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zoom RSS 「私が3-D映画を嫌いなわけ」 ロジャー・エバート

<<   作成日時 : 2010/05/04 00:30   >>

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 ロジャー・エバートが、「私が3-D映画を嫌いなわけ」(“Why I Hate 3-D(And You Should Too)”)という記事を、「ニューズウィーク」に発表しています。(4月29日)
 同じ記事が、「ニューズウィーク 日本版」に出ているのか、これから出る予定なのかは知りませんが、簡略版を以下に訳出してみたいと思います。

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 オリジナル記事は、こちらです:http://www.newsweek.com/id/237110
 引用元は、おなじみのAwards Dailyです:http://www.awardsdaily.com/?p=21444#more-21444

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 1.次元の無駄である。
 人は、2-Dの映画を観る時でも、頭の中で3-D化して観ている。われわれの頭は、遠近法を活用して3次元をとらえているものだ。人工的にもう1次元加えたからと言って、ましになるわけではない。

 2.映画体験にプラスになるものはない。
 生涯で最高の映画体験を思い出してほしい。それに3-Dは必要だろうか? 偉大な映画とはイマジネーションの所産なのである。

 3.破壊行為にほかならない。
 2-Dでは、監督は、注意を喚起するために、前景と後景で焦点深度を変えることが多い。しかし、3-D技術では、画面全体にシャープに焦点が合っていなければならない。私はこんなことが必要だとは思わない。焦点に関する監督のヴィジョンを奪う行為である。

 4.吐き気や頭痛を催させる。
 3-Dという視覚体験はなじみのないもので、心理的負担となるし、頭痛も起こりやすい。最近、発表された記事によると、消費者調査では、3-D映画を観た観客の15%が頭痛や眼精疲労を訴えているという。

 5.3-Dといっても、ほんのちょっと次元を加えているだけに見える。

 6.新しくデジタル・プロジェクターを導入するには多額の費用がかかる。

 7.3-Dのために映画館は、5ドルで済んでいたところを7.5ドル支払わせている。
 広告やら上映形態やらのせいで、子供たちは“3-D観たい病”になっていて、結果的に親に負担をかけることになる。

 8.私は、シリアスなドラマ、たとえば、『マイレージ、マイライフ』や『ハート・ロッカー』を3-Dで観たいとは思わない。
 監督たちもそう感じてるのではないだろうか。3-Dで撮影しておいた『ダイヤルMを廻せ!』が2-Dでニューヨーク・プレミアだっていうんなら、アルフレッド・ヒッチコックも怒るかもしれないけれど。3-Dは、子供向けの作品やアニメーション、ジェームズ・キャメロンの『アバター』のような大きくCGに依存しているような作品にこそふさわしいのかもしれない。

 9.ハリウッドは危機に瀕すると必ずテクノロジーに頼ってきた。トーキー、カラー、ワイドスクリーン、シネラマ、3-D、立体音響、そして、再び、3-D。
 マーケティング的に言えば、これらは、家庭では得られない経験を提供するという名目で登場してきている。ブルーレイやHDケーブル、ホーム・デジタル・プロジェクターの普及により、映画館と家庭の差はますます縮まってきている。3-Dテレビが普及すれば、その差はさらに縮まるかもしれない。

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 う〜ん、映画評論家ならではの、独創的で核心を突いた意見が聞けるかと思ったら、案外、常識的なところで、終わってしまいました。

 私個人として思うところは以下のような感じでしょうか。

 ・今の3-Dは、われわれが実際の風景を立体視しているのとは違う特殊な視覚体験で、ずっとジオラマを見せられているような感覚に近く、視覚的にも心理的にも負担が多い。絵画における「幾何学的透視図法のみによる遠近法」のいびつさにも似ている。

 ・3-D眼鏡をかけることによって、かけない時よりも画面が暗くなってしまうが、その差をどうでもいいと思ってしまう鈍感さが許せない。

 ・監督による繊細なヴィジュアル・イメージよりも、3-Dにすることが優先されてしまう。

 『アバター』の大ヒットにより、ハード面での3-D導入が一気に進んでしまいましたが、結局、自分で自分の首を絞めることになるんじゃないかということも心配です。
 「映画館で観るなら3-Dという風潮」→「料金上乗せが客足を遠のかせる」「映画館体験のイベント度を強めてしまう」「今の3-Dは新鮮味がないし、もう飽きたという気分が出てきてしまう」→結局、全体的に映画館から客足が遠のき、ハード面の導入費が回収できなくなる。回収するためには、意地でも3-Dを上映し続ける、さらに客足が遠のく、という悪循環が起こってしまう……。

 個人的には、3-Dは100%不要で、3-Dなら観ないということに決めてしまいましたが、早いところ、3-Dで入ってくる作品の割合が落ち着き(どのレベルであれ)、3-Dと2-Dの住み分けが明確化されればいいなあと思うだけです。

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 以下に、そのほかの、3-D映画に関する記事をいくつかピックアップしてみます。

