10分でわかるチェコスロバキア戦後史 ヤン・シュヴァンクマイエル 『スターリン主義の死』

 チェコスロバキアの政治状況に翻弄され続けた映画作家ヤン・シュヴァンクマイエルによる「スターリン主義の死」。だから、作品の内容も、皮肉に満ちて、辛辣なもの。そういうイメージがあったのですが、今回、新たに、見直してみて、印象が変わってきました。

 

 【物語】
 大きな建物が崩壊する。~第二次世界大戦のイメージ?

 壁に次々と弾痕ができていく。

 “1945年5月9日 プラハ解放”~ソ連軍によるプラハ解放

 “ユリウス・フチーク 警戒を怠るな”~ユリウス・フチークは、共産党員でもあったジャーナリストで、ナチスに対する地下運動をして、1942年に逮捕され、翌年処刑された。

 スターリン像がメスで切り開かれ、中からクレメント・ゴットヴァルトの像が取り出される。
 「同士諸君、労働者の大統領が誕生した」
 “1948年2月25日 チェコ革命”~チェコスロバキア共産党のクーデターによって、共産党政権が成立。

 絞首刑のイメージ
 熱狂する群集

 粘土で型が取られ、型通りの人間が量産され、ベルトコンベアに乗せられていく。
 生まれた人間はベルトコンベアの端から落とされると、自力で歩いていくが、すぐ絞首刑となる。

 計画の達成を示す折れ線グラフが順調な伸びを見せる、と思ったそばから迷走を始める。

 骸骨がスターリンの顔写真を食い破っていく。
 骸骨がゴットヴァルトの顔写真を食い破っていく。

 とうもろこしの粒の下からフルシチョフの顔写真が現れる。~フルシチョフがスターリン批判をし、食料生産に力を注ぐ。

 フルシチョフの顔写真が丸められて、ブレジネフの顔写真が現れる。

 “1968年 プラハの春”

 ブレジネフの顔にスターリンと同じひげが生える。

 引き出しから出された“のし棒”が転がっていく。
 様々なサイズの“のし棒”が転がっていき、いろんなものをつぶしていく。~大統領グスタフ・フサークによる“正常化”体制。
 壁に次々と銃痕ができていく。
 “1968年8月21日 プラハの春弾圧”~ワルシャワ条約機構軍の介入。

 骸骨がブレジネフの顔写真を食い破っていく。

 “真の社会主義”

 グスタフ・フサークの口から次々とパンが飛び出してくる。

 ピルスナー・ウルケル(ピルゼン・ビール)のラベル

 アンドロポフ、チェルネンコ、と次々と顔写真が丸められた後、ゴルバチョフの顔写真が現れる。

 “ペレストロイカ”

 器械体操が、様々な倒錯的性愛のイメージと重ねられていく。~規律社会から性・風俗の乱れへ、というイメージ?

 紙幣が次々と~物価高騰のイメージ?

 ロウソク、鍵束~隠されていたところが明らかにされ、閉ざされていたところが解放されていくイメージ?

 顔写真が現れては、丸められるイメージ(3つ目の顔写真はグスタフ・フサーク)
 丸められた紙が陳列ケースからこぼれて転がっていく。

 多くの群集がチェコの三色旗を振っている。~ビロード革命。三色旗は、1920年から使われているチェコスロバキアの国旗で、赤白のボヘミアの紋章がポーランドの国旗と同じなので、スロバキアとモラビアをイメージする青い三角を加えたもの(赤がボヘミアで、白がモラビア、青がスロバキアという説もある)。

 様々なものが三色旗と同じ色に染められていく。

 スターリン像も三色に塗られていく。

 スターリン像がメスで切り裂かれ、中に手が突っ込まれる。

 暗転。クレジット。赤ん坊の泣き声が聞こえる。

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 チェコスロバキアの戦後史については、よく知らない、というか、この作品を通して、初めて知ったようなところがあるので、よくわからない部分もありますが、この作品で描かれているようなことに関しては多少調べてもみて、上に書いた【物語】で「~」の後に若干の解説コメントを加えてみました。

 でも、“ペレストロイカ”の部分で、ゴルバチョフの隣に顔写真が掲げられている人が誰かわからなかったりもするのですが……。

 念のために、チェコスロバキアの戦後史を彩るいくつかの顔をここで示しておくと――

 ・クレメント・ゴットヴァルト(1896-1953)
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 チェコスロバキア大統領(1948-53)。
 チェコスロバキア共産党創設時からのメンバーで、1929年に第一書記となり、戦後、連立政府で副首相・共産党議長に就任。1946年に首相、1948年に大統領となり、スターリン主義者として独裁政権を築いた。

