『アッシャー家の崩壊』 ヤン・シュヴァンクマイエル

 エドガー・アラン・ポーにとって、『アッシャー家の崩壊』は、自身の死と妻ヴァージニアの死を予感し、生きることの苦悩を象徴的に描いた作品だったようですが、シュヴァンクマイエルはこの作品をもうちょっと違う風にとらえたようです。

 前半


 後半


 ストーリー(字幕)を追っていくと、なかなか映像までは目に入ってきませんが、おそらくストーリーを追うのに1回、じっくり映像を見るのにもう1回は観る、というのがこの作品の正しい鑑賞の仕方なのだろうと思われます。

 【物語】 私は、幼なじみのロデリック・アッシャーが病気で伏せっているというのを聞いて、数週間の滞在予定で、彼の屋敷に彼を見舞いに行った。
 アッシャー家は、兄妹の2人暮らしだったが、どちらも病を患っており、特に妹のマデラインが重病で、死期も近いらしい、と聞かされる。
 ロデリックのバラードなどを聴いて、数日間、旧交を温めていたが、私の滞在中に、とうとうマデラインは死んでしまう。
 妹の死で、すっかり参ってしまったらしいロデリックだったが、気分を変えようとしたのか、エセルレッドの冒険譚である『キャニングの狂おしい出会い』という物語を話し始める。
 その物語のさなか、物語に呼応するような物音や叫び声が聞こえてくる。
 ロデリックは、驚いた風でもなく、妹を生きたまま埋葬してしまったこと、そしてその妹がいまその扉の向こうに私を責めるためにやってきていると話す。
 扉が開くと、確かにそこにはマデラインが立っている。彼女は一瞬敷居に立ち止まったかと思うと、兄の方に向かい、彼の元へと倒れこんでくる。その瞬間、ロデリックもまた息絶えてしまう。
 主を失ったアッシャー家は、長い叫びのような轟音とともに、黒い沼に飲み込まれていくのだった。

 ※『アッシャー家の崩壊』は、青空文庫で丸ごと読むことができます(http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000094/files/882.html)。文体が硬いので、ちょっと読みにくいのですが……。

 棺、埋葬、椅子、地下室、朽ちていく家、など、本作はシュヴァンクマイエルらしいモチーフがふんだんに見て取れる作品になっています。

 本作には、一切、人間は登場しませんが、ロデリックの象徴として1つの椅子が使われています。
 ラストでは、たくさんの椅子(や家具)が“沼”に落ちていきますが、椅子を人間の象徴と考えると、あれは、ロデリックとマデライン、そして屋敷に仕えていた使用人たち、ということになるのでしょうか(ロデリックとマデラインが屋敷に2人きりで生活していたとはとても思えないので何人かの使用人は一緒に暮らしていたと思われます)。
 ちなみに、アッシャー家の人々や「私」は、そもそも最初から人間ではなく、椅子や家具だった、という可能性もあります。とすれば、シュヴァンクマイエル流の『アッシャー家の崩壊』とは、椅子や家具が屋敷ごと崩壊していく物語、だったんですね~(笑)。(な~んて、冗談めかしてますが、後で述べる「無機物にも知覚はある」から考えると、案外、当たらずといえども遠からず、なのかもしれません。)

 本作は、『アッシャー家の崩壊』をそのまま映像化するというより、物語の各場面からシュヴェンクマイエルが想起した(と思われる)イメージを、実写およびアニメーションで表現してみせたもの、と考えることができますが、屋敷の景観を見せるシーンなどはほぼ実写と言っていいものですし、マデラインの埋葬や嵐などはかなり即物的な表現がなされています。

 ちょっと意味が汲み取りにくいと思われるのは、ロデリックが語る「古の宮殿に関するバラード(詩「魔の宮殿」)」の部分で、このバラードに対応する映像としては、「窓の外から投げ込まれた粘土が複雑な乱舞を繰り広げる様子」、が映し出されます。
 「魔の宮殿」は、アッシャー家の運命を予言したもの、なのかもしれないのですが、バラードの内容と粘土の乱舞がうまく噛み合っていないように見えますし、また、それが外から投げ込まれたものである、ということの意味もよくわかりません。
 シュヴァンクマイエル本人は、この作品で「触覚的感情を呼び起こすことに取り組んでいる」というような発言をしていて、それがまさにこの部分を指しているらしいのですが、その肝心の部分がよくわからないんですね。(『シュヴァンクマイエルの世界』p164-165参照!)

 まあ、それはともかく、本作で、(触覚的芸術以外で)特に重要と思われるのは、以下の部分です――

 無機物にも知覚はある
 彼のこの強い信念は
 先祖代々の館の灰色の石と関わりがあった
 知覚を持つに至る条件は
 これらの石の配置や
 石を覆うコケや
 まわりに立つ朽ち木が
 長く同じ配置で維持され 沼に映ることにある
 沼の水や石壁に潜む
 独特のたたずまいが
 生物のような知覚を生みだし
 幾世紀にもわたって
 彼の一族のさだめを作り
 アッシャー家に住む者に暗い影響を及ぼしていると
 彼は語った

 つまり、アッシャー家の館そのもの(もしくは、館とその周辺が放つ暗い意思のようなもの)が、主人であるアッシャー家の兄妹の精神を衰弱させ、死に至らしめようとしているということになるのでしょう。

