。

 ◆モチーフ
 女中らしき人物が甕(壺)からテーブルの上の器に牛乳を注いでいる。

 風俗画と呼ばれる作品群の中の1つの作品ですが、単に「牛乳を注いでいる女」を写生したのではなく、こういう女性を描くことで何らかの美徳を描いたと考えられています。

 「牛乳を注ぐ女」以前に絵の中で使用人を描く場合は、これまで「好色な人物」か「怠け者」であったのが、フェルメールが、「牛乳を注ぐ女」で、西洋絵画史上はじめて、女中を肯定的に、絵の中心人物として描いた、とされます。

 「窓辺で水差しを持つ女」が一般市民の女性を描いたのに対して、「牛乳を注ぐ女」は明らかに女中で、「窓辺で水差しを持つ女」が<節制>を象徴しているとみなされるのに対して、「牛乳を注ぐ女」は<恭順と慎み深い内省>を象徴しているとみなされています。資料によっては、「牛乳を注ぐ女」を<節制>の象徴としているものもありますが、「窓辺で水差しを持つ女」のような作品と対比すると、やはり、市民=節制、女中=恭順、と図式的に考えるのがわかりやすいように思われます。

 なお、働く女性を単独で描いたのは、フェルメールでもこれ1点のみです。

 ◆モデル
 「牛乳を注ぐ女」のモデルは、フェルメールの義母アーリア・ティンスの許で働いていた女中タンネケ・エフェルブールだと言われています。
 映画にもなったトリシー・シュヴァリエが書いた小説『真珠の耳飾りの少女』で、タンネケを演じたのは、ジョアンナ・スキャンランというイギリスのテレビを中心に活躍している女優で、映画の出演作では、他に『キンキー・ブーツ』『あるスキャンダルの覚え書き』があります。

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 ◆細部

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 ①窓。
 1箇所割れているところがあります。それで、寒風が吹き込むので、足元に行火(⑤)を置いているのだという説もあります。

 ②上から順に鏡、カゴ、金属製の入れ物。
 一番上にかけてあるのが本当に鏡なのかどうかはよくわかりません。こんなところに鏡をかけておいて果たして役に立つのかどうか。
 金属製の入れ物は光を反射させてキラキラ光っていますが、「窓の角度からすればこの反射はありえないが、フェルメールが光を表現したかったので、ここにキラキラを入れた」と説明されています。

 ③釘と釘のあと。
 釘は扇形の影を作っています。実物では確認できるでしょうか。

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 ④テーブルの上には、パン、牛乳を注ぎ込む器、水差し、青のテーブルクロスがあります。
 パンは、たくさんの白い点で光り輝いているように描かれています。印象派の点描にも似た何色かの色の点で光や影、凸凹、色を表現するこの技法は、点綴(ポワンティエ)と呼ばれます。
 パンと牛乳は、単なるパンと牛乳ではなく、そこに寓意(パンをキリストの体とみなすというような聖的なもの)が含まれていると考える見方もあります。

 ⑤行火、壁の一番下には絵の描かれたタイルがはめ込まれています。
 X線による調査では、行火の代わりに洗濯かごが置かれていたと報告されていますが、洗濯かごだと絵のテーマ(牛乳を注ぐという仕事)が分散してしまうため、行火に変えられたのだとみなされています。行火を置くことで、絵、および、この仕事が寒々として印象になってしまうのを防いだということでしょうか。
 タイルにはクピド(キューピット)が描かれているそうです。

 ⑥牛乳が注ぎ込まれている器、牛乳の入っている甕(壺)、女性の手にかけて、青いしみが見られます。これは、青いテーブルクロスから青いエプロンの残像効果を狙ったもの、と説明されることもあります。

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 静止しているように見える絵の中で、唯一、牛乳だけが永遠に流れ続けているように見えます。ただし、この絵は、単に写真で一瞬をとらえたようなものではなく、この女性のしぐさに、牛乳をこぼさずに注ぎ込もうとする“動き”が見られるという指摘もあります。

