『ヘヴン』 恋に落ちる瞬間 その2


 脚本はこの場面から始まっていた。
 脚本の1ページ目では緊張したこの女性が明らかに爆弾と分かるものを準備している。
 部屋には危険と絶望が漂っているが、攻撃的な緊張感も満ちている。
 どんな物語になるか、観客には見当もつかない。
 脚本の冒頭の場面を読んだ私は、この女性に興味を持った。
 脚本の描写から私が想像したのは、美しいが、思いつめた内向的な女性だったからだ。
 この脚本が持つ不思議な魅力に、私はすぐとりこになり、共感した。登場人物だけでなく物語の着想や構造にもね。

 これは、トム・ティクヴァ監督作品『ヘヴン』の冒頭部分の監督コメンタリーです。
 トム・ティクヴァは『ラン・ローラ・ラン』で日本でも一躍注目を浴びたドイツの監督で、この作品はポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督の遺稿を映画化した作品であり、元々はダンテの『神曲』の「天国篇」から発想されたもの。
 映画も素晴らしいんですが、DVDに収められたこの監督コメンタリーもまた素晴らしいんですね。監督のぎこちない英語もほほえましくて、いいんですよ。

 主人公は、夫を麻薬の過剰摂取で失い、自ら麻薬の元締めを殺そうとした英語の先生(ケイト・ブランシェット)です。彼女はターゲットを殺せず、関係のない民間人を死なせてしまって、いったんは憲兵隊につかまるんですが、彼女に恋した憲兵隊の青年の助けを借りて逃げるという物話。
 キェシロフスキらしい罪と罰と孤独と運命の物語でありながら、とてもスリリングな映画に仕上がっていて、感動的な作品です。舞台がイタリアで、半分以上がイタリア語。背景となっているイタリアの風土もとてもいい雰囲気を出しています。これでトム・ティクヴァはヨーロッパで最も新作が期待される映画作家の1人になった、と私は、当時の鑑賞メモに書いています。

 前回の記事では、「恋に落ちる瞬間」についてけっこう図式的に書いてしまいましたが、ここでは、『ヘヴン』を題材に取って、監督コメンタリーから、その部分を丁寧に、そして具体的に辿ってみたいと思います。ちなみに、映画のオープニングは、上に書いたのものの前にさらに付け足した部分がありますが、これはエンディングにリンクしています(そこにそういう意味があることは観客にはエンディングまでわかりません)。

 ケイトが演じるフィリッパという女性は、爆弾を置くが、彼女が狙う男の顔は見えない。
 この物語でとても面白いと感じたのは、単純な運命のいたずらで状況が一変することだ。フィリッパはある男を狙い、暗殺計画を立てるが、それは思いも寄らぬ大惨事へと激変する。無実の人や子供までもが死ぬんだ。脚本家は子供を使って衝撃を大きくした。脚本を読んだ人々はショックを受け、この映画の続きは一体どうなるんだろうと考える。主人公の女性は無実の人々を殺すが、観客は彼女を許容できるか? どうやって観客を納得させるのか?
 爆発は高層ビルのエレベーター内で起こる。撮影は同時多発テロよりもはるか前だが、爆発を外から見たショットは元々使っていない。撮影はあの事件の2ヵ月ほど前のことだ。
今でも驚いていることが1つある。特殊効果ショットを試作して、爆発する高層ビルを外から見たショットを検討した。だが、どうしても『ダイ・ハード』風になる。アクション映画のようで、『ヘヴン』には合わなかった。この爆発は、心の中の傷を表している。もちろんこの爆発は多くの人命を奪った恐ろしい事件だ。だが、本作では単なるテロ事件ではなく、この絶望的な女性の魂についた傷を象徴している。だから爆発を屋内から撮影したのは、論理的に検討した結果だ。  (中略)
 次の舞台は尋問室。
 ここで2人目の主役が登場する。ジョヴァンニ・リビージ演じるフィリッポだ。
 この場面や設定で気に入っているのは、男優たちをバランスよ
映しているところだ。この女性を取り囲む多くの男性のうち誰かが物語の主人公だと観客に思わせている。
 たとえば、検察官は魅力的だ。演じる俳優もすばらしい。検察官は真実の追究に熱心だ。この男性警視)警視)(よりもね。彼は容赦なく、この状況に怒りを抱き、フィリッパから自白を強要しようとしている。彼は先入観を抱いて取り調べている。
 まだ物語の方向性は見えないが、観客は皆、男性たちの誰かが主人公だろうと思う。
 そこへ突然、目立たなかったこの青年が登場する。彼が発言すると注目が集まる。ここで画面は彼を中心に据えることになる。まだ幼さの残る純朴そうな青年憲兵。
 物語における彼の役割はまだわからない。彼は通訳を務める。つまりフィリッパの供述を代弁する役割を負う。そしてある意味、フィリッパの声となる。通訳の過程で、フィリッパは彼女の中に何かを発見し、それが彼女の人生を変えるんだ。
 2人ともすばらしい演技をしている。作品の要となるこの重要な場面で、フィリッパは自分の犯した罪について知らされる。この瞬間に真実を知らされるんだ。彼女は男を殺したと思っているが、死んだのは4人の無実の人々。
 フィリッパの表情は一変し、それまで彼女がかぶっていた仮面は崩れ落ちる。怒りと決意の表情は消え去り、彼女のもろさと絶望の波が押し寄せる。そして挫折と深い悲しみも全てを露呈したこの姿が物語の今後の展開に大きな役割を果たす。

