FEMIS(フランス国立映画学校)短編集@ユーロスペース

 フランス映画をこまめに観ていけば、よく目にすることになるFEMISの文字。
 FEMISとはフランス国立映画学校(Ecole Nationale Supérieure des Métiers de l'Image et du Son)のことで、前身はIDHECになります。
 FEMISの創立は、1986年で、2006年は創立20周年に当たり、パリのシネマテークで上映会があったり、743もの作品梗概のついた記念の年鑑も発刊されたそうです。

画像

 FEMISで制作された2000以上の短編からのセレクションは、フランス以外でも、メキシコ、ニューヨーク、キエフ、ロンドン、テヘラン、ブエノスアイレス、プラハ、サンクト・ペテルスブルグ、ベルリン、ミュンヘン、バルセロナ、マラケシュでも上映され、東京での上映が、フランス映画祭2007(http://www.unifrance.jp/festival/index_pc.php)の中の「FEMIS短編集」でした。

 「FEMIS短編集」には、フランソワ・オゾンの未公開の短編“Une rose entre nous”もあったので、これは是非観なくてはと思い、会場となったユーロスペースで観てきました。

 上映作品は7作品で――
 ・『Yes と言って、No と言って』 “Dis-moi oui, dis-moi non”(1998 年/17 分、台詞あり/英字幕) 監督:ノエミ・ルヴォヴスキー
 ・『引きこもり』 “Rétention”(1997 年/14 分、台詞はわずか/字幕なし) 監督:マリナ・ドゥ・ヴァン
 ・『リュックによると人生とは』 “La vie selon Luc”(1991 年/15 分、台詞あり/英字幕) 監督:ジャン=ポール・シヴェラック
 ・『ヴァカンス』 “Les vacances”(1997 年/17 分、台詞あり/日本語字幕) 監督:エマニュエル・ベルコ
 ・『嵐』 “Tempête”(2004 年/?分、台詞なし/字幕なし) 監督:ニコライ・ホメリキ
 ・『ピンク・カウボーイ・ブーツ』 “Pink Cow Boys Boots”(2005 年/11 分、台詞あり/字幕なし) 監督:マリア・ラレア
 ・『僕らの間にあるバラ』 “Une rose entre nous”(1994 年/27 分、台詞あり/英字幕) 監督:フランソワ・オゾン

 英字幕での上映ということもあって、上映前にそれぞれの作品に関する日本語資料が配布されたんですが、公式サイトで示されているものと同じで(と言っても事前には読まなかったのですが)、あまり参考にはなりませんでした。
 だから台詞で進行するような『Yes と言って、No と言って』や『リュックによると人生とは』は英字幕を追うのに一所懸命で、なかなか映像に集中できず、特にたくさんの人物が出入りする前者の方は物語や人物関係がよく飲み込めないうちに終わってしまいました。

 収穫は、『引きこもり』『ヴァカンス』『僕らの間にあるバラ』の3本。

 『ヴァカンス』はささやかな日常と母娘それぞれの思いを切り取った秀作として優れていて、『僕らの間にあるバラ』はフランソワ・オゾンのフィルモグラフィーの間隙を埋める作品として面白かったんですが、何と言っても強烈だったのはマリナ・ドゥ・ヴァンの『引きこもり』! 明らかに他の監督とは資質が違っていて、その異色な個性が際立ってしました。

--------------------------------

 ・『Yes と言って、No と言って』 “Dis-moi oui, dis-moi non”(1998 年/17 分、台詞あり/英字幕) 監督:ノエミ・ルヴォヴスキー Noémie Lvovsky

 【物語】(この作品については、内容をつかみかねたので、公式「日本語資料」の作品紹介をそのままコピーしておきます。)
 セシル(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)は、自分の気持ちがわからず、何も自分で決めることができない。彼女は、恋人のロランに、グルノーブルに行くことを誘われているが、やはり、自分では決められない。セシルの女友達、マリー(エマニュエル・ドヴォス)は、以前の恋人フレデリック(エマニュエル・サランジェ)と今の恋人ステファンとの間で揺れ動いている。フレデリックは、セシルとマリーの共通の愛人だ。しかし、セシルの短く、自分を危険にさらさない言葉の繰り返しの中で、彼女たちの会話は、1 人のフレデリックが、まるで2 人存在するかのように進んでいく。ところが、ふとした言葉のやり取りから、セシルの秘密が明らかに…。

