編集が一番面白い? 『Takeshis'』

画像 公開から3週間で限定公開へ。そしてその限定公開も1週間、もしくは2週間でおしまい。全く不入りらしいですね。というわけで打ち切りになる前に慌てて観てきました『Takeshis’』。

 「ひどい、ひどい、というからどんなにひどいのかと覚悟して観に行ったら、言うほどひどくはなかった。もっと滅茶苦茶やっててもいいと思ったくらいだった」。比較的信頼がおける筋の映画評がこういうものだったんですが、私の感想もまさにそうでした。

 【物語】北野武本人が本人を演じる部分と彼の夢想部分が交錯する映画だと聞いていたんですが、それは半分だけ当たっていて、本編の大部分は、「北野武のそっくりさんである北野さん」の悲惨な日常についての物語でした。
 「北野さん」はコンビニで働きながら、プロの俳優を目指しているらしいのですが、オーディションに落ちてばかりで、日頃からバカにされたり、笑いものにされたり、無視されたり……。全くもってみじめったらしい負け犬なのですが、ひょんなことから銃を手に入れて、心に中に澱のようにたまった怒りをついに爆発させる……と思ったら、それは夢だったり、そうかと思えば、その「北野さん」のパートは映画の中で北野武が演じている役であったり、さらには北野武の夢想であるはずの「北野さん」が北野武本人を刺し殺しに来たり、と観客を何度も混乱させて面白がっているようなところがあります。

 ◆『メリンダとメリンダ』症候群
 本編を、「北野さん」のパートだけにして、日常生活の中で、失意、我慢、不満、恨み、不本意さ、理不尽さ、怒り、……等のどす黒い感情がどんどん心の中に溜まって行き、限界点が来て、ついにそれを爆発させる(たとえみじめな結果に終わったとしても)という物語(桐野夏生を彷彿とさせる、あるいは昔の内田裕也の映画のように)にしたら、ぐっとわかりやすくなるのでしょうが、きっと「そういうのはもういいんだよ」と北野武自身が感じているのではないでしょうか。これまでの北野作品の中にそれに類した内容の作品もありますし。
 ウディ・アレンが、結果的に『メリンダとメリンダ』になる物語を考えるのに、単なる「メリンダの物語」では飽き足らず、『メリンダとメリンダ』にしなくては気がすまなかった、というのと同じ発想ですね。どちらも、現実に潜む複数の可能性について描いて見せているということですが。
 劇場パンフによると、誰にでもわかるようなストレートな物語として一度編集した後、バラバラにして、再構成したそうです(『メメント』のように?)。だったら、DVDにはその原型バージョンも収録して欲しいものです。

 ◆カフカ的
 「北野さん」が被るさまざまな出来事は、不本意を越えて、不条理の域に踏み込んでいます。どうしたって「カフカ的」と言ってみたくなりますが、今更「カフカ」なんて言うのもちょっと恥ずかしい気がします。と言いながら、何度も「虫」が出てくるのは、やっぱり「カフカ」を意識してのこと?でしょうか。暑いと言って人を殺す劇中劇がありますが、あれはやっぱりカミュでしょうか。

 ◆強迫観念
 「北野さん」のパートにしろ、北野武のパートにしろ、北野武監督本人が感じている強迫観念を描いている、というのは言うまでもないことですが、数多く強迫観念が描きこまれている本作の中に、おそらく意図的に描かれていないであろうことがいくつかあります。それは「映画を作ろうと思うのに全くアイデアが浮かばなかったり、自分で映画が撮る才能がなくなってしまったと自覚してしまったりすること」「自分の映画が全く受け入れられなくなること」「誰からも省みられずにみじめな老後を送ること」。それって、あまりにも切実すぎるでしょうか?