 「無機物にも知覚はある」を「無機物にも生命は宿る」と解すれば、まさにシュヴァンクマイエルがこれまでやってきたことに通じるわけで、シュヴァンクマイエル自身は、この作品を撮るに当たって、前作『オトラントの城』でのトラブルから新作が作れなくなっていたのを、題材として何か文学の古典を選ぶことを条件に活動再開を許可された、というようなことを語っていますが、この作品もまたシュヴァンクマイエルの世界観を新たに押し進め、展開した作品であった、と考えることができます。

 隔絶された空間に閉じ込められること(閉塞性)、棺、生きたまま埋葬されること、などは、シュヴァンクマイエルが好んで自分の作品に用いる、彼の強迫観念でもあります。

 ベドジフ・グラセルは、この作品で初めてシュヴァンクマイエルと組んだアニメーション担当で、これ以降、シュヴァンクマイエルは彼の協力を得て、『男のゲーム』『闇・光・闇』などクレイ・アニメーションの傑作を連発していくことになります。

画像

 ◆作品データ
 1980年/チェコスロバキア/15分40秒
 チェコ語台詞あり/日本語字幕あり
 実写+アニメーション

 *この作品は、DVD『『ドン・ファン』その他の短編』に収録されています。

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 ◆監督について
 ヤン・シュヴァンクマイエル
 1934年 プラハ生まれ。
 1942年 クリスマス・プレゼントとして人形劇のセットもらい、以後、人形に魅せられるようになる。
 1954年 プラハの芸術アカデミー演劇学部人形学科に入学する。
 1960年 セマフォル劇場で仮面劇を上演。
 1962-64年 視覚芸術ラテルナ・マギカに演出家として加わる。ここで初めて映画と出会う。
1964年 ラテルナ・マギカを離れ、以降は、フリーの立場で活動。
 1964年 最初の短編『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』を制作
 1970年 シュルレアリスト・グループのメンバーとなる。

 当局による改変要求を受け付けず、上映禁止や国内で映画が撮れないという状況を度々経験しながらも、映画制作を続け、今ではチェコ・アニメを代表する映画作家の1人となっています。

 国際的な評価としては―
 カンヌ国際映画祭には、これまで 『J・Sバッハ G線上の幻想』(1965)、 『レオナルドの日記』(1972)、 『男のゲーム』(1988)と3度短編部門のコンペに出品し、 『J・Sバッハ G線上の幻想』でグランプリを受賞。
 ベルリン国際映画祭には、 『対話の可能性』(1982)を短編部門のコンペに出品し、金熊賞(グランプリ)を受賞。 『闇・光・闇』(1989)では名誉賞を受賞。
 そのほか、 『棺の家』(1966)でマンハイム国際映画祭ジョゼフ・フォン・スタンバーグ賞受賞、 『陥し穴と振り子』(1983)でモントリオール国際映画祭短編部門作品賞を受賞しています。

 日本でのチェコ・アニメやアート・アニメーションが続々と公開されるようになったのは、ヤン・シュヴァンクマイエル作品が契機になったと言ってもいいほどで、現在でもシュヴァンクマイエルは監督名だけである程度のお客さんが見込めるほとんど唯一のアニメーション作家だと言っていいと思われます。

 ・1964年 『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』 11分43秒
 ・1965年 『J・Sバッハ G線上の幻想』 9分49秒
 ・1965年 『石のゲーム』 9分
 ・1966年 『棺の家』 10分19秒
 ・1966年 『エトセトラ』 7分15秒
 ・1967年 『自然の歴史(組曲)』 8分55秒
 ・1968年 『庭園』 16分50秒
 ・1968年 『部屋』 13分05秒
 ・1969年 『ヴァイスマンとのピクニック』 11分05秒
 ・1969年 『家での静かな一週間』 20分14秒
 ・1970年 『ドン・ファン』 32分45秒
 ・1970年 『コストニツェ』 10分29秒
 ・1971年 『ジャバウォキー』 13分52秒
 ・1972年 『レオナルドの日記』 11分44秒
 ・1973-79年 『オトラントの城』 17分57秒
 ・1980年 『アッシャー家の崩壊』 15分40秒
 ・1982年 『対話の可能性』 11分45秒
 ・1982年 『地下室の怪』 15分20秒
 ・1983年 『陥し穴と振り子』 14分55秒
 ・1987年 『アリス』 84分30秒
 ・1988年 『男のゲーム』 14分35秒
 ・1988年 『アナザー・カインド・オブ・ラヴ』 3分33秒
 ・1989年 『肉片の恋』 1分05秒
 ・1989年 『闇・光・闇』 7分30秒
 ・1989年 『フローラ』 30秒
 ・1990年 『スターリン主義の死』 9分45秒
 ・1992年 『フード』 17分
 ・1994年 『ファウスト』 96分
 ・1996年 『悦楽共犯者』 82分40秒
 ・2000年 『オテサーネク』 127分
 ・2006年 『ルナシー』 123分

 当ブログでは、ヤン・シュヴァンクマイエルについて、かなり突っ込んで書いているので、詳しくは以下の記事を参考にしてください。

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 本と作品

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 日本公開史

 ・もっとシュヴァンクマイエル スタッフ&カンパニー篇

 ・もっとシュヴァンクマイエル テーマ&モチーフ篇

 ・造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル展

 ・チェコ映画祭2006、または、エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 2007年 夏! 

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