もっとシュヴァンクマイエル テーマ&モチーフ篇

 ここでは、シュヴァンクマイエル作品によく出てくるモチーフやテーマ、コンセプト、その他の関連事項などについて書き出してみました。
 それぞれの項目に関連作品のタイトルなども挙げてありますが、すべての作品を見直したわけではないので、うろ覚えのところがあります。

画像 アヌシー国際アニメーション・フェスティバル 1960年にスタートした、世界で最も権威のあるアニメーションの映画祭。元々は、1957年にカンヌ国際映画祭の一部門として誕生したものが独立。1997年までは隔年の開催(以降毎年の開催となる)。
 シュヴァンクマイエルは、1983年に「対話の可能性」で短編部門のグランプリ、1987年に『アリス』で長編部門のグランプリを受賞しています。
 シュヴァンクマイエル以外では、コ・ホールドマンが1997年に「砂の城」でグランプリ、フレデリック・バック1987年に「木を植えた男」、1993年に「大いなる河の流れ」でそれぞれグランプリを受賞しています。
 *公式HP:http://www.annecy.org/home/?Page_ID=1

画像 ヴァーツラフ・シュヴァンクマイエル(1975~ ) ヤン・シュヴァンクマイエルの息子。映画監督。
 これまでに“Fish073”(1999)、“Test”(2000)、“Svetlonos”(2005 英題:The Torchbearer) 、“Čarodějka (přípravné práce)”(2005)という短編作品(アニメーションを含む)を発表。
 公式HP:http://www.surrealismus.cz/svankmajer/

 エドガー・アラン・ポー シュヴァンクマイエルの作品には、度々ポーの作品が原作として使われます(「アッシャー家の崩壊」(1980)、「陥し穴と振り子」(1983)、『ルナシー』(2005))。
 ただし、いずれの作品もそのままの映画化ではなく、ポー作品からのインスパイアを受けて制作した作品のようです。特に「アッシャー家の崩壊」は、これを映画化したかったというよりは、国により一度は映画制作を禁じられたシュヴァンクマイエルが制作を再開するに当たって、これが一般的に知られた無難な作品であったからということもあるようです。
 シュヴァンクマイエルがポー作品に魅せられるのは、ポー作品の中で描かれる異常心理やポーの死に対する強迫観念に共感を覚えるからでしょうか。
 *ポーの作品は、青空文庫でいくつかの作品を無料で読むことができます(http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person94.html)

 機械 シュヴァンクマイエル作品の中で、“機械”と言って、まず思い浮かべるのは『悦楽共犯者』(1996)の“自慰マシーン”ですが、こうした明らかにマシーンぽいものでなくても、シュヴァンクマイエル作品には“機械”に類するものが初期の作品から数多く登場します。わかりやすいものとしては時計とか振り子とかがすぐに思い浮かびます。
 シュヴァンクマイエルの“機械”への興味は、「博物誌」に見られるような「様々な生き物、およびその構造」への興味に通じるものであり、「“構造体”がひとりでに動き出すこと」や、「複雑な構造を介して(予想もつかないような)原因と結果が結びつくこと」への関心につながるもの、ということになるのでしょう。生物・無生物の境界については曖昧にされているようですが、シュヴァンクマイエルは、なんらかの機能を持った構造体が、生命もしくは魂、あるいは意志をも持って、勝手に動き出すことに魅せられ、それが暴走してしまうことに恐れを感じているのだとも考えられます。
 そう考えると、シュヴァンクマイエルの機械への興味は、彼の人形に対する興味とかなり重なるのではないか、という気もしてきます。
 また、ある種の構造物が勝手に動き出すと言って思い出されるのが、シュヴァンクマイエル作品の中の「椅子」で、シュヴァンクマイエルの中では、最もシンプルな構造物=機械として「椅子」が存在するのではないか、とも考えられます。

