ゴダール・ブームは4年に一度やってくる、または、ゴダール・ブームの仕掛け人について

ジャン=リュック・ゴダール監督最新作『アワーミュージック』の公開を記念して、ジャン=リュック・ゴダール監督作品 日本公開年表」を作ってみました。
リストは、こちら(http://www7a.biglobe.ne.jp/~umikarahajimaru/jlg.html)。
このリストは、たとえ個々の作品は観てなくても、そういえばあの時この映画の予告編やってたなあとか、この映画のチラシをもらってきたはずじゃなかったかなとか、いろんな記憶がよみがえってきて、映画ファンならきっと個人の映画鑑賞史と重なる部分が多いんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
というのも、ゴダールほど長い年月にわたって、日本で繰り返し、作品が紹介され続けている映画監督は他にはないからですね。映画ファンどうしであれは、このリスト1つで、昔話に華が咲いて、けっこう楽しめるかもしれません。一見無味乾燥なタイトルの羅列とも見えるものですが、まずは自分史と重ねて、ちょっとながめてみてください。
さて、リストを見てわかるのは、ゴダール監督作品の紹介のされ方にいくつもの波があることです。
(1)まず、1959年製作の『勝手にしやがれ』が翌年に日本で公開されて以降、ゴダールの新作がほぼ1年後に日本でも公開されるような状態が1969年くらいまで続きます。
ヌーヴェルヴァーグと言えば、まず『勝手にしやがれ』であり、『勝手にしやがれ』と言えばヌーヴェルヴァーグの到来を高らかに告げる作品であった。と、なんとなく頭の中に植えつけられていますが、だからと言って、当時はゴダールの新作が完成したら、日本でもすぐ待ち焦がれるように公開というわけにはいかなかったようです。『勝手にしやがれ』のみ、フランス公開のすぐ10日後に日本で公開されていますが、第2長編である『小さな兵隊』は日本公開までに6年近くかかっています。第3長編である『女は女である』は(『小さな兵隊』より先に公開されて)、フランス公開の3ヶ月後に日本公開されていますが、これは『勝手にしやがれ』や『女は女である』が映画祭で賞を獲った折り紙つきの作品であるのに対して、『小さな兵隊』はそうではなかったということと関係があるのかもしれません。
当時の映画の配給のされ方や観客への受け入れられ方が実感としてはわからないので、何とも言えないのですが、ゴダールなら何でもいいというわけではなくて、年に1本あるかないかのゴダール作品をみんな年中行事のように楽しみにしていた、という感じなのでしょうか。
(2)ゴダール作品の公開は1970年に1つのピークを迎えます。それ以前に公開された作品も名画座等で繰り返し上映されているはずですが、この年は5本もの未公開作が公開されています。これには、学生運動などの社会的背景が大いに関係しているのではないか、と考えられます。
(3)続く70年代は、社会背景やゴダール自身の事情もあるのでしょうが、どう見ても、日本でのゴダール紹介熱は冷めてしまっています。
(4)80年代に起こったミニシアター・ブームの中で、ゴダールも復活の兆しを見せます。「ミニシアター」という観念を担った配給会社や劇場がこぞって、新作、旧作の区別なく、ゴダール作品を手がけています。
個人の嗜好や趣味の多様化に合わせて、差別化された空間の中で、ユニークな映画体験を楽しむ場としてのミニシアター。そこでは世界各国の知られざる映画作家の作品が上映されたわけですが、その中でもゴダールだけは別格だったということでしょうか。
それを象徴するかのようなできごとが、今はなきシネ・ヴィヴァン・六本木のオープニング作品が『パッション』だったことです。
(5)80年代末~90年代前半で、バブルの崩壊と機を同じくして、またもやゴダールは失速してしまいます。日本では「ゴダールは当たらない」というのが定評になりつつさえありました。
それを象徴するのが、『ヌーヴェルヴァーグ』お蔵入り騒ぎです。アラン・ドロン主演にも拘らず、1990年当時、『ヌーヴェルヴァーグ』公開は厳しいと判断され、「これを見逃すともう2度と観ることはできないかもしれない」という触れ込みで、有料試写会のような形で上映会が行われました(確か2000円で、場所はヤクルトホールだったと思います)。
