触発されました!『米寿快談』(映画本じゃないけど)

画像 鶴見和子先生と言えば、私の大学の卒論の指導教授であって、講義の中で、映画『マルチニックの少年』や『痴呆性老人の世界』(傑作!)などの話をされていたのをよく憶えているのですが、書店でこんな本を見かけて思わず買ってしまいました。

 金子兜太・鶴見和子『米寿快談[俳句・短歌・いのち]』(藤原書店)

 どう見ても俳句が話題の中心になっているらしい対談本なのですが、口絵部分に鶴見先生の半生を振り返るような写真が年代順に並べられてもあったので、半生を回想するような内容も出てくるのかな、とも思い、本を持ってレジに向かいました。

 鶴見先生が、左半身不随になられていること、のめり込むように和歌を次々と発表されているらしいことも、なんとなく知ってはいて、そういうこともこの本を買う動機になりました。

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 で、読んでみると、う~ん、どうなのかなあ。失意が先に立ってしまったんですが、まず、お互いの褒め合いが始まって、それから、安直な対談本の常として、話のまとまりが感じられず、のんべんだらりんと対談すればそれで本になると思っているんじゃないかというイヤな予感がしてきて……。

 そう思いながらも読み進めて、印象が変わってきたのは、観念的な話ではなく、自分の実人生にまつわる話がちらほら出てくるようになってからでした。そうなると俄然よくなってくるんですね、これが! それ以降は、何か、この2人がお話している場所に身近に立ち合わせてもらってるんだという感じすらしてきました。お2人のお話に同席させてもらってるというのであれば、この本の、この値段は安いですよ!

 以下に、いくつか鶴見語録を書き出してみます。

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 倒れてあとは、ずっと毎日、日記のように歌を作って、ちょっとした感動がすぐ歌になる。そのお蔭で私は失語症にならずにすんだんです。私の父は失語症で十四年間寝てたんです。死ぬまで失語症だった。私はこうしてべらべらしゃべれる。それはすべて歌のお蔭なの。私は歌によって生死の境を越えた。この短歌を杖にしていま生きつづけている。でも半身麻痺で左側は全く動きません。それで生きつづけて、いま九年目になりました。いま短歌だけが私の命の原動力、そういうふうに考えてきたんです。

 病気というのはすばらしい命の輝きを自覚させると思うのよ。というのは、自分のからだにたいする感覚というのは、元気な時はないの。いつも元気だから。痛いとか寒いとか、そういうのがないの。かつての私は雪が降っても、嵐になっても、台風がきても、約束を守ったんです。それで飛行機に乗って、日本国内でも外国でもどこでも飛んでったの。というのは、体が感じないの、恐れないの。だから感覚麻痺じゃないですか、健康体というものは。

 私は明日死ぬかもしれない。次の瞬間に頭の中に何かが起これば死ぬのよ。だってお医者さんに「あと2年は必要なんですけれど私生きられますか」ってきいたら、「いまのままならね」といわれたの。ということはいまの状態を保つことが大事だということよね。「東京に行ってはいけません」。「なぜですか」ときいたら、「東京に行けば何が起こるかわかりません」って。すごくいいお医者さんだと思うの。つまり何が起こりますとか、いつどうなりますなんておっしゃらない。何かが起こったら私はそこで死ぬって、はっきり言ってくださるの。もう左側が決壊してるでしょう、だから右側もだめになったら死ぬの。だから私はそのお医者さんの発言からヒントを得て、毎日、食べ物、寝る時間、自分の体には大変に気を使って注意しているの。

 病気になると、死が近くなると、命は輝いてくるのよ。それをみんなもっと自覚してほしいと思うの。病気になると、もうだめってなっちゃうでしょう。そうじゃないのよ。奮い立つのよ。この時にはじめて生きていることを自覚するのよ。日々が命でつながるのよ。

 それだからお医者さまにいうのよ。「先生、もうそろそろ死に支度でいいんじゃないですか」って。「ちょっとまだ無理だねえ」なんて言われちゃうの。でも別の命がすごく燃えてる。もう毎日、ささやかなことで感動するの。前はそんなことしなかったのよ。つまらない毎日の繰り返しだったの。だけどこのごろはちょっとしたことでも、フワッと感動するのね。