 キャスト シュヴァンクマイエル作品に有名な俳優が出演しているのかどうかはわからないのですが(調べてみるとけっこうキャリアのある俳優だったりします)、それでもいくつかの作品に共通して出演している人を見出すことができます。
 ペトル・チャペク:「アッシャー家の崩壊」(1980)にナレーションとして参加、『ファウスト』(1994)に主演。
 パヴェル・ノヴィー:『悦楽共犯者』(1996)(警官役)、『オテサーネク』(2000)(アルジュビェトカの父) に出演。『アマデウス』(1984)にも出演している俳優。
 イジー・ラーブス:『悦楽共犯者』(1996)(売店経営者役)、『オテサーネク』(2000)(警官役)に出演。

 強迫観念 シュヴァンクマイエルは自らの強迫観念をベースに作品を作っているというのはよく知られたことで、その中には、幼児体験が原因となっているものが多いようです。
 シュヴァンクマイエルの強迫観念としては、食べることと食べられること、口・歯・舌、触れられること、肉体的な苦痛、キスされること、肉・肉片、密室、地下室、死や死をイメージさせるもの、棺、骨、墓穴、など。
 強迫観念や怖れの感情と結びついたもの以外で、興味を惹かれるものとしては、人形、機械、錬金術、博物学、さまざまな生物を生み出す世界の驚異及び生物の体の仕組み、触覚、アルチンボルド的な見立て、ファウスト、ポーの作品世界、『不思議の国のアリス』……。

画像 クラクフ映画祭 1961年から始まる、ポーランドで最古の映画祭で、ドキュメンタリーと短編映画を専門に上映しています。
 これまでに数多くのシュヴァンクマイエル作品を評価してきた映画祭で――
 1982年「アッシャー家の崩壊」~ドン・キホーテ賞(グランプリ)&審査員特別賞受賞
 1983年「陥し穴と振り子」~ドン・キホーテ賞受賞
 1990年「闇・光・闇」~審査員特別賞受賞、「セルフポートレート」~特別賞受賞
 2001年 ドラゴン・オブ・ドラゴンズ名誉賞受賞
 公式HP:http://www.cracowfilmfestival.pl/

 クレイ・粘土 「アッシャー家の崩壊」以降、シュヴァンクマイエル作品(のアニメーション部分)によく使われるようになる素材。
粘土が使われている作品は、「アッシャー家の崩壊」(1980)、「対話の可能性」(1982)、「男のゲーム」(1988)、「アナザー・カインド・オブ・ラブ」(1988)、「闇・光・闇」(1989)、「フローラ」(1989)、「フード」(1992)。
 「対話の可能性」を除くと、他の作品はすべて、ベドジフ・グラセルがアニメーションを担当しています。シュヴァンクマイエルが粘土によるアニメーションに開眼したのには、グラセルの存在が大きいのかもしれません。

 検閲 「庭園」(1968)、「部屋」(1968)、「コストニツェ」(1970)、「ジャバウォッキー」(1971)、「レオナルドの日記」(1972)、「オトラントの城」(1973-79)、「陥し穴と振り子」(1983)、「対話の可能性」(1982)で検閲の激しい攻撃を受け、「庭園」「部屋」「ジャバウォッキー」「対話の可能性」は上映禁止。「オトラントの城」の後と、「陥し穴と振り子」の後、国内での映画の制作が禁じられています。「コストニツェ」では、ナレーションをはずして、音楽を入れることになったそうで、現在では、ナレーション版と音楽入りバージョンの2バージョンがあるようです。

 国際映画祭 カンヌ国際映画祭には、これまで「J・Sバッハ G線上の幻想」(1965)、「レオナルドの日記」(1972)、「男のゲーム」(1988)と3度短編部門のコンペに出品し、「J・Sバッハ G線上の幻想」でグランプリ。
 ベルリン国際映画祭では、「対話の可能性」(1982)を短編部門のコンペに出品し、金熊賞(グランプリ)を受賞。「闇・光・闇」(1989)では名誉賞を受賞。
 そのほか、「棺の家」(1966)でマンハイム国際映画祭ジョゼフ・フォン・スタンバーグ賞受賞、「陥し穴と振り子」(1983)でモントリオール国際映画祭短編部門作品賞受賞。
 細かなところではそのほかの作品でも数多くの映画祭に出品し、賞も受賞しているようです(『YASO2-:+ #0 シュヴァンクマイエル』の全作品解説欄を参照)が、「エトセトラ」(1966)から「ジャバウォッキー」(1971)までは、あまり大きな受賞がないようで、シュヴァンクマイエルが政府に睨まれていた証拠のようにも思えます。

