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今年は、ぴあフィルムフェスティバル2008でミロシュ・フォアマンの旧作が上映されたり、「チェコ映画週間」が企画されたりしていますが、実は、これらはひそかに「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」特集だったりします。 日本では、「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」はまとまった形、きちんとした形では紹介されておらず、活字情報としても、Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B0)と、赤松若樹氏が書いた短い紹介記事しかありません。 そこで、今回は、当ブログなりに「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」についてまとめておきたいと思います。 簡単に言うと、「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」とは60年代に発生した世界各国の新しい映画のムーブメントの1つで、チェコのプラハを主なる拠点として、イジー・メンツェルやミロシュ・フォアマン、ヴェラ・ヒティロヴァらといった監督を輩出しています。生み出された作品は世界的にも高く評価されて、「チェコスロヴァキア映画の奇跡」とも呼ばれ、1965年から1969年まで4年連続で米国アカデミー賞外国映画賞にノミネートされて、うち2作品が受賞を果たしています。 【代表的な作品】 ・ヤン・カダール、エルマル・クロス『大通りの店』(1965) 1965年米国アカデミー賞外国語映画賞受賞 ・ミロシュ・フォアマン『ブロンドの恋』(1965) 1966年米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート ・イジー・メンツェル『厳重に監視された列車』(1966) 1967年米国アカデミー賞外国語映画賞受賞 ・ヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく』(1966) ・ミロシュ・フォアマン『消防士の舞踏会』(1967) 1968年米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート ・イジー・メンツェル『つながれたひばり』(1969) 1990年ベルリン国際映画祭金熊賞&国際批評家連盟賞受賞 ※「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」は、チェコのプラハを拠点としたムーブメントである「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」とほぼ同義なのですが、スロヴァキア映画である『大通りの店』をムーブメントをも含んでとらえる場合に、「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」という呼称が使われています(ただし『大通りの店』もバランドフ撮影所で製作)。 【作品の傾向】 ・プロではない俳優の起用 ・リアリティーのある物語 ・ブラックな笑いの要素 ・反共産主義的とされる作家(ミラン・クンデラなど)の原作や脚本の映像化 ・テーマとしての「個人の解放」や「モラルからの逸脱」 ・直接的・間接的、あるいは風刺や暗喩として、当時および過去の社会的状況を描き出すこと ・脚本家エステル・クルンバホヴァーの活躍(『ひなぎく』、ヤン・ニェメツの諸作品など) ※「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」は、「自由への機運が兆していた当時の時代性をバックグラウンドとして、チェコスロヴァキアに相次いで登場した、優れた映画監督たちと彼らの作品」のことで、特定の流派や主義主張的な運動ではなく、何らかの「共同宣言」のようなものがあったわけでもありません。 【チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグの誕生から終焉へ】 チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグは、スターリンの死後(1953年)、文化に対する政治的締め付けが徐々に緩和され、1968年にはついに検閲が廃止されるに至るといったチェコスロヴァキアの民主化への動きと、シネマ・ヴェリテやフランスのヌーヴェルヴァーグといった映画のムーブメントを受けて、1962年頃に生まれたと考えられています。 具体的には、プラハにあるチェコ国立芸術アカデミー映画学部(FAMU)からバランドフ撮影所に進んだ若き映画監督たちが、「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」の担い手となっていて、互いに刺激を与え合いつつ、時に協力しあったりして制作を行なっています。 また、一般的には「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」には含まれないものの、当時のチェコスロヴァキアでは、ドキュメンタリー映画やアニメーションにも著しい成果があり、ドキュメンタリー映画では、エヴァルト・ショルムやヤン・シュパータ、カレル・ヴァヘク、ラドゥース・チンチェラらが活躍し、アニメーションでは、イジー・トルンカ(http://umikarahajimaru.at.webry.info/theme/5e8877b60b.html)を中心にセル・アニメ(トリック・ブラザーズ・スタジオ)や人形アニメ(トルンカ・スタジオ)が精力的に制作しています。 