 ⑦女性の顔。
 細部を見ると非常に凸凹した顔に見えます。これは、暗色系の下塗りの上に明るい色を点で重ねていくことで、光が当たっている女性を描こうとしたためです。
 顔の起伏と陰影を、このような技法で描いたのは、おそらくこの作品のみだと思われます。

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 この女性の視線がおかしい(牛乳を注ぐ器にまっすぐに向けられていない)と指摘する人もいます。

 ⑧壁。
 窓から遠くなるほど明るくすることで、女性の姿を際立たせる効果を狙ったと考えられています。
 X線による調査では、この壁に地図がかかっていたのですが、地図は贅沢品なので、女中の部屋にはそぐわないと考えて、フェルメールが消したのだと考えられています。

 ◆透視図法
 複数ある窓の桟(横線)を延長すると一点で交わりますが、ここを消失点として、この絵には透視図法が使われていることがわかります。透視図法を使いながら、一方でテーブルを描く時には、絵がどう見えるかを考慮して、意図的に透視図法を崩してもいます(下項目参照)。

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 ◆不思議なテーブル
 この絵の中に描かれているテーブルは、遠近法(透視図法)から考えると全く不可解(壁に対してどういう位置にあって、どういう形をしているのかがまったくわからない(見方によっては台形にも見える))でありながら、絵としては違和感なく成立している、というか、むしろ、絵を、自然に、そして豊かなものにしているということで、驚嘆と賞賛の声が上げられています。

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 ◆構図
 [1] 女性の頭上から女性の輪郭に沿って左右に下ろした2本の線(①②)と、テーブルに置かれたものの下部の線(③)を左右に延ばした線で囲まれた部分は、直角二等辺三角形(もしくは数字の4)に見えます(安定感のある構図)。
 一方で、窓の右上から光のラインをたどって、女中の胸から行火の上まで伸びる線(④)と、テーブルの角まで伸びる線(⑤)は、上記の水平線(③)と合わせてこちらも直角二等辺三角形に近い形になります。
 また、窓の右上から甕の右端、パンの最右端をつなぐ線(⑥)もあって、①②③④⑥で逆星型が浮び上がってきます。

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 [2] 上記①の線と③の線のちょうど真ん中に線を引くと、壁にかかっているカゴと床の行火は対照的な位置にあることがわかり(色も似ている)、また、甕の注ぎ口とちぎったパンも対照的な位置にあることがわかります。
 軸を中心に女性の服の黄色とエプロンの青が対照的な位置にあることもわかります。

 案外こういうところにもこの絵が美しいと思える秘密がかくされているのかもしれません。

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 [3] 下記のようにNのラインを読み取ることもできます。

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 ◆所蔵されている美術館
 「牛乳を注ぐ女」が収蔵されているのは、アムステルダムにある国立美術館(http://www.rijksmuseum.nl/index.jsp?lang=en)で、ここには他に「手紙を読む青衣の女」「小路」「恋文」という3点のフェルメール作品があります。
 ただし、今回のように外部に貸し出されていたりするので、必ずしもいつもここに常設展示されているとは限りません。
 なお、同時期にアメリカのメトロポリタン美術館では“The Age of Rembrandt: Dutch Paintings in The Metropolitan Museum of Art”(http://www.metmuseum.org/special/rembrandt/dutch_paintings_images.asp)が開催されていますが、これにはメトロポリタン美術館の収蔵作品から「眠る女」「窓辺で水差しを持つ女」「少女」が出品されています。
 2001年には、同美術館で“Vermeer and the Delft School(フェルメールとデルフト派展)”(http://www.metmuseum.org/special/Vermeer_Delft/vermeer_checklist.htmhttp://www.metmuseum.org/special/Vermeer_Delft/vermeer_images.htm)という展覧会が開催されましたが、ここに集まったフェルメール作品は「ダイアナとニンフたち」「マルタとマリアの家のキリスト」「遣り手婆」「眠る女」「小路」「二人の紳士と女」「窓辺で水差しを持つ女」「窓辺でリュートを弾く女」「天秤を持つ女」「赤い帽子の女」「少女」「絵画芸術」「信仰の寓意」「ヴァージナルの前に立つ女」「ヴァージナルの前に座る女」という15点で、ここには「牛乳を注ぐ女」はやってきませんでした。
 要は、見られる機会に見ておくしかないということなのかもしれません。