画像 【コメント】 ノエミ・ルヴォヴスキーは、キャストのアンサンブルを楽しむような作品を得意とするようで、本作でもそうなのですが、上のあらすじを1回読んだだけでは物語や人間関係がよく飲み込めないように、本作を何の予備知識もなく、英字幕を追いかける形で観た場合はやはり思いっきり混乱してしまいます。

 上には「彼女たちの会話は、1 人のフレデリックが、まるで2 人存在するかのように進んでいく」とありますが、これも観る者を混乱させてしまいます。
 キャストは、知名度のある人ばかりだし、機会があれば、もう一度じっくり観てみたいとも思うのですが。

 ノエミ・ルヴォヴスキーは、初長編である『私を忘れて』(1995)が1997年に東京日仏学院のカイエ・デュ・シネマ週間で上映された後、2000年5月の<アニエスb.は映画が大好き パート2>でも上映されました(今回のフランス映画祭でも上映されました)。

 ノエミ・ルヴォヴスキーは、本作でミュンヘン国際学生映画祭で審査員特別賞を受賞したのをはじめ、“La Vie ne me fait pas peur”(1999)でジャン・ヴィゴ賞作品賞、“Les Sentiments”(2003)でル・デリュック賞を受賞しているほか、さまざまな映画祭の常連になっています。

 ノエミ・ルヴォヴスキーは、FEMIS出身のほかの同様、女優としても活躍していて、ヨランド・ゾーデルマンの『L.S.D. LOVE,SEX&DRUG』(1996)やイヴァン・アタルの『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』(2001)、アルノー・デプレシャンの『キングス&クイーン』(2004)などの作品に出演しています。

--------------------------------

 ・『引きこもり』 “Rétention”(1997 年/14 分、台詞はわずか/字幕なし) 監督:マリナ・ドゥ・ヴァン Marina de Van

 【物語】 主人公(マリナ・ドゥ・ヴァン)は、トイレの窓を黒いカーテンでふさぎ、赤い間接照明をつけて、便座にしゃがむ。そして、数珠を手に身もだえする。
 そのまましばらく座っていた彼女は、やがて水を流すこともなく、トイレから出る。散らかっている部屋の中から食べ物を探し、なにやら黒いシャーベット状の液体をカップに入れ、口に運ぶ。どうやら彼女は激しい便秘に苦しんでいるらしく、腹を下すことで便秘を解消しようとしているらしい。
 しかし、そうやっても願いが叶わない。

 便秘がストレスになるのか、彼女の体には刃物で切ったと思われる切り傷が無数にある。

 外にでかける彼女。
 外出先のトイレに入るが、やはり用を足すことができない。長くトイレにこもり、ノックにも応えないでいると、だんだんノックが激しくなる。いたたまれずに彼女はトイレの窓を破って、そこから外へ脱出する。逃げるように走る彼女のそばには猛スピードで車が通り過ぎていく。

 再び、家のトイレ。握りしめていた数珠はいつしか割れたガラスに変わり、手は血まみれ。彼女は、自らの腹を切り開いて、自らの手で排泄物をかき出している。彼女の顔には恍惚の表情が浮かぶ。

 彼女の顔は、血まみれのものに変わり、気がつくと、彼女は道路に血まみれで倒れている。彼女が道路に飛び出した時、車に撥ねられ、意識が幻想の世界に飛んでいたらしいのだ……。

 【コメント】 便秘気味の女性の物語だとわかるのに少し時間がかかりますが、それにしてもとにかく異様。こういう物語を映画にしようと考え、自らが主演するのも異様なら、出来上がった作品も異様で、『イン・マイ・スキン』(2002)で強いインパクトを残したマリナ・ドゥ・ヴァン作品だと知っていても、まさかこんな作品だとは思わないので、強烈な衝撃を受けてしまいます。

 衝撃の源は、自ら主演もしているマリナ・ドゥ・ヴァン本人のルックスにも起因していて、何かの気配を感じてキッとその方向をにらむシーンなど、人の気配に気づいて殺気を走らせる野良猫か、ハンターに気づいて威嚇しようと身構える女ヴァンパイア、を思わせたりもします。

 フィルモグラフィー的には、自ら主演して自傷行為をエスカレートさせていく『イン・マイ・スキン』と明らかに世界観の連続性が感じられる作品で、この作品の後に『イン・マイ・スキン』を撮ったのかと思うと、それは違っていて、彼女のフィルモグラフィーにはその間に3本のタイトルが挙がっています(本作は処女短編でもなく、この前に少なくとも2本の作品があります)。怖いもの見たさというか、彼女の他の作品も、ちょっと観てみたくなりますね。どこかでまとめてDVDで出してくれないでしょうか。

