ルーマニアが生んだ映画人 40人!

 ルーマニア出身の映画人(俳優、監督)について調べてみました。

 ◆ルーマニア映画人

 ◇俳優

 ・ポーラ・イレイリー Pola Illéry (1908-?) ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』(1930)、『巴里祭』(1932)に出演。

 ・マヤ・モルゲンステルン Maia Morgenstern(1962- )  現代のルーマニアを代表する女優の1人。ブカレスト生まれ。ユダヤ系。メル・ギブソンの『パッション』(2004)で演じたマリア役が有名。
 その他の出演作は、“Balanta”(1992)、“Trahir”(1993)、『ノストラダムス』(1994)、『ユリシーズの瞳』(1995)。(http://en.wikipedia.org/wiki/Maia_Morgenstern)


 ・マーセル・ユーレス Marcel Iureş(1951- ) 1970年代半ばからルーマニア映画に出演し、1990年代からアメリカ映画をはじめ国際的に活躍するようになる。最近の出演作は、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994 パリのヴァンパイアの1人)、『ミッション・インポッシブル』(1996 プラハの米国大使館員ゴリツィン役(CIA諜報員のファイルを盗む))、『ピースメーカー』(1997 国連大使役)、『アーメン』(2002)、『ジャスティス』(2002 イエール大学に留学した経験も持つナチスのビッサー大佐)、『レイヤー・ケーキ』(2004 国連から指名手配中のセルビア人スラヴォ役(エクスタシーを盗まれて殺し屋を差し向ける))、『地獄の変異』(2005)、『GOAL!』(2005 ニューカッスル・ユナイテッドの監督役)、『パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド』(2007)。主役ではないにしても、ちょい役というのはなく、物語のキーとなる役どころが多い。最新作は、フランシス・コッポラの“Youth Without Youth”(2007)。(http://en.wikipedia.org/wiki/Marcel_Iure%C5%9F)

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 ・アレキサンドラ・マリア・ラーラ(1978- ) ブカレスト生まれだが、4歳(チャウシェスク時代)に両親とともに西ドイツに亡命。16歳で演技に目覚め、テレビ・ドラマに出演するようになる。主に(西)ドイツで活躍。最も有名な役は、米国アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた『ヒトラー 最期の12日間』で演じたヒトラーの秘書役。その演技を見たフランシス・コッポラが彼女に手紙を送り、“Youth Without Youth”(2007)の主演が決まった。最新出演作には、ブルーノ・ガンツ、ハーヴェイ・カイテル共演のテオ・アンゲロプロス最新作“The Dust of Time”(2007)やアンソニー・ホプキンス、ローラ・リニー、真田広之共演のジェイムズ・アイボリー最新作“City of Your Final Destination”(2007)がある。
 その他の出演作に、『クレイジー』(2000)、『トンネル』(2001)、ヨゼフ・フィルスマイヤー“Leo und Claire”(2001)、ドリス・デリエ“Nackt”(2002)や『漁師と妻』(2005)、“Offset”(2006)。(http://en.wikipedia.org/wiki/Alexandra_Maria_Lara)
 公式サイト:http://www.alexandra-maria-lara.com/

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 ・エリナ・レーヴェンソン Elina Löwensohn(1967- )ブカレスト出身。現在はアメリカを中心に活躍。ハル・ハートリー作品の常連。『シンプルメン』(1992)、『シンドラーのリスト』(1993)、『愛・アマチュア』(1994)、『フラート』(1995)、『バスキア』(1996)、『クロコダイルの涙』(1998)、『ロベルト・スッコ』(2001)、『ロング・エンゲージメント』(2004)、『ダーク・ウォーター』(2005)。

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 ・エドワード・G・ロビンソン(1893-1973) ブカレスト生まれ。10歳の時にアメリカに移住。代表作は、『犯罪王リコ』『俺は善人だ』『キー・ラーゴ』『十戒』など。