 ジュゼッペ・アルチンボルド(1527-93) ルドルフ2世(1552-1612 神聖ローマ皇帝でハンガリー王、ボヘミア王を兼ねる。芸術家を保護し、錬金術に興味を示したことで知られる)統治下にプラハで活躍した画家。北方マニエリスムを代表する画家とも評される。
 野菜や魚など様々なものを集めて、人の顔を構成させた(見立てた)絵が有名で、シュヴァンクマイエルもその魅力に取りつかれた1人(『シュヴァンクマイエルの世界』p80参照)。
 シュヴァンクマイエル作品では、「石のゲーム」(1965)、「アッシャー家の崩壊」(1980)、「対話の可能性」(1982)、「フローラ」(1989)などに、そのモチーフが使われています。
 「自然の歴史(組曲)」(1967)の冒頭には、アルチンボルドの「春」「夏」「秋」「冬」(以上、「四季」のシリーズ)「火」「土」「空気」「水」(以上、四元素のシリーズ)「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフⅡ世」が映し出され、この作品がアルチンボルド的もの、ルドルフⅡ世的なもの(=博物誌、百科全書的な知への欲求)に捧げられていることを示しています。
画像 「コストニツェ」(1970)は、人骨を使って、紋章や壁飾り、シャンデリアなど作り、それを展示しているセドレツの納骨堂に関するドキュメンタリーで、チェコにおけるアルチンボルド的な思考(嗜好・志向)がこんなところにまで及んでいるのかとちょっと驚きます。この納骨堂をシュヴァンクマイエルがいつ知り、いつ見たのかは明らかにされていませんが、若きシュヴァンクマイエルがこれを見て畏怖すると同時に驚喜したのは間違いありません。コストニツェを不謹慎ともグロテスクとも感じながら、どこかで面白いと思ってしまう感覚はシュヴァンクマイエル作品の面白さにも通じています。「コストニツェ」を見れば、シュヴァンクマイエル及び彼の作品が、チェコという風土や国民性から生まれるべくして生まれた存在だと思えてきます。
 *セドレツの納骨堂については、ここ(http://www.kostnice.cz/)が詳しい。
 シュヴァンクマイエルの絵画や造形作品でアルチンボルドにオマージュを捧げた作品は、庭園用セラミック作品で「アルチンボルド風の頭」(1981、1990など)(『シュヴァンクマイエルの博物館』p38~39)、コラージュ作品で「風景のアルチンボルド」(1972)(前掲書p41)、「アルチンボルド風の頭」(1975)(前掲書p44)などがあります。
画像 アルチンボルドに関しては、美術評論家によっていくつも評論が書かれています。有名なところでは、“THE ARCIMBOLDO EFFECT”(THAMES AND HUDSON)という「アルチンボルド的なもの」に関する評論集があります。これは1987年にベネチアで開催された同名の展覧会の図録(の英語版)にもあたり、日本からは岡部あおみ氏が歌川国芳などについて書いています。
 アルチンボルド的なモチーフを扱った映画には、ほかに『アニエスv.によるジェーンb.』(1987)があります。

 シュルレアリスム チェコにおいては、1934年の宣言「チェコスロヴァキアにおけるシュルレアリスム」によって誕生した運動。ナチによる占領とスターリン主義によって抑圧され、地下活動と化す。カレル・タイゲ、ヴラチスラフ・エフェンベルゲルによって理論構築された、ということになっているようです。
 シュヴァンクマイエルによると、その活動は、「心のオートマティスム(ヴィジョンと具体化の自動傾向)」と「内的モデル(夢と空想的観念の忠実な再現)」(ひとりでにあふれ出てくる夢のようなもの?)であり、その目的は「世界を変えることと、生を変えること」。これを、誤解を恐れずに単純化してしまうと、「現実世界の中に自由に詩的で叙情的な空想を広げ、そのことによって、現実世界や内面を変革しようとする指向性のようなもの」。だから、シュルレアリスムとは、「一定の精神的指向」であって、「ある時期の芸術運動」でもなければ、美学ですらなく、「不条理」や「ナンセンス」「あてこすり」「皮肉」「冷笑」とも全く違う。チェコのシュルレアリスムは、タイゲのポエティズムから発していて、ダダイズムをルーツとするフランスのシュルレアリスムとも元々は違う(とシュヴァンクマイエルは語っています)。シュヴァンクマイエル作品においては、幼年体験や強迫観念、性癖、不安の経験といったものとの結びつきが強いようです。
 来日時の発言では、「現実世界の中で、日常生活で普通に使われているものに別の機能を与えること」と、さらに単純化した言い方もしています。
 シュヴァンクマイエルは、自分のことを「戦闘的シュルレアリスト」と語っていますが、「戦闘的」とは、抑圧に遭っても、自分の意志を屈しないということを指しているようです。