画像 マリナ・ドゥ・ヴァンは、FEMISの8期生で、フランソワ・オゾンはその3年先輩にあたりますが、この作品の後で彼とのコラボレーション(『海を見る』『クリミナル・ラヴァーズ』『まぼろし』『8人の女たち』の共同脚本や『海を見る』『ホームドラマ』への出演)が始まっていますから、オゾンもこの作品でマリナ・ドゥ・ヴァンを発見したことになるのでしょう。
 オゾンは、「ぼくにとって映画づくりはカタルシス(浄化)であって、エクソシズム(悪魔払い)でもあるんだ。もし映画を撮っていなかったら、父親を殺して、母親と寝るような人間になっていたかもしれないな」と語っていますが、おそらくマリナ・ドゥ・ヴァン作品にも同じようなものを感じたのではないでしょうか。

 普通の映画監督であれば、まず映画を作ると決めた後でどういう作品にするか決めると思うのですが、マリナ・ドゥ・ヴァンの場合は、そういうことから全く超越しているような気がしますね。100余年の映画史や小ざかしい映画理論など、マリナ・ドゥ・ヴァンという強烈な個性の前では、全然意味がないという気すらします。

 FEMIS20周年記念の小冊子に記載されたマリナ・ドゥ・ヴァンの言葉――
 「FEMISは私に映画の作り方を教えてくれた。FEMISで教わらなかったら、どうしてやったらいいかわからなかった。(略) 私は私の作品やアイデアについて外部の意見を聞くのは好きよ。建設的な批評を聞くのは、大事なことだし、面白いし、ステップ・アップにつながると思う。それなしでは仕事は続けられないわね」

 *参考サイト:http://marinadevan.free.fr/index2.htm

 *関連DVD ・マリナ・ドゥ・ヴァン 『イン・マイ・スキン』
 ・フランソワ・オゾン 『海を見る』
 ・フランソワ・オゾン 『ホームドラマ』
 ・フランソワ・オゾン 『クリミナル・ラヴァーズ』

--------------------------------

 ・『リュックによると人生とは』 “La vie selon Luc”(1991 年/15 分、台詞あり/英字幕) 監督:ジャン=ポール・シヴェラック Jean-Paul Civeyrac

画像 【物語】 「孤独な青年リュックは、セルジュに借りた金を返すため、売春を繰り返している。客として知り合ったベルナールは、彼を手助けしたいが、リュックはそんな彼に冷たく接する。ベルナールは、最終的に、リュックのために、借金の肩代わりまでも申し出る。しかし、自分で密かに金を貯めていたリュックは借金の清算のためセルジュに会いに行く。そこで偶然知り合った年配の男に心を魅かれたリュックは、ベルナールのもとにセルジュを差し向けてしまう。
 セルジュたちに痛めつけられたベルナールをそのままに、家に帰ったリュックは残った金をきれいにしまい直す。」(「日本語資料」より)

 【コメント】 ジャン=ポール・シヴェラックは、FEMISの2期生で、現在はFEMISの教授も務めています。

 ジャン=ポール・シヴェラックは、本作でミュンヘン国際学生映画祭の審査員特別賞を受賞しているほか、“Toutes ces belles promesses”(2003)でジャン・ヴィゴ賞作品賞を受賞しています。

--------------------------------

 ・『ヴァカンス』 “Les vacances”(1997 年/17 分、台詞あり/日本語字幕) 監督:エマニュエル・ベルコ Emmanuelle Bercot

 【物語】 アンヌの同僚がボスに前借りしてきたが、誰にも言わないでくれと言われたとうれしそうにアンヌに話す。アンヌは、「私が前借りするって言ってたのにどうしてそんなことするの? 私が借りられなくなったじゃない」と言って、同僚に噛み付く。

 アンヌは前借りできずに帰宅し、バカンスなのにどこへも行けないことで娘メロディー(イジルド・ルベスコ)に当たり散らされる。「あんたの葉の矯正にお金がかかるのよ」「まだ払っていないくせに」。夫とは死別なのか離婚なのか、アンヌは娘と2人暮らしで、やっとの生活を送っているらしい。

 アンヌは、部屋に遊びに来た友人に「いいスカートね」と言われると、「買わない? ××フランでいいから」と言ってその場で脱いで渡そうとする。友人はそんな切羽詰ったアンヌに気押されるが、アンヌの申し出は断り、食事に来ないかと誘う。