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 ・ジョニー・ワイズミュラー(1904-1984) ルーマニアのティミショアラー(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)で生まれる。3歳の時にアメリカに移住して、体操選手として活躍した後、俳優に転身。ターザン役で知られる。

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 ・Mircea Albulescu(1932- ) 俳優であり、詩人、ジャーナリスト、大学教授でもある。俳優としては50年以上のキャリアを持つ。主な出演作品は、“Mihai Viteazul”(1971) “Horea”(1984)、“Cel mai iubit dintre pământeni”(1993)、“Semne in pustiu”(1996)など。(http://en.wikipedia.org/wiki/Mircea_Albulescu

 ・Ştefan Bănică, Jr(1967- ) 俳優、ロック歌手。代表作は、主演した“Liceenii”(1987)。(http://en.wikipedia.org/wiki/%C5%9Etefan_B%C4%83nic%C4%83%2C_Jr.

 ・Monica Bârlădeanu(Monica Dean)(1978- ) 法律を学ぶために入った大学でミス・トランシルバニアに選ばれ、モデル活動を始める。2004年にティーンエイジ映画“Buds for Life”で映画に挑戦し、続いて出演した映画“Moartea Domnului Lazarescu(The Death of Mr. Lazarescu)”(2005)が国際的に高い評価を受ける。2006年以降、米国に活動の拠点を移し、Monica Deanと改名。「LOST」にゲスト出演したほか、エドワード・ファーロングやマイケル・マドセン主演の映画“Living & Dying”(2007)などに出演している。

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 ・Radu Beligan(1918- ) ルーマニアを代表する舞台俳優の1人。映画でも1940年代から活躍。最近の出演作品は、“Trahir”(1993)、“Dupa-amiaza unui tortionar (The Afternoon of a Torturer)”(2001)など。(http://en.wikipedia.org/wiki/Radu_Beligan

 ・Ion Caramitru(1942- ) 1960年代からルーマニア映画に出演し、1990年代に入って国際的に活動の舞台を広げる。1991年にソダーバーグの『KAFKA/迷宮の悪夢』、1995年にニコラス・ローグの“Two Deaths”、1996年に『ミッション・インポッシブル』、2002年にコスタ・ガブラスの『アーメン』に出演している。

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 ・Gheorghe Dinică(1934- ) ルーマニアで最も有名な俳優の1人で、アメリカ映画への出演は断り、ルーマニアで活動することにこだわっている。ルーマニアのベテラン監督の作品に相次いで出演している。舞台も多い。(http://en.wikipedia.org/wiki/Gheorghe_Dinic%C4%83


 ・Luminiţa Gheorghiu(1949- ) 近頃話題のルーマニア映画に軒並み出演している、最近のルーマニア映画の顔。主な出演作は『コード・アンノウン』(2000)、“Moartea Domnului Lazarescu(The Death of Mr. Lazarescu)”(2005)、“A fost sau n-a fost?( 12:08 East of Bucharest)”(2006)、“4 luni, 3 saptamini si 2 zile(4 Months, 3 Weeks and 2 Days)”(2007)など。“Moartea Domnului Lazarescu”では、トランシルバニア国際映画祭最優秀主演女優賞など多数の賞を受賞している。(http://en.wikipedia.org/wiki/Lumini%C5%A3a_Gheorghiu


 ・George Mihăiţă(?- ) “Veronica”(1972)、“Veronica se întoarce”(1973)、“Ma-ma”(1975)、“Saltimbancii”(1981)、“Promisiuni”(1985)、“La Championne(Reach For The Sky)”(1991)など、エリザベータ・ボスタン監督作品の常連。

 ・Amza Pellea(1931-1983) 1976年の“Osânda”でモスクワ国際映画祭で主演男優賞を受賞。映画と舞台で活躍した。(http://en.wikipedia.org/wiki/Amza_Pellea)


 ・Doroteea Petre(?- ) 2005年“Ryna”で主演デビューして注目を浴び、2006年“Cum mi-am petrecut sfarsitul lumii”に主演し、カンヌ国際映画祭 ある視点部門最優秀女優賞を受賞。今、ルーマニアで最も期待されている若手女優。