 ◆編集
 北野武の持つ物語世界は凄い、と彼の初期の作品を観て感服した私ですが、彼が脚本や演出以外の何にでも手を出すことにはちょっと疑問がありました。編集にも「北野武」がクレジットされているのは、『あの夏、いちばん静かな海。』以降からで、どの作品も彼が単独で編集しているわけではないらしいので、作品ごとにどのくらい編集に関わっているのかはわかりませんが、自ら編集を担当することもわかってやっていながら、編集を考えないで撮影しているようにしか思えない映画もあって、そこはどうなのかなあと何度も疑問視させられました。プロの仕事はプロに任せておけばよいのに、と。
 と思っていたら、本作は、編集がキモみたいな作品でした。といってもパズルみたいな作品なので、こことこことのつながりはどうとか、細部にしのぎを削ったり、編集のプロの腕のみせどころであったりするようなものではないのかもしれませんが。プロの編集さんの本作に対する率直な感想を聞いてみたい気もします。
 劇場パンフを見ると、監督本人はどこかで「編集が一番面白い」と語っているようですね。へえ~、そうなんですか。そう言えば、本作では、確かに、物語を語ることや個々のシーンの完成度を上げることより、編集を面白がっているらしいことが伺われます。そういうことを面白がる(どうつなげばどういう効果が表れるのか試して面白がる)のは、映画監督でも、ふつう初期の頃だけのはずですけどね(ヴィンチェンゾ・ナタリとかクリストファー・ノーランとか)。私としては、北野武にしか語れない「物語世界を語ること」に回帰してもらいたい気がしますが、それはもう無理なのでしょうか?
 マンネリが嫌いで、新しいことにチャレンジすることが好きなのなら、今度は「原作もの」の映画化にチャレンジしてもらいたい。そうすれば、自ずとその物語をどう語るか、どう見せるかということで勝負しなければなりませんから。現在の北野武にそれができるでしょうか?

 ◆何をやっても先達がいる
 こうした趣向の作品にチャレンジするというのは、ストレートな物語だと何をやっても過去の著名な作品に似てしまうし、なかなか勝てないということがあるのかもしれません。深作欣二、若松孝二、勝新太郎、大島渚、内田裕也、……。
 海外で評価されて自信になっている部分と、でもまだまだ浮かれていちゃいけないと自分を戒めている部分、その双方が北野武の中にアンビヴァレンツにあって、こうした映画を作らせているのかもしれません。

 ◆収穫
 シーンとしての面白いのは、殺し合いを演じた者たちが、意味もなく夜空で星座を形づくるシーン。それから、女形の少年、早乙女太一が日本舞踊を踊ってみせるシーン(おっ、誰なんだ、こいつはと思わせます。実は、彼は『座頭市』にも出ていたし、2004年の東京スポーツ・日本芸能大賞を受賞するなど、一部ではよく知られている役者らしいのですが、彼はちょっと面白いですね。北野武も彼のことが気になる存在だと感じているらしいのは、映画から伝わってきます)。
 あとは、誰でも、えっと思うところでしょうが、京野ことみが本作で脱ぎまくり、あえぎまくりなところ。濱田マリは『血と骨』で脱いで女を上げましたが、京野ことみは逆に本作で女を下げたかもしれない(いや、むしろ上げたか?)。観ていてちょっと痛々しかった。

 ◆類似
 こうやって書いてくるうちに、この映画、案外面白かったのかもしれない、そんな気もしてきました。
 現実と夢想が交錯する、役にキャストの現実が割り込んでくる、たとえ死ぬような状況でも何度もそれがリセットされる、脱線や逸脱やパロディーや悪ふざけがふんだんに織り込まれる、……と本作のことを考えていくと、これって去年公開されたアニメーション『マインド・ゲーム』と一緒じゃないか。だとしたら、『マインド・ゲーム』の方が断然よく練り上げられているし、面白い。こういう手法は、やっぱり才気走った若手の仕事なんじゃないかと再認識もするのですが。

 ちなみに、『座頭市』の時は、各国での公開が続々決まっていったのですが、本作の公開日が確定しているのは今のところトルコだけのようです。

 *この記事に中にちょっとはハッとさせられる部分があったら、人気ブログランキングにクリックをお願いします。

 マインド・ゲーム
マインド・ゲーム [DVD]

この記事へのコメント

2005年12月02日 13:50
TBありがとうございました。早速お返しに…と思ったら2つかぶってしまって。よければ削除お願いします。
ぼくも「メメント」観ました。あれも面白かったですね~。編集の時点で切って貼って、をやっていたんですね。活字ではウィリアム・バロウズが「カットアップ」と称し、多用していたというのを思い出しました。
個人的にはすごく面白かったですよ。

この記事へのトラックバック

  • TAKESHIS'

    Excerpt: 「TAKESHIS'」 北野武監督第12作目となるこの作品。今まで彼が、いや多くの映画監督が持っていた方向性とは一線を画し、進めば進むほどに混迷を極めるものを作り上げてしまった。ヴェネチア国際映画祭.. Weblog: 泥海ニ爆ゼル racked: 2005-12-02 13:40
  • 夢と現実~「TAKESHIS’」

    Excerpt: 今「TAKESHIS’」を見た。 Weblog: 取手物語~取手より愛をこめて racked: 2006-12-11 23:22