 メロディーは、カフェでゲーム機にコインが残っていないか返却口に指を突っ込んで確認するが、店の人に「あったかい?」と指摘されて、恥かしくなって、店を飛び出してしまう。

 アンヌは、不動産屋に行って、「敷金を返せ!あんな汚い部屋のくせに金を取りすぎだ!」とどなりちらす。不動産屋は「毎日来られても困る。お金は3ヶ月後に払うから帰ってくれ」と言って、アンヌを追い返す。

 メロディーは男の子にお金を貸してと言ってみたりするが、望みはかなえられない。「じゃあオレとつきあうか?」「彼女がいるじゃない」「おまえとつきあった後でまたヨリをもどせばいいさ」

 アンヌは、バカンス前だから特別にということでようやく500フラン借りることができる。

 その帰り、アンヌは、道端でカードを使ったギャンブルをやっているのを見かける。3枚のカードを裏返した後で、シャッフルし、1枚のカードを当てれば、掛け金が倍になるというもの。
 目の前で幸運をつかんでいく客たちを見て、アンヌもカードから目が離せなくなる。
 「絶対これだ」という客がいるが、その客は賭け金が足りない。誰か金を持っていないかと言われて、アンヌはなけなしの500フランを差し出してしまう。
 結果は、負けで、アンヌはようやく借りた500フランを失ってしまう。アンヌは、「これだ」と言った客に文句をつけ、胴元にも「私のお金を返して」とつっかかっていくが、当然返してはもらえない。「いかさまなのよ」と他の見物客によって、引き離され、なだめられる。

 傷心のまま家に戻ると、今夜のメロディーはとても穏やかで、互いに、いろいろあった今日一日のできごとを話すこともなく、ただ寄り添い合う。「昔のセーターを着てるのね」「うん。着心地がいいから好きなの」。そんな娘をアンヌはいとおしく見つめるのだった。

画像

 【コメント】 『なぜ彼女は愛しすぎたのか』(2001)がユーロスペース配給で劇場公開もされているエマニュエル・ベルコの1997年の作品。1998年の『少女』も同じイジルド・ル・ベスコを主演に据えた作品で、設定は異なりますが、本作の続編的な位置づけにあります。

 エマニュエル・ベルコは、元々はダンサーを目指していながら、その途中で演劇に目覚めて、ダンサーを断念し、女優活動を始め、1994年にFEMISに入学した、というキャリアを持っています。

 クロード・ミレールの『ニコラ』やベルトラン・タヴェルニエの『今日から始まる』(1999)、クロード・ルルーシュの“Une pour toutes”にも出演し、自作『なぜ彼女は愛しすぎたのか』では主演もしています。

 本作は、1997年のカンヌ国際映画祭の短編部門で審査員特別賞を受賞し、配給会社ピラミッドにより『少女』とともにフランスで正式に劇場公開されています(今回の上映作品の中で配給会社のクレジットが入っているのは本作だけ)。

 本作は、日本でも2000年5月に<アニエスb.は映画が大好き パート2>で『少女』とともに日本語字幕つきで上映されました。実は、私もこの時に1回観ていたんですが、すっかり忘れていたのでした。

 *エマニュエル・ベルコ作品は、『彼女はなぜ愛しすぎたのか』を含め、残念ながら日本では1作品もDVD化されていません。

--------------------------------

 ・『嵐』 “Tempête”(2004 年/?分、台詞あり/英字幕) 監督:ニコライ・ホメリキ Nikolay Khomeriki

 【物語】 港の船着場に1艘の漁船が横付けされる。漁船を待っていたらしい人々の元へ、船から遺体が降ろされる。遺体を確認して、ワッと泣き出す女性。やがて担架が運ばれてきて、遺体にしがみついていた女性が引き離される。遺体は救急車に収容され、集まっていた人々も散り散りになっていく。

画像

 【コメント】 上に書いたようなことだけの作品で、どこが面白いのかさっぱりわかりません。どうやら1カットによる作品らしいのですが、それにしても制作意図がつかめません。タイトルが「嵐」なので嵐の犠牲者ということなのでしょうが、タイトルに気づかなければ、どういうドラマがあったのかもわかりません。資料には上映時間10分とありましたが、実際は1分くらいしかなかったように思いました(IMDbにも10分となっています)。

 監督のニコライ・ホメリキは、1975年ロシア生まれの監督で、2006年には初長編である『977』でカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品されたということなので、作家性を認められた監督ということなのでしょう。フィリップ・ガレルの『恋人たちの革命』(2005)では助監督を務めてします。