 ・Florin Piersic(1936- ) (http://www.imdb.com/name/nm0682726/

 ・Florian Pittiş(1943- ) 主にルーマニアの舞台とテレビで活躍している俳優。カントリー・ミュジシャンでもあり、ルーマニア語でボブ・ディランの曲を歌っていることでも知られる。(http://www.imdb.com/name/nm0685918/)

 ・Elvira Popescu(1894-1993) ブカレスト生まれ。16歳で舞台デビューし、その後、映画に進出。1924年にパリに活動拠点を移し、サシャ・ギトリ“Ils étaient neuf célibataires”(1939)、アベル・ガンス“Paradis perdu”(1940)、“Austerlitz”(1960)、ルネ・クレマン『太陽がいっぱい』(1960)等に出演。テアトル・ド・パリ(1956-65)、マリニー劇場(1965-78)で舞台監督を務めた。80代でも舞台に立ち、99歳で亡くなった。1987年にモリエール賞受賞、1989年にレジオン・ド・ヌールを受勲している。3度結婚し、1度の離婚と2度の死別を経験している。(http://en.wikipedia.org/wiki/Elvira_Popescu)


 ・Victor Rebengiuc(1933- ) ブカレスト生まれ。主な出演作は、“De ce trag clopotele, Mitica?( Why Are the Bells Ringing, Mitica?)”(1981)、“Morometii”(1988)、“The Oak(Balanta)”(1992)、“Prea târziu(Too Late)”(1996)、“Niki Ardelean, colonel în rezerva(Niki and Folo)”(2003)。“Morometii”ではいくつかの国際的な賞を受賞している。(http://en.wikipedia.org/wiki/Victor_Rebengiuc)

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 ・Grigore Vasiliu Birlic(1905-70) 喜劇を中心に活躍した国民的な俳優。(http://en.wikipedia.org/wiki/Grigore_Vasiliu_Birlic)

 ・Tora Vasilescu(1951- ) ルーマニアで有名な女優の1人。(http://en.wikipedia.org/wiki/Tora_Vasilescu)

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 ◇監督

 ・ナエ・カランフィル Nae Caranfil(1960- ) ルーマニアの中堅監督。1990年代にルーマニア映画が国際的に注目を浴びるきっかけを作った監督の1人。
 “ È pericoloso sporgersi”(1994)がMontpellier Mediterranean Film Festivalで批評家賞受賞、“Dolce far niente”(1998)がNamur International Festival of French-Speaking Film 脚本賞受賞、“Filantropica”(2002)がMons International Festival of Love Films ヤング・ヨーロッパ審査員賞受賞、パリ映画祭 Public Prize受賞、Wiesbaden goEast審査員特別賞受賞、Würzburg International Filmweekend 観客賞受賞。そのほかの作品として『巴里に天使が舞いおりる』“Asphalt Tango”(1993)、“Restul e tacere”(2007)がある。
 http://www.cncinema.abt.ro/Personalitati-Detalii.aspx?prn_ID=prn-308


 ・Mircea Daneliuc(1943- ) 40年近いキャリアを持つベテラン監督。自作に俳優として出演したりもしている。国際的に注目され出したのは、1990年代に入ってからで、1993年に“ Patul conjugal”がベルリン国際映画祭のコンペ部門にエントリーされ、1995年に“Senatorul melcilor”がカンヌ国際映画祭のコンペ部門にエントリーされている。近年の作品としては“Ambasadori, cautam patrie”(2003)、“Sistemul nervos”(2005)、“Legiunea straina”(2007)などがある。


 ・クリスティアン・ネメスク Cristian Nemescu(1979-2006) 2007年のカンヌ国際映画祭で、“California Dreamin’(Nesfarsit) ”がある視点部門のグランプリに輝くが、監督自身は前年に交通事故死している。