画像 触覚芸術・触角主義 「食べる」ことに対しては強迫観念を感じるシュヴァンクマイエルですが、「触覚」に関してもまた彼は特別の関心を寄せているようです。
 シュヴァンクマイエルにとって、触覚芸術とは、『悦楽共犯者』(1996)における“自慰マシーン”のようなものだけではなく、もっと広範囲にわたるものらしく、ナイフで肉体を切り裂かれる苦痛、もしくはそういうことをされるのではないかという恐れのようなものまでも、これに含まれるようです。
 シュヴァンクマイエルにおける触覚は、彼の作品におけるその他のモチーフと同様に、恐怖や強迫観念、不快感と結びついたもののようで、その根源には、誕生日にキスされることにも怖れを抱いていた、というような体験もあるようです。
 シュヴァンクマイエルが触覚について実験したという映像作品には、「アッシャー家の崩壊」(1980)と「対話の可能性」(1982)がありますが、「触覚」を「肉体に対するダメージ」まで含めて考えるなら、それ以前のシュヴァンクマイエル作品にも頻繁に出てきています。
 触覚に関するオブジェ作品は多数あり、『シュヴァンクマイエルの博物館』の「触覚主義」の章で紹介されています(p77~)。まあ、芸術作品というには、ちょっと稚拙な感じもして、見てもあまり面白いものではありませんが。
 シュヴァンクマイエルの「触覚」に関する発言、および関連記事は、『シュヴァンクマイエルの世界』の「触覚と想像力」(p150~195)にまとめられています。シュヴァンクマイエル作品に関して、日本でも「触覚」云々ということが言われ出したのには、この本が翻訳されたこと(1999年12月10日初版)が大きいようです。
 「触覚と想像力」は、そうした副題のついた特集上映が行なわれたせいで、これが彼の作品を語るのに最も重要なキーワードのように思われがちですが、シュヴァンクマイエルを語る際の1つのキーワードに過ぎず、同じような重要度を持つキーワードは、他にいろいろと考えられると思います。例えば、「食欲と想像力」とか「貪欲と想像力」とか。

 少女・少女の悪夢 シュヴァンクマイエル作品によく出てくるモチーフの1つ、と思ったのですが、よくよく数えてみると「ジャバウォッキー」(1971)、「地下室の怪」(1982)、『アリス』くらいしかありませんでした。シュヴァンクマイエル作品によく少女が出てくるように感じるのは、これらの作品の印象が強いからでしょうか。
 シュヴァンクマイエルに少女趣味・ロリータ趣味があるわけでなく、こうした題材に単に少女が似合うからというだけのようです。少年を主人公にした物語にしてしまうと、ファンタジーというよりは“少年の冒険もの”というようなものになって、別のニュアンスが加わってしまうことを恐れたのかもしれません。これまでのシュヴァンクマイエル作品を観ると、(興味や強迫観念のあり方に)少年性や少年的好奇心が強く滲み出しているようにも思われます。

 好きな映画・映画監督 (『シュヴァンクマイエルの世界』によると)ブニュエルの『アンダルシアの犬』『黄金時代』、フェリーニの『アマルコルド』『フェリーニのローマ』、ジョルジュ・メリエス、チャールズ・バウアーズ。
 共産党政権下では、自由に映画を観ることができなかったということもあり、豊富な映画体験はしていない、と自身で語っています。チェコ・アニメの伝統と自分の作品とは、出発点も違うので、全く違うものとして、自らは切り離して考えているようです。