当時のチェコ映画の躍進は国際的に見てもまばゆいばかりで、数多くの国際映画祭を席捲したほか、ポーランド出身のアニエスカ・ホランド(http://umikarahajimaru.at.webry.info/200612/article_13.html)も、チェコ国立芸術アカデミー映画学部(FAMU)に留学して(1966〜70)、ミロシュ・フォアマンに学び、日本の川本喜八郎(http://umikarahajimaru.at.webry.info/200709/article_13.html)もイジー・トルンカに学ぶために渡欧しています(1963〜64)。 ※70年代には、エミール・クストリッツァ(http://umikarahajimaru.at.webry.info/theme/c5f9f3819f.html)もチェコ国立芸術アカデミー映画学部(FAMU)に留学しています。 しかし、チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ(=チェコスロヴァキア映画界の自由への機運)は、1968年のワルシャワ条約機構の軍隊による侵略ののち、一気にしぼみ、強固な共産主義体制へと回帰しようとする「正常化」の流れの中で、検閲も復活して、多くの映画人が製作現場から排除されることになり(ヴェラ・ヒティロヴァ、ヤロミル・イレシュら)、作品も上映禁止になったりしました(イジー・メンツェル『つながれたひばり』など)。こうした状況に対し、イヴァン・パッセルやミロシュ・フォアマンらは亡命し、祖国に残った映画人たちは厳しい状況の中で細々と映画製作を続けていくしかありませんでした。 ワルシャワ条約機構の軍隊による侵略時、映画監督ヤン・ニェメツは、プラハで撮った戦車のフィルムを持って、オーストリアに逃れ、その映像が全世界に放映されることになった、と伝えられています。 「チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ」は、自由に映画が取れなくなる暗黒の時代が来る前のほんの短い期間に現れた、チェコスロヴァキア映画史上に燦然と輝くきらめきで、チェコスロヴァキア映画史における青春時代だった(美しいが、儚くて壊れやすい!?)と言ってもいいかもしれません。だから、つかの間の幸せな時代として、後々まで語られることになるわけですが。 【チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグの主な映画監督たち】 ・ヤン・カダール Ján Kadár(1918〜1979) スロヴァキアの映画監督。エルマル・クロス Elmar Klos(1910〜1993)とコンビを組み、『大通りの店』(1965)でチェコスロヴァキアに初めての米国アカデミー賞外国語映画賞をもたらす。 ・エステル・クルンバホヴァー Ester Krumbachová (1923〜1996) ヤン・ニェメツ『夜のダイヤモンド』“Martyrs of Love(Mucedníci lásky)”“The Party and the Guests(O slavnosti a hostech)”、ヤロミル・イレシュ“Valerie and Her Week of Wonders(Valerie a týden divu)”、ヴェラ・ヒティロヴァ『天井』『ひなぎく』“Fruit of Paradise(Ovoce stromu rajských jíme)”、Zbynek Brynych“The Fifth Rider Is Fear(...a páty jezdec je Strach)”などの脚本を手がけ、1970年に“Killing the Devil(Vrazda ing. Certa)”で監督デビュー。 ・カレル・カヒニャ Karel Kachyňa (1924〜2004) “Echo(耳)”(1970)は、1990年に初公開になった。 ・ヴォイチェフ・ヤスニー Vojtěch Jasný (1925〜 ) 1959、1963、1966、1969とカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に作品が選出され、1963年“That Cat(Az prijde kocour)”で審査員特別賞受賞、1969年“All Good Citizens(Vsichni dobrí rodáci)”で監督賞受賞。1968年以降、作品が上映禁止となり、ドイツに移って、TV番組の制作に関わるようになる。 ・ヴェラ・ヒティロヴァ Věra Chytilová (1929〜 ) ・ヤロスラフ・パポウシェク Jaroslav Papoušek(1929〜95) ミロシュ・フォアマンの『黒いピーター』(1963)『ブロンドの恋』(1965)『消防士の舞踏会』(1967)の脚本を手がけている。『消防士の舞踏会』では助監督持務めている。1969年に“Behold Homolka(Ecce Homo Homolka)”で監督デビュー。 ・ドラホミーラ・ヴィハノヴァー Drahomíra Vihanová (1930〜 ) ・エヴァルト・ショルム Evald Schorm (1931〜1988) 1968年以降映画が撮れなくなり、ラテルナ・マギカ劇場などに参加する。“Den sedmý,osmá noc(七日八夜)”(1969)は1990年になって初公開された。 ・ミロシュ・フォアマン Miloš Forman (1932〜 ) 『ブロンドの恋』(1965)で米国アカデミー賞外国語映画賞受賞、『消防士の舞踏会』(1967)で同賞に再びノミネート。プラハの春以降、米国に亡命。亡命後、『カッコーの巣の上で』(1975)と『アマデウス』(1984)で米国アカデミー賞受賞。 ・ズデニェク・シロヴィー Zdenek Sirový (1932〜1995) 1968年以降は、外国映画のチェコ語の吹き替えに携わるようになる。 ・イヴァン・パセル Ivan Passer (1933〜 ) ミロシュ・フォアマン監督の『黒いピーター』(1963)で助監督を務め、『ブロンドの恋』(1965)『消防士の舞踏会』(1967)で脚本を手がけている。1964年の“A Boring Afternoon(Fádní odpoledne)”で監督デビュー。