 ・Nicolas Masson(1973- ) 1996年に中編“Semne in pustiu”、1997年にスリラー映画“Nekro”を発表したルーマニア映画界の新鋭。ドキュメンタリー、PVなどジャンルを問わずに活躍している。

 ・Catalin Mitulescu(1972- ) 2004年短編“Trafic”でカンヌ国際映画祭 短編部門パルムドール受賞、2006年 第一長編“Cum mi-am petrecut sfarsitul lumii ”がカンヌ国際映画祭ある視点部門にエントリーされ、Doroteea Petreに最優秀女優賞をもたらす。ルーマニア映画を代表する俊英の1人。


 ・クリスティアン・ムンジウ Cristian Mungiu(1968- ) 大学では英文学を学び、教師やジャーナリストとして活躍したこともある。ブカレストの映画大学で、映画を学び、映画監督に転身。長編第2作“4 luni, 3 saptamini si 2 zile”が2007年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したこと(ルーマニア初)で一躍脚光を浴びる。


 ・Radu Muntean(1971- ) 2002年 “Furia”がRomanian Union of Filmmakers Award 男優賞受賞(Dragos Bucur)、2006年 “Hîrtia va fi albastrã”がNamur International Festival of French-Speaking Filmで審査員特別賞受賞、Cottbus Film Festival of Young East European Cinemaで監督に特別賞受賞、ロカルノ国際映画祭正式出品。


 ・ジーン・ネグレスコ(1900-1993) パリで舞台の装飾などを手がけた後、1927年に渡米。1934年にスケッチ・アーティストとして映画界入りし、アシスタント・プロデューサー、セカンド・ユニット監督を経て、30年代後半に監督デビューする。1948年の『ジョニー・ベリンダ』で米国アカデミー賞監督賞ノミネート。1953年の『タイタニックの最期』と1954年の『愛の泉』で米監督組合賞にノミネート。『ジョニー・ベリンダ』と1952年の“Phone Call from a Stranger”ではベネチア国際映画祭のコンペティション部門にエントリーされた。他に『仮面の男』(1944)、『深夜の歌声』(1948)、『百万長者と結婚する方法』(1952)、『足ながおじさん』(1955)など


 ・セルジウ・ニコラエスク Sergiu Nicolaescu(1930- ) ルーマニアで最も著名な監督で、フランス映画におけるリュック・ベッソン、ドイツ映画におけるローランド・エメリッヒのような存在だという。戦争映画や歴史大作が得意。特に1970年代~80年代の活躍は目覚しく、ルーマニア映画史に残るような作品を次々と発表した。
 モスクワ国際映画祭に、『虐殺軍団』(1970)、“Osânda”(1976)、“Ringul”(1985)を出品している。アーノルド・シュワルツェネッガーで戦争映画を作る企画もあったが、中止になった。
 その他の作品としては、“TheRevenge(Revansa)”(1978)、“Marin, the Billionaire(Nea Marin Miliardar)”(1979)、“The Mercenaries Trap(Capcana Mercenarilor)”(1980)、“Coroana de Foc(The Crown of Fire)”(1990)、“Mirror, The: The Beginning of the Truth (parts I and II) (Oglinda: Inceputul Adevarului (I-II))”(1993)などがある。
 日本で最初に劇場公開された作品もこの監督の作品で『虐殺軍団』(1970)。

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 ・ロバート・エイドリアン・ペヨ ルーマニア出身の監督。代表作は『エデンへの道 ある解剖医の一日』(1995/独)、『R.I.P.ジョー・コールマンの肖像』(1997/オーストリア)。