画像 『セルフポートレート』 2001年の<シュヴァンクマイエル全作品上映>から上映されているのに、日本で出ているシュヴァンクマイエルのフィルモグラフィーには何故か抜け落ちている1988年の作品。たくさん出ているシュヴァンクマイエル本の中にもこの短編についての記載は見つかりません。
 この作品は、アニメ作家David Ehrlichが、1988年に、5カ国(チェコスロヴァキア、エストニア、日本、アメリカ、ユーゴスラヴィア)のアニメーターに自分をモチーフにして作品を作るよう依頼した短編の1つで、他のアニメーターは――
 イジー・バルタ、サリー・クルックシャンク、ボリヴォイ・ドヴニコヴィチ、David Ehrlich、川本喜八郎、木下蓮三、パヴェル・コウツキー、Candy Kugel、マッティ・キュット、ニコラ・マイダック、Josko Marusic、プリート・パルン、ビル・プリンプトン、Maureen Selwood、手塚治虫、リホ・ウントゥ、ハルディ・ヴォルメル、Dusan Vokoti。
 このうち、シュヴァンクマイエルとバルタとコウツキーのものは、バルタの作品を集めたDVD『闇と光のラビリンス』で鑑賞できます。

 創造主・神 映画監督というものは概して自分が作り出す作品世界の創造主であろうとするものですが、シュヴァンクマイルの場合は、「博物誌」を見てもわかるように、あらゆる生命の創造主でありたいという嗜好性が強いように思われます。
 シュヴァンクマイエルの信仰(宗教)に関してはこれまで特に発言はないようですが(質問すれば、「シュルレアリアストである」もしくは「シュルレアリストだから無宗教である」という答が返ってくるかもしれません)、キリスト教的な倫理観やタブー意識が背景にあって、自分の作品を通して自らの倫理観やタブー意識に揺さぶりをかけているようにも思われます。

 戦う シュヴァンクマイエル作品の中で繰り返し出てくるモチーフ。特によく出てくるイメージは、2人が相対して、一方が他方を一方的に破壊するか、一方が他方に呑み込まれてしまうもの。
 作品としては「シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック」(1964)、「石のゲーム」(1965)、「棺の家」(1966)、「エトセトラ」(1966)、「ドン・ファン」(1970)、「対話の可能性」(1982)、「男のゲーム」(1988)、「アナザー・カインド・オブ・ラブ」(1988)、「フード」(1992)。

 食べる・食べられる 「石のゲーム」(1965)から『オテサーネク』(2000)まで、シュヴァンクマイエル作品には食べる・食べられる関係を描いた多く、しかもグロテスク感を感じさせるものがたくさんあります。
 シュヴァンクマイエルによると、彼は幼少期から拒食症で、食べることに対して強迫観念を持っているらしく、それが自分の作品でああいう形になって表われるのだそうです。

画像 チェコ・ライオン賞 1994年に始まった映画賞で、チェコ国内で1年間に公開されたチェコ映画を審査対象とする。
 シュヴァンクマイエルは、2002年に『オテサーネク』で作品賞(チェコ・ライオン)を受賞しています(『オテサーネク』では、監督賞・脚本賞・批評家賞にもノミネート)。
 1995年には『ファウスト』で、監督賞と脚本賞にノミネートされ、芸術貢献賞を受賞。1997年には『悦楽共犯者』で芸術貢献賞にノミネート。2006年には『ルナシー』で批評家賞にノミネートされています。
 これまでにチェコ・ライオンを受賞した主な作品は――
 1997年『コーリャ 愛のプラハ』(1996)
 2001年『この素晴らしき世界』(2000)
 2005年『ホレム・パーデム』(2004)
 *チェコ・ライオン賞の公式HP:http://www.ceskylev.cz/

 地下室 シュヴァンクマイエルによく出てくるモチーフの1つ。彼の幼児体験とも結びついているようです。
 作品としては、『地下室の怪』(1982)、『オテサーネク』(2000)。