今から考えると嘘みたいな話なんですが、当時は本当にそんな危機感がありました。それが逆に後のゴダール・ブームを呼んだのではないかと私は考えるのですが、たくさんのゴダール・ファンの後押しがあって、レイトショーという形ではあったんですが、『ヌーヴェルヴァーグ』はお蔵入りを免れ、劇場公開されました。
(6)その後は、94年、98年、02年と、4年おきに、ゴダール作品公開ラッシュが巻き起こっています。特に94年の時は、ミニシアター・ブームの初期の頃ともまた雰囲気が違っていて、ゴダールを観るのが、「かっこいい」「おしゃれ」「センスがいい」という感じになっていました(逆に言うとそれはミニシアター・ブームの行き詰まりのような気もしますが)。
ミニシアター・ファンの、よりコアな層が駆けつける「レイトショーのプログラム」は、ジェーン・バーキン、ジャック・ドワイヨン、セルジュ・ゲンズブール、そしてゴダール、この繰り返しばかりでしたから。
ゴダール作品を手がける配給会社としては、30年以上にわたってゴダール作品を紹介し続けているフランス映画社がありますが、実はもう1人、ゴダール・ブームの仕掛け人のような人がいます(イニシャルでSさんとしましょう)。
リストで、それぞれの作品の配給会社をチェックすれば、わかりますが、転機があったのはやはり『ヌーヴェルヴァーグ』です。それ以降、ゴダール作品配給に、新しい映画会社が次々名乗りを上げます。
『ヌーヴェルヴァーグ』の配給会社は、広瀬プロダクションですが、広瀬プロダクションの広瀬さんというのは、ゴダールと旧知の仲であったという方で、広瀬さんがゴダールから作品の権利を売ってもらったところから話は始まります。広瀬さんは、ゴダールから作品の権利を売ってもらったものの、日本でどうやって映画を公開したらいいのかわかなかったということで、声をかけたのが、当時様々なイベントの企画・運営をやっていたSさん。このSさんが、映画公開もイベントの1つのはずだから、やってみましょうと言って引き受けたのが、『ヌーヴェルヴァーグ』だったわけです。
「いろんな人に応援してもらったおかげ」とSさんは言いますが、それに続く広瀬プロダクション配給作品で、ゴダールはブームのようになっていきます。
その後、広瀬さんが直接ゴダールから作品を買うということができなくなって、広瀬プロダクションは映画業界から撤退しますが、Sさんは今度はまた別の会社で、ゴダール作品を手がることになります。そして今Sさんはまた別の会社でゴダールを……。
ゴダール・ブームは決して誰か1人が仕掛けたらできた、というものではなかったと思いますが、少しばかり映画配給の現場を間近で見てきた者としては、ゴダール・ブームって実はSさんが仕掛けたようなものだ、と感じられてくるんですね。誇張ではなしに、ゴダール・ブームにおけるSさんの貢献度は大きかったのだと思います。
*「アワーミュージック」公開記念と言いながら、「アワーミュージック」には全く触れることができませんでしたが、映画紹介サイトやブログも多いことですし、それは、そちらにお任せしたいと思います。ちなみに、Sさんとは、プレノン・アッシュ代表取締役の篠原弘子さんのことではありませんので、あしからず。
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この記事へのコメント
「日本公開年表」(←スバラシイ!)を拝見し「勝手にしやがれ」が1960年に
日本公開されたことを知り驚いていました。45年前とは・・・。
ブームに便乗して、過去作品を映画館で見たいと切に思っています。また来させていただきます。
なかなかゴダールの古い作品はレンタルショップにないですね。
でもリストを参考に探してみます。
http://plaza.rakuten.co.jp/almarino/diary/200608200000/
コメントありがとうございました。
まあ、そんなに無理してゴダールを観ることもないと、私は思いますけどね~。
私も何枚かDVDを持っていますが、自宅でのDVD鑑賞では緊張感を保つ自信もないし、買ったきりで観ていないんですよ。