 ・ルチアン・ピンティリエ Lucian Pintilie(1933- ) ルーマニアを代表する映画監督。
 カンヌ国際映画祭コンペティション部門には1994年に“An Unforgettable Summer”、1996年に“Prea târziu”を出品、ベネチア国際映画祭コンペティション部門には1998年に『天国への最終駅』“Terminus paradis”、2001年に“Dupa-amiaza unui tortionar”に出品し、『天国への最終駅』で審査員特別賞を受賞。世界の40人の監督が競作したオムニバス映画『キング・オブ・フィルム 巨匠たちの60秒』“Lumière et compagnie”でルーマニア代表として参加。2004年のピサロ映画祭でレトロスペクティブが組まれた。
 『天国への最終駅』はシネフィルイマジカで放映されたことがある。
 参考:http://romania-on-line.net/whoswho/PintilieLucian.htm

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 ・ダン・ピッツァ(1938- ) 1960年代から毎年のように精力的に新作を発表しているベテラン監督。“Pas în doi”(1985)ではベルリン国際映画祭で名誉銀熊賞を受賞、“Omul zilei”(1997)ではモンペリエ地中海映画祭でゴールデン・アンティゴネー特別賞を受賞している。1987年にはベルリン国際映画祭の審査員も務めた。
 そのほかの作品には、“The Stone Wedding ”(1972)、“Pepe si Fifi ”(1994)、“My Name Is Adam ”(1996)、“Femeia visurilor”(2005)、“Second-Hand”(2005)などがある。

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 ・Corneliu Porumboiu(1975- ) 2003年に短編“ Calatorie la oras”がカンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門(学生映画部門)で第2位、2006年の第一長編“A fost sau n-a fost?( 12:08 East of Bucharest)”が2006年トランシルバニア映画祭グランプリ&最優秀ルーマニア映画受賞、2006年カンヌ国際映画祭カメラドール&Label Europa Cinemas受賞

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 ・Cristi Puiu(1967- ) 2001年に短編“ Marfa si banii”がいくつかの国際映画祭で上映されて注目を浴び、2004年 短編“ Un cartus de kent si un pachet de cafea”がベルリン国際映画祭で短編部門金熊賞&最優秀ヨーロッパ短編映画賞受賞、2005年には第一長編“Moartea domnului Lazarescu”でカンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ獲得。この作品では、トランシルバニア国際映画祭で監督賞・最優秀ルーマニア映画・国際批評家連盟賞・観客賞受賞など、国際映画祭で数々の賞を受賞している。
 脚本家としても有能で、2003年に“Niki Ardelean, colonel în rezerva”、2006年に“Offset”の脚本に参加している。


 ・マーセル・ド・サノ(1897-1939) 父親がルーマニアの美術家。第一次世界大戦勃発時はパリの大学で学んでいたが、飛行隊に志願。戦後、米国に移住し、映画監督となった。代表作は『妖婦か処女か』(1920/米)、『危ない瞬間』(1921/米)。

 ・Ruxandra Zenide(1975- ) 2003年 短編“Green Oaks”、2005年第一長編“Ryna”がともに国際映画祭で話題になった注目の女性監督。

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 へえ~、この人がルーマニア人なんだ?!という発見がいくつかはあったんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。 

 ◆参考サイト
 ・Wikipedia List of Romanians:http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Romanians
 ・Mari Români:http://www.mariromani.ro/top100.php 検索していてたまたまみつけたサイト。ルーマニア語なのでよくわかりませんが、偉大なるルーマニア人 ベスト100というようなものだと思われます。最初の10人がなぜないのか、どこか別のところにあるのかもわかりません。

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この記事へのコメント

2007年06月23日 06:22
はじめまして。
ルーマニアの映画をかなり詳しく調べられたようで、すごいですね。
1970年代あたりは、共産主義もそんなに強くなく、良い映画なども作られていたそうです。
が、その後、ダメになってしまったそう。
これで、また良い映画が作られるようになるといいのですが。

それと、ルーマニア人 ベスト100のtop10は、
http://www.mariromani.ro/primapagina.php
の方にあるようです。

umikarahajimaru
2007年06月23日 08:08
マリチカさま
コメントありがとうございました。
教えていただいたサイトも見てみました。この中には映画関係の人はいないみたいなので、とりあえずは最重要人物をとりこぼしてはいないらしいとわかりホッとしました。

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