 ・グスタフ・フサーク(1913-1991)
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 チェコスロバキア共産党第一書記(1969-1987)、大統領(1975-1989)。
 スロバキア共産党員として、ナチス支配下でスロバキア民族蜂起に参加。
 戦後、スロバキア共産党の指導者として、共産党体制確立に貢献するが、1950年代の粛清の嵐の中で「ブルジョワ民主主義者」として終身刑を宣告される。1963年に名誉回復。
 1968年に政界復帰。改革派と見られていたが、ドゥプチェクに代わって共産党第一書記に就任すると、反体制派の弾圧し、「正常化」路線を進める。
 1989年の改革機運が高まる中で共産党第一書記を退き、ビロード革命で大統領を辞任する。

 ・ヴァーツラフ・ハヴェル(1936- )
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 1989-92年 チェコスロバキア大統領、1993-2003年チェコ共和国大統領。
 「正常化」時代に反体制運動を行ない、反体制運動の指導者的存在となり、何度となく逮捕される。ビロード革命後、大統領に就任。
 劇作家でもあり、自らの劇団も組織し、俳優としても活躍した。

 ・アレクサンデル・ドゥプチェク(1921-92)
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 1968年1月にチェコスロバキア共産党第一書記に選出され、「人間の顔をした共産主義」と呼ばれる改革運動を推進しするが、ワルシャワ条約機構軍に介入され、挫折(プラハの春)。しばらくはそのまま共産党第一書記の座にとどまるが、69年4月に辞任に追い込まれる。1989年のビロード革命では、ヴァーツラフ・ハヴェルの市民フォーラムを支援して、政界に復帰し、共産党体制崩壊後の連邦議会議長に就任。1992年にチェコスロバキア社会民主党の党首に就任、総選挙で連邦議会議長に再選される。

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 この作品を最初に観た時は、戦後のチェコスロバキア史を、アニメーションを用いつつ、様々なイメージや記号を使って、皮肉ったり、あてこすったりした作品、という印象で、他には、このような直接的な皮肉やあてこすりが見られる作品はないので、彼のフィルモグラフィーの中では、この作品は際立って異色であるかのように感じられていました。

 シュヴァンクマイエル自身が、(この作品についてではなく、作品全般に関して)、自分がやっていることは、皮肉や揶揄、あてこすり、ブラック・ジョークなどの類ではない、と言っていることもありますが、見直してみると、どうもこの作品についてもそれが当てはまるような気がしてきました。すなわち、この作品も、皮肉や揶揄、あてこすり、ブラック・ジョークなどの類ではなく、ましてや、民主化への賛歌などとは全然違う、ということです。

 確かに、作品自体はチェコスロバキアの戦後史をベースにしているのですが、(個々の作品について深く考えていくうち)シュヴァンクマイエルがこの作品でやりたかったのは、チェコスロバキアの歴史をアニメーションを使って象徴的に描いてみせることではなく、指導者や政権、国家というものを通して、『自然の歴史(組曲)』と同じこと、つまり、何らかの“イメージや概念の「滅び」(あるいは、何かが何か別の物に取って代わること)”を描きたかったのではないか、そう感じられてきたんですね。
 「滅び」を「朽ちていく」と言い換えれば、『J・S・バッハ G線上の幻想』や『フローラ』にもイメージはつながってきますし、「何かが何か別の物に取って代わること」であれば、『自然の歴史(組曲)』そのものですし、『自然の歴史(組曲)』の各パートで、それぞれの生き物が最後に人間に食べられてしまうのと、指導者の顔写真が骸骨に食い破られてしまうというのが、イメージ的に重なるということもあります。

 シュヴァンクマイエルが「滅びの美学」に魅せられているという指摘は前からありましたが、実際にシュヴァンクマイエルが魅せられているのは、「滅びの美学」ではなく、「滅び」そのもので、この作品からもそれを感じ取ることができます。

 本作の邦題は、『スターリン主義の死』(英題では、“The Death of Stalinism in Bohemia”(原題からの直訳))で、何かと「スターリン主義」の方に目がいってしまいがちですが、案外、重要なのは「死」の方、なのかもしれません。

 なお、この作品については、<BBCが今ボヘミアで起こっていることについて映画にしないかと言ってきたというところから企画が始まり、一度は断ったものの、他の作品と同じ想像力の経路を通じて完成させた、とはいうものの、この作品はプロパガンダ以上のものではなく、他の作品より急速に古くなっていくだろう>とシュヴァンクマイエル自身が語っています(『シュヴァンクマイエルの世界』p65)

