手塚治虫 『しずく』
いかだで海を漂流中の男が喉の渇きに耐えかねて、マストについた数滴のしずくをなんとか口にしようとするが、なかなかうまくいかない、というギャグ・コメディー。
この作品には、他の作品に見られるような実験的趣向は見当たりません。
手塚治虫は、この作品で何がやりたかったんでしょうか。あるいは、この作品を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょう? わりと普通の作品だったので、そんなことも考えてしまうんですが、ひょっとして関係あるか……と思って調べてみたんですが、堀江謙一の太平洋単独航は1962年、『あしたのジョー』連載開始は1967年でした。う~ん、関係なかったですね。ついでにもう1つ調べてみたら、ひょっこりひょうたん島の漂流開始は1964年でした。これは、ちょっと関係ありそうな感じ、でしょうか?当時、「ひょっこりひょうたん島」は爆発的な人気番組でしたから。
この作品は、クレジット上では、手塚治虫は、原案・作画・構成・演出を担当しているということになっていますが、ほかに監督がいるわけではないので、手塚治虫の監督作品と言ってかまわないと思います。
◆作品データ
1965年/日本/4分17秒
台詞なし/英字幕あり
アニメーション
この作品は、実験アニメーション全13作品を収めたDVD『手塚治虫 実験アニメーション作品集』に収録されています。
◆監督について
手塚治虫
漫画家、アニメーター、医師。
1928年11月3日 大阪府豊中市生まれ、1989年2月9日没
父の家庭用映写機で、幼い頃からディズニー作品などのアニメーションにも親しんでいたとされる。
漫画家としてのデビューは1946年。
アニメーションとの直接の関わりは1960年の東映動画による『西遊記』から。
1961年 アニメーション制作のためのプロダクション 手塚動画プロダクション設立。1962年に同プロダクションを虫プロダクションと改称。
1963年 虫プロで日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作(『鉄腕アトム』自体は1959年に実写版が放映されている)。
1965年 日本初のカラーアニメシリーズ『ジャングル大帝』放送開始(手塚自身は直接関わっておらず、原作のみ)。
1968年 漫画業務を扱うために、虫プロとは別に手塚プロダクションを設立。
1971年 虫プロ社長から退任。劇場公開作品の興行的失敗などにより1973年虫プロ倒産。 以後、手塚プロにて、実験的な短編の制作を行なう。
アニメーションにおける手塚治虫の功績としては、名実ともに日本に「テレビアニメ」を切り開いたこと、プロダクションを通じて、日本のアニメーションを担うことになる多くの人材を輩出したこと、などが挙げられます。「アニメーターとしても活躍し、映画監督もこなす漫画家」としても草分け的存在ということになります。
以下には、演出、監督、総監督、製作、製作総指揮とクレジットされている作品のみ書き出してみました。
・1960年 『西遊記』[演出]
・1962年 『ある街角の物語』[製作] 38分
・1962年 『おす』[製作] 3分9秒
・1963~1966年 『鉄腕アトム』[総監督・演出]
・1964年 『人魚』[演出] 8分18秒
・1964年 『めもりい』[演出] 5分40秒
・1965年 『新宝島』<TV> [演出]
・1965年 『しずく』 [演出] 4分17秒
・1965年 『たばこと灰』[製作] 3分50秒
・1966年 『展覧会の絵』 [総監督] 39分
・1966年 『W3 ワンダースリー』<TV> [総監督・演出]
・1967年 『リボンの騎士』<TV> [総監督・演出]
・1968年 『創世記』[製作] 3分42秒
・1969年 『千夜一夜物語』[製作総指揮]
・1970年 『クレオパトラ』 [監督] 113分
・1970年 『やさしいライオン』[製作]
・1978年 『100万年地球の旅 バンダーブック』<TVM> [演出]
・1979年 『海底超特急マリン・エクスプレス』<TVM> [演出]
・1980年 『フウムーン』<TVM>[製作]
・1980年 『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』 [総監督]
・1980~1981年 『鉄腕アトム』<TV> [演出]
・1981年 『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』 <TVM> [監督] 90分
・1983年 『緑の猫』<OV> [監督] 24分
・1983年 『雨ふり小僧』<OV> [監督] 24分
・1984年 『大自然の魔獣 バギ』<TVM> [演出]
・1984年 『ジャンピング』 [監督] 6分20秒
・1985年 『るんは風の中』<OV> [監督] 24分
・1985年 『おんぼろフィルム』 [監督] 5分37秒
・1986年 『山太郎かえる』<OV> [監督] 24分
・1987年 『森の伝説PART-1』 [監督] 29分20秒
・1986年 『銀河探査2100年ボーダープラネット<TVM> [監督] 73分
・1987年 『村正』 [監督] 8分44秒
・1987年 『PUSH おす』[監督] 4分18秒
・1988年 『自画像(セルフ・ポートレート)』[監督] 10秒
・1989年 『青いブリンクあなたが夢をつかめる世界なら』<TV> [総監督]
・未完 『パーティー』
・未完 『モスキート』
*すべての作品に関するストーリー、解説、データの詳細、ビデオ化情報など、下記公式サイトに詳しく書かれています。動画の一部も観ることができます。
*参考サイト
・手塚治虫公式サイト 手塚治虫@ワールド:http://ja-f.tezuka.co.jp/index.html
・手塚治虫に関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB
・虫プロに関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
・手塚プロダクションに関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
*当ブログ関連記事
・手塚治虫 『ジャンピング』
・手塚治虫 『おんぼろフィルム』
・手塚治虫 『自画像(セルフ・ポートレイト)』
・手塚治虫 『おす』
・手塚治虫 『めもりい』
・手塚治虫 『人魚』