 長くなってしまったので、この続きは次回ということにしますが、監督コメンタリーを書き抜きつつ、また最後まで通しでDVDを観てしまいそうになりました。そのくらい傑作で、思わず誘い込まれる作品だということですね。「爆発」の前後も展開を知っていながら、本当にドキドキしてしまいました。

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この記事へのコメント

☆Mathieu☆LOVE☆
2006年05月02日 04:30
はじめまして!
私も『ヘヴン』はすばらしいと思いました。
この映画でジョバンニ・リビシ君を知り、好きになりました。
監督のコメンタリーを聞いて、一番グッときた
ところは、尋問室で気絶したフィリッパを助け起こそうとしたジョバンニが完全に恋に落ちてしまう美しいシーンで、監督が「ここでは周囲声の音量を落としてある。この瞬間、周りの音は聞こえないはずだ。」と言っているところです。
David Gilmour
2006年10月04日 23:46
こんばんは、返信トラバありがとうございました。

この映画は、ストーリーもさることながら、特殊カメラを使った美しい映像に感動してしまいました。

それでは、また今後ともよろしくです!!
umikarahajimaru
2006年10月05日 03:36
David Gilmourさま
コメントありがとうございました。
『ヘヴン』、今はセルDVDでは入手できないみたいですね。David Gilmourさんはレンタルでご覧になったのでしょうか。監督コメンタリーを聞きながら観るとまた別の感慨が得られるのですが、レンタルだと入っていないのかな?
トム・ティクヴァの新作は、パトリック・ジュースキントの『香水』の映画化らしく、これもまた楽しみなのですが、その時に『ヘヴン』のDVDも再発売されるといいなあって思っています。
真紅
2007年04月06日 01:27
umikarahajimaruさま、こんにちは。
私は『パフューム』の後にこの作品を観ましたが、本当に素晴らしい作品だと思いました。
感動しました。
コメンタリも、トム・ティクヴァがつたない英語で一生懸命語っているのが印象的でした。
DVD、廉価版で出たりしたら買ってしまいそうです。
ではでは!
umikarahajimaru
2007年04月06日 08:07
真紅さま
ご無沙汰しております。
私があの記事を書いた時、映画『ヘヴン』でTBできるブログはほとんど見当たらなかったと記憶しています。よくぞこの記事を見つけてくださいました!
『ヘヴン』は恋愛映画としても最高傑作の1つだと私も思っています。DVDは、アスミックなので廉価版は出ません、たぶん。なので、現定価でお求めください(笑)。そのくらいの価値がある1枚ですよ!
トム・ティクヴァに関しては、近々また記事を書こうかと思っています。よかったら、チェックしてみてください。

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