 *参考サイト:http://www.premiersplans.org/premiersplans/05-festival/competition/fiche_fe.php?id=REF1214

--------------------------------

 ・『ピンク・カウボーイ・ブーツ』 “Pink Cow Boys Boots”(2005 年/11 分、台詞あり/字幕なし) 監督:マリア・ラレア Maria Larrea

 【物語】 ラジオ局で働いているオルタンス(マリア・ラレア)は、音響を担当しているジャン=ミシェルのことが好きだが、打ち明けることができない。同僚のシェイエンが、ジャン=ミシェルと親しそうにするのも面白くない。しかし、ピンク・カーボーイ・ブーツの力を借りて、カントリー・ミュージックによるラジオ番組のアイデアを盗んだシェイエンを懲らしめ、ジャン=ミシェルにも愛を打ち明けるのだった。

 【コメント】 引っ込み思案の娘が、思い切って行動したら、全部うまくいっちゃった、といったストーリーで、もうひとひねりあるのかと思ったら、あっさりそこで終わってしまいました。作家主義的なFEMISの作品の中では、乙女チックで、ご都合主義的でもあり、かなりゆるい作品という印象を持ちました。

 例によって、監督自身が主演もしています。

 マリア・ラレア(1979年生まれ)には、まだこの作品しかありません。

--------------------------------

 ・『僕らの間にあるバラ』 “Une rose entre nous”(1994 年/27 分、台詞あり/英字幕) 監督:フランソワ・オゾン

 【物語】 ポールの勤める美容院にローズがやってくる。「黒くして欲しいの」と言って入店したローズは、担当したポールには「赤く染めて欲しい」と言い、出来上がった髪を鏡で見せられると、オーダーと違うと言って怒り出し、お金も払わないで店を飛び出してしまう。ポールはローズを追うが、ローズはあなたがミスしたんだからと言って代金は支払わずに小銭を渡してごまかそうとする。そんなローズをポールは殴るが、ローズはお詫びに今晩ディスコ(Paris by Night)に行かないかとポールを誘う。店に戻ると「逃げられた」と報告するポール。

 その夜、ディスコにやってきたポールの服装を見たローズは、ポールの上着を脱がせてシャツ1枚にし、この方がかっこいいわと言って入店させる。
 ローズは、前からの知り合いなのかロベールという中高年にポールをイギリスからやってきた弟なのと紹介する。ポールを全くかまおうとしないローズに失望する。そんなポールをじっと見つめる中年男性イーヴ。

 ローズは、イーヴにも声をかけて、ロベールのアパートへ行く。
 ローズは、シャワールームでちょっとしたおこづかい稼ぎをしないかと言って、ポールにイーヴと寝るように言う。
 ポールはイーヴとベッドに入るが、抵抗があって、イーヴの求めに応じないでいると、「約束が違う。3000フランも払ったんだぞ」とイーヴ。ポールは、ローズの話とケタが違うのに驚き、イーヴの言うがままにされる。
 一方のローズは、今日は眠いからと言って、ロベールに背中を向けてさっさと寝てしまう。

 翌朝、ポールは「イーヴから全部聞いた、騙したんだな」と言って、ローズに襲い掛かる。ローズの激しい抵抗に遭い、ポールはローズを放り出して、アパートを飛び出す。そんなポールをローズが追う。
 ローズはポールに謝り、アパートに来ないかと誘う。
 アパートへ向かう道すがら何となく気持ちが寄り添っていき、2人はローズのアパートで結ばれる。

 一眠りした後、ポールが先にベッドを出る。部屋を出て行こうとするポールに、「どこ行くの?戻ってくる?」とローズ。「クロワッサンを買ってくるだけだよ」とポール。ローズは、「あのお金なら、みんなあげてもいいのよ」と出て行くポールの背中ごしに声をかける。
 クロワッサンを買ったポールは、しかし、ローズのアパートには戻らず、勤務先の店に向かう。
 何時だと思ってるんだとオーナーには叱られるが、さして気にもとめない。同僚に「昨日、ディスコに行ったんだ」「おまえもようやくディスコ・デビューか」などと言い合い、シャンプーなみれの手でクロワッサンを食べさせあいしようとしたりして、ふざけあう。イーヴのことも、ローズのことも過去のこととして、すっかりふきれたような笑顔を見せるポールだった。