 ◆「手塚眞ブログ」 2010年4月27日(http://tzk.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-9a0a.html)
 「最近メディアで3D映像の話題がよく出ていますが、ヴィジュアリストとしてのコメントは、まだ時期早尚だと思います。なによりも技術が安定していない。開発経過中という印象です。話題の『アバター』も含めて、いくつかの3D映画も観ましたが、正直にいえば、見づらさがかなりあります。
 映像が表現している形(光)、動き、色の明快さに比べると、立体感は、あまりにおぼつかない。完全な立体というより疑似立体な感じで、たいして効果的ではない。実際、作り手たちは、過度な立体感を求めず、なにか自然に見えるように腐心しているらしい。だから映像は飛び出さない。奥行きが感じられる程度。(奥にいくほど立体には見えなくなるんですがね。遠くの山とか)
 飛び出す立体映画としては、かつてディズニーランドで観たマイケル・ジャクソン主演の『キャプテンEO』がやっぱり、面白かった。手が届くようなすぐ目の前まで何か飛び出してきて。もっとも、やはりそれは、遊園地のアトラクションという域を脱さず、だから、短編でした。そもそも、長編には向いていない。(たぶん疲れてしまうし飽きてしまう)
 3D映像を意義から考えれば、情報としての3D、つまりxyzでのz軸にあたる値、それが必要なんですが、いまのやり方だとそこが曖昧です。それがあれば、たとえば、空間認識が必要な商品やメールなどにも有効なんですが。
 表現という分野からいうと、それは未来的どころか、退歩であって、ぼくは、消失点をもった遠近方を生んだくらいの愚挙だと思いますね。
 遠近方以前の表現は、眼で見たかぎりの外見の写し換えではなく、しっかり内容の表象であって、たとえば、日本の絵巻物なんかも高度な視点の置き換えと意味が表現されていた。浮世絵くらいまではそうですね。写実は意味を薄れさせ、よけいな情報を増やしただけです。
 映画は、世界を2次元に、しかも臨場感をもって表現できる素晴らしさがあったわけです。そのための様々なテクニックが開発されてきた。アップとかカットバックとか。映画をアートたらしめた表現のテクニックがたくさんある。3Dは、それを台無しにしてしまう可能性が否めません。
 一過性の見せ物としては面白いのですけどね。
 それでも3D映像はこれから商品として普及するでしょう。目新しさはあるし、内容の価値と商品価値は別物ですから。」

 ◆原田眞人「HARADA FREAKS」 2010年1月5日(http://www.haradafilms.com/)
 「いずれにせよ、3Dは映画の将来ではない。3Dは単に、イベント映画のひとつの形である。」

 ◆青山真治「MINER LEAGUE」 2010年1月7日(http://blue.ap.teacup.com/himaraya/518.html)
 「そしてとうとう『アバター』である。
 見る前に「ガースー黒光りパンドラ」を舞台に「絶対笑ってはいけないアバター24時」という企画がふと頭をよぎった。「おまえら〜、ちょっとあの鳥に乗ってくれるか〜」という藤原のとぼけた声がしてきそうだ。にしても、この3Dは面白すぎないか。いわゆる「映画」とはまたべつの体験だという気がするが、面白さには変わりない。見ながらどんどん頭が痛くなり、その頭痛が半端なくなってきたところで戦闘シーンがピークに達し、そのうち乗り物を完璧に乗りこなしたというような爽快さで頭痛は消えていった。そんな生理的な現象をもともなうのが3Dということか。『アビス』の「水中呼吸」に慣れる感覚によく似ているが、あれはスクリーンのなかのひとのもので、これは見る側のものだ。ジェイクもアバターに入るのにあれほどの仮死体験はなさそうだった。
 で、この乗りこなし感だが、昼に来月出る拙著『シネマ21』のゲラを読んでいてちょうどキャメロンの部分に差し掛かっていたんだが、そこに「キャメロンの映画は全部キャメロン自身の見た目」というようなことが書いてあり、この新作もズバリそのとおりだったので、まったく変わらないその姿勢に胸を打たれた。ただ、乗りこなし感といってもキャメロンの場合「見た目」であることはいわゆる「ゲーム感覚」とは一線を画し、「ゲーム」はいつしか「ライフ」へと、のっぴきならないところへと自分を賭けていく感じまで到達するんで、そこでもさらに胸を打たれるものがあった。もっともこの「ライフ」は日本語に訳したときの重みを欠いた、タワレコのキャッチコピーに現れるときのようなカジュアルな装いのそれではあるが。ともあれ『タイタニック』(そして比較するまでもないが『2012』)に対する『アバター』の圧倒的な優位は、終始展開する空前絶後の運動感覚(特に、飛行)にあることは言うまでもなく、この運動感覚こそが3Dの生理反応とともに「ゲーム」から「ライフ」への移行を促すのである。」

 ◆「粉川哲夫のシネマノート」 2010年3月18日「アリス・イン・ワンダーランド」(http://cinema.translocal.jp/2010-03.html#2010-03-18)
 「観客がメガネを装着して見る3Dシステム (realD )は、まだ未熟であり、その「定式」もあいまいである。使い心地からしても、メガネをかけている者には、わずらわしい。表現は「定式」が出来、それを壊す形で新しい表現が生まれる。その点では、ジェイムズ・キャメロンの『アバター』は、バートンよりももっと深いところに迫ったと思う。しかし、まだまだこの世界は未開拓であり、ましてバートンが今回試みた程度ならば、2D映像でも十分表現できるだろう。しかも、この映画のヤマは「怪物」との闘いシーンなので、3D技術は、子供向きの効果にとどまっている。3D映画は、ページに印刷された文字のメディアと一層距離を置かざるをえないから、字幕のあつかいも、再考されなければならない。」

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