 ◆作品データ
 1990年/英・独・チェコ/9分45秒
 チェコ語台詞あり/日本語字幕あり
 アニメーション

 *この作品は、DVD『ヤン・シュヴァンクマイエル 短篇集』に収録されています。

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 ◆監督について
 ヤン・シュヴァンクマイエル
 1934年 プラハ生まれ。
 1942年 クリスマス・プレゼントとして人形劇のセットもらい、以後、人形に魅せられるようになる。
 1954年 プラハの芸術アカデミー演劇学部人形学科に入学する。
 1960年 セマフォル劇場で仮面劇を上演。
 1962-64年 視覚芸術ラテルナ・マギカに演出家として加わる。ここで初めて映画と出会う。
1964年 ラテルナ・マギカを離れ、以降は、フリーの立場で活動。
 1964年 最初の短編『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』を制作
 1970年 シュルレアリスト・グループのメンバーとなる。

 当局による改変要求を受け付けず、上映禁止や国内で映画が撮れないという状況を度々経験しながらも、映画制作を続け、今ではチェコ・アニメを代表する映画作家の1人となっています。

 国際的な評価としては―
 カンヌ国際映画祭には、これまで 『J・Sバッハ G線上の幻想』(1965)、 『レオナルドの日記』(1972)、 『男のゲーム』(1988)と3度短編部門のコンペに出品し、 『J・Sバッハ G線上の幻想』でグランプリを受賞。
 ベルリン国際映画祭には、 『対話の可能性』(1982)を短編部門のコンペに出品し、金熊賞(グランプリ)を受賞。 『闇・光・闇』(1989)では名誉賞を受賞。
 そのほか、 『棺の家』(1966)でマンハイム国際映画祭ジョゼフ・フォン・スタンバーグ賞受賞、 『陥し穴と振り子』(1983)でモントリオール国際映画祭短編部門作品賞を受賞しています。

 日本でのチェコ・アニメやアート・アニメーションが続々と公開されるようになったのは、ヤン・シュヴァンクマイエル作品が契機になったと言ってもいいほどで、現在でもシュヴァンクマイエルは監督名だけである程度のお客さんが見込めるほとんど唯一のアニメーション作家だと言っていいと思われます。

 ・1964年 『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』 11分43秒
 ・1965年 『J・Sバッハ G線上の幻想』 9分49秒
 ・1965年 『石のゲーム』 9分
 ・1966年 『棺の家』 10分19秒
 ・1966年 『エトセトラ』 7分15秒
 ・1967年 『自然の歴史(組曲)』 8分55秒
 ・1968年 『庭園』 16分50秒
 ・1968年 『部屋』 13分05秒
 ・1969年 『ヴァイスマンとのピクニック』 11分05秒
 ・1969年 『家での静かな一週間』 20分14秒
 ・1970年 『ドン・ファン』 32分45秒
 ・1970年 『コストニツェ』 10分29秒
 ・1971年 『ジャバウォキー』 13分52秒
 ・1972年 『レオナルドの日記』 11分44秒
 ・1973-79年 『オトラントの城』 17分57秒
 ・1980年 『アッシャー家の崩壊』 15分40秒
 ・1982年 『対話の可能性』 11分45秒
 ・1982年 『地下室の怪』 15分20秒
 ・1983年 『陥し穴と振り子』 14分55秒
 ・1987年 『アリス』 84分30秒
 ・1988年 『男のゲーム』 14分35秒
 ・1988年 『アナザー・カインド・オブ・ラヴ』 3分33秒
 ・1989年 『肉片の恋』 1分05秒
 ・1989年 『闇・光・闇』 7分30秒
 ・1989年 『フローラ』 30秒
 ・1990年 『スターリン主義の死』 9分45秒
 ・1992年 『フード』 17分
 ・1994年 『ファウスト』 96分
 ・1996年 『悦楽共犯者』 82分40秒
 ・2000年 『オテサーネク』 127分
 ・2006年 『ルナシー』 123分

 当ブログでは、ヤン・シュヴァンクマイエルについて、かなり突っ込んで書いているので、詳しくは以下の記事を参考にしてください。

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 本と作品

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 日本公開史

 ・もっとシュヴァンクマイエル スタッフ&カンパニー篇

 ・もっとシュヴァンクマイエル テーマ&モチーフ篇

 ・造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル展

 ・チェコ映画祭2006、または、エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 2007年 夏!  

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