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この作品には、他の作品に見られるような実験的趣向は見当たりません。
手塚治虫は、この作品で何がやりたかったんでしょうか。あるいは、この作品を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょう? わりと普通の作品だったので、そんなことも考えてしまうんですが、ひょっとして関係あるか……と思って調べてみたんですが、堀江謙一の太平洋単独航は1962年、『あしたのジョー』連載開始は1967年でした。う~ん、関係なかったですね。ついでにもう1つ調べてみたら、ひょっこりひょうたん島の漂流開始は1964年でした。これは、ちょっと関係ありそうな感じ、でしょうか?当時、「ひょっこりひょうたん島」は爆発的な人気番組でしたから。
この作品は、クレジット上では、手塚治虫は、原案・作画・構成・演出を担当しているということになっていますが、ほかに監督がいるわけではないので、手塚治虫の監督作品と言ってかまわないと思います。
◆作品データ
1965年/日本/4分17秒
台詞なし/英字幕あり
アニメーション
この作品は、実験アニメーション全13作品を収めたDVD『手塚治虫 実験アニメーション作品集』に収録されています。
◆監督について
手塚治虫
漫画家、アニメーター、医師。
1928年11月3日 大阪府豊中市生まれ、1989年2月9日没
父の家庭用映写機で、幼い頃からディズニー作品などのアニメーションにも親しんでいたとされる。
漫画家としてのデビューは1946年。
アニメーションとの直接の関わりは1960年の東映動画による『西遊記』から。
1961年 アニメーション制作のためのプロダクション 手塚動画プロダクション設立。1962年に同プロダクションを虫プロダクションと改称。
1963年 虫プロで日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作(『鉄腕アトム』自体は1959年に実写版が放映されている)。
1965年 日本初のカラーアニメシリーズ『ジャングル大帝』放送開始(手塚自身は直接関わっておらず、原作のみ)。
1968年 漫画業務を扱うために、虫プロとは別に手塚プロダクションを設立。
1971年 虫プロ社長から退任。劇場公開作品の興行的失敗などにより1973年虫プロ倒産。 以後、手塚プロにて、実験的な短編の制作を行なう。
アニメーションにおける手塚治虫の功績としては、名実ともに日本に「テレビアニメ」を切り開いたこと、プロダクションを通じて、日本のアニメーションを担うことになる多くの人材を輩出したこと、などが挙げられます。「アニメーターとしても活躍し、映画監督もこなす漫画家」としても草分け的存在ということになります。
以下には、演出、監督、総監督、製作、製作総指揮とクレジットされている作品のみ書き出してみました。
・1960年 『西遊記』[演出]
・1962年 『ある街角の物語』[製作] 38分
・1962年 『おす』[製作] 3分9秒
・1963~1966年 『鉄腕アトム』[総監督・演出]
・1964年 『人魚』[演出] 8分18秒
・1964年 『めもりい』[演出] 5分40秒
・1965年 『新宝島』<TV> [演出]
・1965年 『しずく』 [演出] 4分17秒
・1965年 『たばこと灰』[製作] 3分50秒
・1966年 『展覧会の絵』 [総監督] 39分
・1966年 『W3 ワンダースリー』<TV> [総監督・演出]
・1967年 『リボンの騎士』<TV> [総監督・演出]
・1968年 『創世記』[製作] 3分42秒
・1969年 『千夜一夜物語』[製作総指揮]
・1970年 『クレオパトラ』 [監督] 113分
・1970年 『やさしいライオン』[製作]
・1978年 『100万年地球の旅 バンダーブック』<TVM> [演出]
・1979年 『海底超特急マリン・エクスプレス』<TVM> [演出]
・1980年 『フウムーン』<TVM>[製作]
・1980年 『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』 [総監督]
・1980~1981年 『鉄腕アトム』<TV> [演出]
・1981年 『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』 <TVM> [監督] 90分
・1983年 『緑の猫』<OV> [監督] 24分
・1983年 『雨ふり小僧』<OV> [監督] 24分
・1984年 『大自然の魔獣 バギ』<TVM> [演出]
・1984年 『ジャンピング』 [監督] 6分20秒
・1985年 『るんは風の中』<OV> [監督] 24分
・1985年 『おんぼろフィルム』 [監督] 5分37秒
・1986年 『山太郎かえる』<OV> [監督] 24分
・1987年 『森の伝説PART-1』 [監督] 29分20秒
・1986年 『銀河探査2100年ボーダープラネット<TVM> [監督] 73分
・1987年 『村正』 [監督] 8分44秒
・1987年 『PUSH おす』[監督] 4分18秒
・1988年 『自画像(セルフ・ポートレート)』[監督] 10秒
・1989年 『青いブリンクあなたが夢をつかめる世界なら』<TV> [総監督]
・未完 『パーティー』
・未完 『モスキート』
*すべての作品に関するストーリー、解説、データの詳細、ビデオ化情報など、下記公式サイトに詳しく書かれています。動画の一部も観ることができます。
*参考サイト
・手塚治虫公式サイト 手塚治虫@ワールド:http://ja-f.tezuka.co.jp/index.html
・手塚治虫に関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB
・虫プロに関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
・手塚プロダクションに関するWiki:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
*当ブログ関連記事
・手塚治虫 『ジャンピング』
・手塚治虫 『おんぼろフィルム』
・手塚治虫 『自画像(セルフ・ポートレイト)』
・手塚治虫 『おす』
・手塚治虫 『めもりい』
・手塚治虫 『人魚』
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