 ◆来歴
 元々はディシウス・コレクションの1つで、このコレクションから21点のフェルメール作品が1696年に競売にかけられて、作品が世に知られていくことになる。
 ディシウスとは、印刷工房を経営していたヤコブ・ディシウスのことで、彼の妻(マグダレーナ・ファン・リュイフェン)の父ピースティ・カラースゾン・ファン・リュイフェンがフェルメールから直接購入した作品が、娘マグダレーナの手に移り、マグダレーナの死後(結婚して2年目で、まだ26歳だった)、夫のヤコブの持ち物となり、さらに、1695年にヤコブが死ぬとその6ヵ月後に競売がかけられることになります。

 1696年の競売では、175ギルターという高値がつき(『デルフトの眺望』の200ギルターに次ぎ2番目の高値)、画家でもあったIsaac Rooleeuwが落札(彼は「天秤を持つ女」も同時に購入。こちらは155ギルター)。しかし、彼は5年後に破産し、2点のフェルメールは再びオークションにかけられることになる。

 1765年の競売では、イギリス貴族の代理人イーヴルが560ギルターで落札。

 1798年の競売では、1550ギルターでI・スパーンが落札。

 1813年にまた競売にかけられ、この人物がのちにヘンドリックス・シックスに嫁いだことから、「牛乳を注ぐ女」はシックス・コレクションに入ることになります。

 1906年、最終的に、アムステルダム国立美術館がシックス・コレクションから「牛乳を注ぐ女」を購入。

 *この項の参考サイト
 ・THE DISSIUS AUCTION:http://essentialvermeer.20m.com/clients_patrons/dissius_auction.htm
 ・http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/3587/kaistu/v-9.html

 ◆人気投票
 この絵は、フェルメールの中でも最も人気が高い作品だそうで、各種アンケートでもナンバーワンであり、以前に当ブログでもご紹介した有吉玉青さんのマイ・ベストもこの作品だそうです。
 *参考 あなたが選ぶ「フェルメール」:http://www.icnet.ne.jp/~take/vermeervote.html

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 以上が、私が「牛乳を注ぐ女」に関して、調べた、そして考えてみたアレやコレやです。

 個人的には、「真珠の耳飾りの少女」や「手紙を書く女と召使」「眠る女」の、「感情や内面、素顔がちらっと垣間見えるところ」や「作品にドラマ性が感じられるところ」に惹かれるので、「牛乳を注ぐ女」が人気投票ナンバーワンだと聞いて、ちょっと意外にも思ったのですが、はたしてこの人気の秘密は何なのでしょうか。この目で実物を見て、考えてみたいと思います。

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 *当ブログ関連記事
 ・有吉玉青『恋するフェルメール』
 ・フェルメールに関するリンク集など

この記事へのコメント

2007年10月08日 12:53
こんにちは。
TB頂戴しありがとうございました。

お返事が遅くなってしまい申し訳御座いません。
六本木へ二度ほど足を運びこの作品をあらためて鑑賞してきました。
他の風俗画とは明らかに一線を画していますね。
フェルメールが描き出そうとした日常のひとコマは
それであってそれでない。
知れば知るほど不思議なひとコマでした。
umikarahajimaru
2007年10月12日 07:55
Takさま
コメント&TBありがとうございました。
美術館にもう2回もいらしゃったとはさすがですねえ。
私は、「牛乳を注ぐ女」がちょっと離れた位置からしか見れないと聞いて、なかなか実物を見に行けないままでいます。オペラグラスで見るというのは実物を見たことになるんだろうかという思いもあるんですよねえ。
二の足を踏んでいるとあっという間に会期が終わってしまいそうなので、機会をみつけて足を運びたいとは思っているのですが。

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