画像

 【コメント】 出会いがあり、ある刺激的な体験をして、心境に変化をもたらし、それが現在の人間関係にも反映されるようになる、というストーリー・ラインは、1996年の『サマードレス』と全く同じです。また、この作品自体が1997年の『ベッドタイム・ストーリーズ』の1編であってもよさそうな物語で、この作品がきっかけとなって、『ベッドタイム・ストーリーズ』のアイデアが生まれたということもありそうです。

 タイトルにある「バラ」はローズのことであり、また、ローズの右肩甲骨のところにあるバラの刺青のことでもあります。

 ローズ役のサーシャ・ヘイルズ『海を見る』でも主演を務めた女性で、女優として活躍しているほか、監督作品や脚本作品(最近はこちらの方が主)もあります。

 共同脚本のNicolas Mercierは、前作『ヴィクトール』でも共同脚本を務めた人物。

 撮影は、おなじみのヨリック・ルソー。

 フランソワ・オゾンは、“トイレの男”として出演もしています。

 *こちら(http://www.francois-ozon.com/english/trailer/a-rose-between-us.html)で作品の一部を観ることができます。

 *当ブログ関連記事:http://umikarahajimaru.at.webry.info/theme/74b34169e3.html

--------------------------------

 FEMISについて。

 1944年に設立されたIDHECを1985年に文化相ジャック・ラングが再編成したもので、1986年創立。ジャン=クロード・カリエールが総長(?)(President)で、ジャック・ガジョスが校長(Director)に就任した。

 最初は7学科(脚本科、監督科、撮影科、録音科、編集科、プロダクション科、セット学科)でスタートし、1992年にscript continuity科(放送台本学科?)、2003年に配給・興行科が設けられた。

 4年制で、1年は基礎科で、映画制作に関する様々なパートを学び、2~3年でそれぞれ専門のコースに進み、4年は専門を生かして卒業制作を行なう。

 現在の教授陣には、例えば、監督科にジャン=クロード・ブリソー、ジャック・ドワイヨン、セドリック・クラピッシュ、エリア・スレイマンら、撮影科には、レナート・ベルタ、カロリーヌ・シャンプティエ、ブルーノ・ニュイッテンら、がいるほか、ウディ・アレン、パトリス・シェロー、アッバス・キアロスタミ、諏訪敦彦らが特別講義を行ったりもしている。

 2005年度の在学生は171名。

 1年間に制作される映画は100本。

 2005年度の予算は10300000ユーロ。

 施設や設備は、撮影スタジオが4つに、録音スタジオが3つ(アナログが2つに、デジタルが1つ)、試写室が3つ、16ミリカメラが11台、35ミリカメラが4台、ベータカムが5台、DVカムが4台などなど。

 今回の上映作品以外のFEMIS出身者には、オリヴィエ・デュカステル(『ジャンヌと素敵な男の子』)、アルノー・デプレシャン、エミリー・ドゥルーズ、ビョン・ヒョク(『スカーレット・レター』)、レティシア・マッソン(『アリスの出発』)、エマニュエル・ムレ(『チェンジ・オブ・アドレス』)などがいます。もちろん、フランソワ・オゾンの撮影監督として知られるヨリック・ルソーなど、監督以外の専門職・技術者も多数輩出しています。

 今回の上映作品を観てもわかりますが、FEMIS出身者はヨコのつながりが強くて、他の監督作品に出演や脚本等で協力し合うことが多く、監督も脚本も俳優もごく普通にこなすような人材がザラにいます。また、そうなるように学校のカリキュラム自体が組まれているということなのでしょう。

 *この記事がなかなか貴重だと思ったら、人気ブログランキングにクリックをお願いします。
 ↓ ↓ ↓ ↓
 

この記事へのコメント

2007年03月26日 13:03
私も観に行きましたよー。
日本語字幕がないのはやっぱりつらかったですー。
そんな中で、言葉を要しないマリナ・ドゥ・ヴァン作品は強烈でしたね。
『イン・マイ・スキン』を観る勇気はないけれど。
オゾン作品が主な目当てだったんですが、彼が出演もしていたなんて気づかなかったっす。
ついでに、同じビルでやっていた日本の「Water」も観ました。
偶然にもこちらの撮影監督もFEMIS出身のヨリック・ル・ソー。
umikarahajimaru
2007年03月26日 21:59
かえるさま
「ついでに『Water』も」って、フランス映画祭からみで尋常ではない本数のフランス映画をご覧になったんですね。凄い!
『Water』の撮影監督がヨリック・ルソーになったのは、たぶん吉武さんあたりがコーディネーターになってるからなんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。

この記事へのトラックバック