 ところでね、私は気ちがいだと思ってる(笑)。私、倒れて、歌がどんどん出てくる時、気がちがったなと思った。だって倒れて、意識不明にはならないのよ。意識はあるけれど、点滴打ってるのよ。動いちゃいけません。水を飲んじゃいけませんって。こうして寝て、とても嫌なの、蛍光灯にさらされて、ここは電熱器当てて。苦しくてしょうがないからね。それなのにどんどん夢を見て、それが歌になるでしょう。こういうことは気がちがってるんじゃないか、そう思ったのよ。そうしてあちこちから唸り声が聞こえるのよ、救急病院だから。だから私もウワーッと大きな声を出して、<我もまた動物となりてたからかに唸りを発す これのみが自由>という歌があるでしょう。ああいう状態だったのよ。だからほんとに不思議なの、歌が出てくるって。

 戦後、プリンストン大学の社会学のマリオン・リーヴィ教授がいらして、徳川時代の社会構造の研究をするから、あなたが助手をしてくれと言われて、それで助手をしたの。私、徳川時代のこと何も知りませんといったけれど、戦後その先生の書いた著書の書評をして送ったことがあったのよ。そうしたらあなたは私の仕事を知っているんだから、やってくれって。それでやりましてね。それでその先生がプリンストンに来ないかって。それで願書を出して、それで受け取ってもらって、奨学資金をつけていただいて、それで行って勉強して、四十四歳になって二十代の男の子と競争したんです。四十六歳で学位を取って帰ってきて、こういうことになったんです。だから戦争のおかげで、最終学位をとるのが二十年おくれました。

 私について、前にここの診療所長をしていらした先生が、あなたの頭の中を調べてみたいっておっしゃるのよ。「どうしてこんな病気になって、そんなにほがらかなのか」って(笑)。「先生、それじゃあ、私は躁病ですね」っていったの。躁病だからですよって。「ああ、軽い躁病だね」(笑、「軽躁病だね」って、そうだなと思って。私、いま病気なのよ(笑)。

 ここでいま、頭が惚けたら大変だ。すべて終わりでしょう。惚けないようにするにはどうしたらいいか。「書く、読む、歌をつくる」、これに熱中しよう、と。つまり頭が惚けないために打ちこんできただけね、私は。

 三重苦よ。この世では女でしょう、重度身体障害者でしょう、老人、この三重苦よ。だから自由になれたのよ。世の中からすっかり離れたの。世の中の権力、金力、名声欲、こういうものから離れたから自由になれたの。自由になれたからいま、書けるのよ。

 これは1日花ですから、もう二、三時間の命しかありませんって、くださった方がここのベランダで育てて、そしてくださったから、私、そんなことはないわと思って、もっと生きるわと思って、水に挿して見てたら、ちゃんと二日生きたんです。だから一日花といっても一日じゃないのね。それは形容としての一日花なのね。それがわかったの。命をこっちがいとおしんでやれば。それがやさしい手なんですよ。私、植物が人間に感応するんだと思う。それがすごくおもしろいと思うの。

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 何か書き出してみたら、病気がらみの部分ばかりになってしまいましたが、私なんかは随分励まされるところがありました。対談相手の金子さんもきっちりしゃべっていらっしゃるし、半分以上は俳句や短歌の話ですが、まあ、以上のような部分に私は触発されるわけです。これを読んで、何か心にグッとくるものがあったりされた方は、是非直接本文に当たってみてください。

 なお、鶴見先生がいま、死ぬ前にやっておきたいと考えていることは3つあって。①南方熊楠的曼荼羅論と内発的発展論を結びつけること、②鶴見和子自伝の執筆、③最終歌集『山姥』をまとめること、だそうです。

 *鶴見和子に関するWikipedia

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 映画ブログと銘打っていながら、今回は全く、映画とは関係のない記事になってしまいました(たまにはいいでしょう? 私が書きたくて書いてるブログなんだし)。

 ちなみにですが、冒頭で挙げた『マルチニックの少年』と『痴呆性老人の世界』は、ともに岩波ホールで上映された作品です。実は岩波ホール総支配人の高野悦子さんは、鶴見先生の教え子であり、そういう縁で、鶴見先生がこれらの映画を観られたということもあったんだと思います。だから、高野悦子さんと私とは姉弟弟子に当たるわけですね(目指しているところは違うかもしれませんが)。次いでに言うと高野悦子さんは、私の卒業した高校の先輩にも当たります。

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 *追記:鶴見和子先生は本年7月31日に永眠されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 米寿快談―俳句・短歌・いのち

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