 人形・人形劇 シュヴァンクマイエルが人形に興味を持ち、大学でも人形劇科に進むことになったそもそものきっかけは、8歳のクリスマスに父から人形劇セットをプレゼントされたこと。幼い頃すでに、人形のために自分で物語も作ったという。その後、多くはないが人形のコレクションも始めたそうです。
 シュヴァンクマイエル作品の中で、人形が登場したり、人形劇の手法が使われたりするのは(広義に解釈して)、「シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック」(1964)、「棺の家」(1966)、「エトセトラ」(1966)、「ドン・ファン」(1970)、「ジャバウォッキー」(1971)、「オトラントの城」(1973-79)、『アリス』(1987)、『ファウスト』(1994)、『悦楽共犯者』(1996)、『オテサーネク』(2000)。

画像 博物誌 シュヴァンクマイエルの博物誌的なものへの興味を示す作品は、映像作品では「自然の歴史(組曲)」(1967)、コラージュでは「シュヴァンク=マイヤー百科事典」(1971-73、98)、版画集として「博物誌」(1973)など。
 これは、百科全書的に世界の知識を蒐集したいというシュヴァンクマイエルの欲望と、錬金術的なものへの関心と説明されることが多く、本人もそう話しています。
 しかし、シュヴァンクマイエルの興味は、昆虫・魚類・甲殻類・両生類・爬虫類・鳥類など小動物にとどまりがちで、彼が、いろんな姿かたちや体の仕組みを持った生き物がいることを知って世界の驚異を感じ、そこからイマジネーションを広げていって、ユニークな生き物を自ら考案していったのは確かだとしても、それを「百科全書的」とか「錬金術」とか言うのは少々大げさではないかと私は考えます。
 空想で新しい生き物を考え出したりするのは少年期には誰でもすることで、シュヴァンクマイエルは大人になってもそれをアートとしてやっているだけなのではないでしょうか。シュヴァンクマイエルの少年性、もしくは少年的好奇心、あるいは少年的空想趣味、と私は考えたいと思います。
 シュヴァンクマイエルの「生物への関心」は、「食べる食べられるという関係や食物連鎖への興味」と、「機械(=複雑な構造を持って、ひとりでに動くもの)への興味」という二方向に枝分かれし、「機械への興味」は「人形」と結びつくのだと考えられます。

画像 ファウスト 『ファウスト』(1994)のみにとどまらず、シュヴァンクマイエルがずっと惹かれ続けているテーマの1つ。彼が最初に関わった映画も、エミル・ラドクの『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』(1958)。
 『ファウスト』になぜ惹かれるのかに関しては、『シュヴァンクマイエルの世界』のp91で語っていますが、『ファウスト』には「文明の終わり」を感じた時に人はどうするかという命題に対するヒントが含まれているからということのようです(このインタビュー自体は『アリス』(1987)制作中に行なわれたもの)。

 密室 シュヴァンクマイエル作品によく出てくるモチーフの1つ。
 作品としては、「部屋」(1968)と「闇・光・闇」(1989)が代表的。

 両親 父はショーウインドー・デザイナー、母は裁縫婦。ヤンは三男。父親は、ヤンの8歳のクリスマスに人形劇セットをプレゼントし、ヤンが人形に興味を持つきっかけを作った。

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 以上、4回にわたって、ヤン・シュヴァンクマイエルについてざっと概観してみました。

 新作ごとに、あるいは映画祭ごとに新しいシュヴァンクマイエル本が刊行されていますが、今のようなやり方だと、シュヴァンクマイエルについては既にもう書きつくしている感があります。
 次に私が期待したいのは、シュヴァンクマイエル自身による自作解題です。
 ただし、これまでの彼のインタビューに対する受け答えを見ると、自分が考えていることを正確に伝えようとするあまり、回答がストレートではなくなってしまう傾向があるので、全然自作解題にならなくなってしまう可能性もあります。

 ◆当ブログの関連記事

 ・もっとシュヴァンクマイエル スタッフ&カンパニー篇

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 日本公開史

 ・ヤン・シュヴァンクマイエル 本と作品

 ・造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル展

 ・チェコ映画祭2006、または、エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー 

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