冒涜か?鎮魂か?芸術か? 『コストニツェ』 ヤン・シュヴァンクマイエル

 今のところ、シュヴァンクマイエルが監督した唯一のドキュメンタリー。
 この作品を初めて、何の予備知識もなしに観た時は、シュヴァンクマイエルの悪い冗談か何かなのかと思ったんですが、実在するんですね。こういう施設が。
 チェコ語のナレーションが少しありますが、全く気にしないで大丈夫です。


Jan Svankmajer - Kostnice (The Ossuary) - 1970 投稿者 dm_5185288dc1ac0

 人骨で、シャンデリアや、紋章や、文字が作られて、それが飾られている施設がある。その施設の内部を撮影したのがこの作品ということになります。

 これは、チェコのクストナー・ホラ郊外のセドレツの納骨堂(コストニツェ)で、19世紀の後半にここの修道院を管理することになったシュヴァルツェンベルク家が、木彫り師リントに、礼拝堂の中にあった4万人分の人骨を使って、内部を装飾しろと命じ、その結果できたのが、映画の中に示されたようなもの、というわけです。

 一見して、人の死や人骨に対する冒涜なのではないかと思ってしまうんですが、100年以上もこのままであり、新たにお祓いして埋葬し直すとかいう考えもないようで、これはこれで認められ、存在を許されているもののようです。
 シュールすぎるほどにシュールで、シュヴァンクマイエルの作品の原点はこういうところにあったのかと思ってしまいます。
 別のところでも書きましたが、若きシュヴァンクマイエルは、きっとこれを見て、畏怖すると同時に歓喜したんだろうと思います。

 これはシュヴァンクマイエルの唯一のドキュメンタリー作品なんですが、「自転車での納骨堂に出かけていく」風のイントロ部分はありますが、普通のドキュメンタリーではなく、音楽に合わせてカットを刻み、映像をたたみかけていく、そのたたみかけかたが、もうシュヴァンクマイエル映画そのもの。
 スタッフが、60年代後半から70年にかけて、シュヴァンクマイエル組だった人ばかりで、撮影がスヴァトプルク・マリー、編集がミラダ・サートコヴァー、音楽がズデニェク・リシュカ。『石のゲーム』や『自然の歴史(組曲)』で用いたのと同じ手法を、無機物からコストニツェに切り替えて使っているわけで、やっぱり、まあ、シュヴァンクマイエルの刻印が押された作品になるわけです。

 この作品には、当局の厳しい検閲が入ったようで、「音楽を入れ、ナレーションをはずして、文句の出ないヴァージョンを作らなければならなかった」(『シュヴァンクマイエルの世界』(国書刊行会) p64)とシュヴァンクマイエルは語っています。
 上で観られるのは、ズデニェク・リシュカの音楽が入ったものですが、骨にさわった見物人を女性ガイドが叱りつけているバージョンもあるようです。当局が気にしたのは、歴史的な施設を見せる見せ方だったのではないかと思うのですが。

 なお、「YASO2-:+ シュヴァンクマイエル」(ステュディオ・パラボリカ)では、沖真理子さんが、コストニツェその他を訪れたレポート<シュヴァンクマイエル巡礼の旅>が収録されています。

 「セドレツ」で検索すると、コストニツェに関するさまざまの情報や画像を見ることができます。

 ◆作品データ
 1970年/チェコスロバキア/10分29秒
 チェコ語台詞あり(わずか)/字幕なし
 ドキュメンタリー

 *本作はDVD『「ドン・ファン」その他の短編』に収録されています。

画像

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 ◆監督について
 ヤン・シュヴァンクマイエル
 1934年 プラハ生まれ。
 1942年 クリスマス・プレゼントとして人形劇のセットもらい、以後、人形に魅せられるようになる。
 1954年 プラハの芸術アカデミー演劇学部人形学科に入学する。
 1960年 セマフォル劇場で仮面劇を上演。
 1962-64年 視覚芸術ラテルナ・マギカに演出家として加わる。ここで初めて映画と出会う。
1964年 ラテルナ・マギカを離れ、以降は、フリーの立場で活動。
 1964年 最初の短編『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』を制作
 1970年 シュルレアリスト・グループのメンバーとなる。

 当局による改変要求を受け付けず、上映禁止や国内で映画が撮れないという状況を度々経験しながらも、映画制作を続け、今ではチェコ・アニメを代表する映画作家の1人となっています。

 国際的な評価としては―
 カンヌ国際映画祭には、これまで 『J・Sバッハ G線上の幻想』(1965)、 『レオナルドの日記』(1972)、 『男のゲーム』(1988)と3度短編部門のコンペに出品し、 『J・Sバッハ G線上の幻想』でグランプリを受賞。
 ベルリン国際映画祭には、 『対話の可能性』(1982)を短編部門のコンペに出品し、金熊賞(グランプリ)を受賞。 『闇・光・闇』(1989)では名誉賞を受賞。
 そのほか、 『棺の家』(1966)でマンハイム国際映画祭ジョゼフ・フォン・スタンバーグ賞受賞、 『陥し穴と振り子』(1983)でモントリオール国際映画祭短編部門作品賞を受賞しています。

 日本でのチェコ・アニメやアート・アニメーションが続々と公開されるようになったのは、ヤン・シュヴァンクマイエル作品が契機になったと言ってもいいほどで、現在でもシュヴァンクマイエルは監督名だけである程度のお客さんが見込めるほとんど唯一のアニメーション作家だと言っていいと思われます。

 ・1964年 『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』 11分43秒
 ・1965年 『J・Sバッハ G線上の幻想』 9分49秒
 ・1965年 『石のゲーム』 9分
 ・1966年 『棺の家』 10分19秒
 ・1966年 『エトセトラ』 7分15秒
 ・1967年 『自然の歴史(組曲)』 8分55秒
 ・1968年 『庭園』 16分50秒
 ・1968年 『部屋』 13分05秒
 ・1969年 『ヴァイスマンとのピクニック』 11分05秒
 ・1969年 『家での静かな一週間』 20分14秒
 ・1970年 『ドン・ファン』 32分45秒
 ・1970年 『コストニツェ』 10分29秒
 ・1971年 『ジャバウォキー』 13分52秒
 ・1972年 『レオナルドの日記』 11分44秒
 ・1973-79年 『オトラントの城』 17分57秒
 ・1980年 『アッシャー家の崩壊』 15分40秒
 ・1982年 『対話の可能性』 11分45秒
 ・1982年 『地下室の怪』 15分20秒
 ・1983年 『陥し穴と振り子』 14分55秒
 ・1987年 『アリス』 84分30秒
 ・1988年 『男のゲーム』 14分35秒
 ・1988年 『アナザー・カインド・オブ・ラヴ』 3分33秒
 ・1989年 『肉片の恋』 1分05秒
 ・1989年 『闇・光・闇』 7分30秒
 ・1989年 『フローラ』 30秒
 ・1990年 『スターリン主義の死』 9分45秒
 ・1992年 『フード』 17分
 ・1994年 『ファウスト』 96分
 ・1996年 『悦楽共犯者』 82分40秒
 ・2000年 『オテサーネク』 127分
 ・2006年 『ルナシー』 123分

 当ブログでは、ヤン・シュヴァンクマイエルについて、かなり突っ込んで書いているので、詳しくは以下の記事を参考にしてください。

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 本と作品

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 日本公開史

 ・もっとシュヴァンクマイエル スタッフ&カンパニー篇

 ・もっとシュヴァンクマイエル テーマ&モチーフ篇

 ・造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル展

 ・チェコ映画祭2006、または、エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー 

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 2007年 夏! 

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