1969年頃にアメリカに渡っている。『フェアリー・テール・シアター』の「ミック・ジャガーのナイチンゲール」(1983)など、日本でビデオやテレビで紹介されている監督作品も多い。 ・ヤロミル・イレシュ Jaromil Jireš (1935〜2001) ビロード革命前後に、いち早く日本に紹介されたチェコの監督の1人で、1987年の第2回東京国際映画祭インターナショナル・コンペティションで『白いたてがみのライオン』(1986)が上映された。 ・パヴェル・ユラーチェク Pavel Juráček (1935〜1989) ヴェラ・ヒティロヴァ『天井』や『ひなぎく』の原案を手がける。1968年以降、映画を撮れなくなり、6年間ドイツに住む。 ・ヤン・ニェメツ Jan Němec (1936〜 ) 1968年以降、作品が上映禁止になり、ドイツから米国へと亡命。 ・イジー・メンツェル Jiří Menzel (1938〜 ) 『つながれたひばり』(1969)は上映禁止になり、1990年になってベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した。『スイート・スイート・ビレッジ』(1987)は、チェコ映画として久々の米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネートのなり、チェコ映画史上最高の動員記録を残している。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ小史】 1962年 ・ヴェラ・ヒティロヴァ『天井』 *卒業制作 ・イジー・メンツェル“Our Mr. Foerster Died (Umrel nám pan Foerster)” ・Štefan Uher “The Sun in a Net” 1963年 ・ミロシュ・フォアマン『黒いピーター』 ・ヴェラ・ヒティロヴァ“Something Different(O necem jinem)” *1963年マンハイム・ハイデルベルク国際映画祭グランプリ受賞 ・ヴォイチェフ・ヤスニー“That Cat(Az prijde kocour)” *1963年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞 ・パヴェル・ユラーチェク“Josef Kilián(Postava k podpírání )” ・ヤン・ニェメツ“The Memory of Our Day(Pamet naseho dne)” ・エヴァルト・ショルム“Zít svuj zivot” ・エヴァルト・ショルム“Railwaymen(Zeleznicár)” 1964年 ・ヤン・ニェメツ 『夜のダイヤモンド』“Diamonds of the Night(Démanti Noci)” ・カレル・カヒニャ“Vysoká zed” *1964年ロカルノ国際映画祭で初監督賞(Silver Sail)受賞 ・エヴァルト・ショルム “Courage for Every Day (Kazdy den odvahu)” *1966年ロカルノ国際映画祭グランプリ受賞 ・イヴァン・パセル“A Boring Afternoon(Fádní odpoledne)” ・エヴァルト・ショルム“Proc?” ・Zbynek Brynych “The Fifth Rider Is Fear(...a páty jezdec je Strach)” 1965年 ・ヤン・カダール、エルマー・クロス『大通りの店』 *1965年米国アカデミー賞外国語映画賞受賞 ・ミロシュ・フォアマン『ブロンドの恋』 *1966年米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート ・イジー・メンツェル“Concert '65(Koncert 65)” ・イヴァン・パセル“Intimate Lighting(Intimni osvetleni)” ・パヴェル・ユラーチェク“Every Young Man (Kazdy mlady muz)” ・ドラホミーラ・ヴィハノヴァー“Fuga na cerných klávesách” ・エヴァルト・ショルム“Zrcadlení” 1966年 ・ヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく』 ・イジー・メンツェル『厳重に監視された列車』 *1968年米国アカデミー賞外国語映画賞受賞 ・イジー・メンツェル、エヴァルト・ショロム、ヴェラ・ヒティロヴァ、ヤロミル・イレシュ“Pearls of the Deep” *ボフミル・フラベル原作の4話オムニバス ・ヤン・ニェメツ “Martyrs of Love(Mucedníci lásky)” ・ヤン・ニェメツ “The Party and the Guests(O slavnosti a hostech)” ・ヴォイチェフ・ヤスミー “The Pipes(Dymky)” *1966年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品 ・エヴァルト・ショルム“Return of the Prodigal Son(Návrat ztraceného syna)” *1966年ロカルノ国際映画祭スペシャル・メンション 1967年 ・ミロシュ・フォアマン『消防士の舞踏会』 *1969年米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート ・フランチシェク・ヴラーチル『マルケータ・ラザロヴァー』(1965〜67) 1968年 自由化の流れの中で検閲が廃止され、ワルシャワ条約機構の軍隊による侵攻後、「正常化」が始まり、検閲が復活し、数多くの映画人が製作現場から締め出され、のちミロシュ・フォアマンほかの映画人が亡命。 ・ヤロミル・イレシュ 『受難のジョーク』“The Joke” *原作はミラン・クンデラ『冗談』 ・ヴォイチェフ・ヤスニー“All Good Citizens(Vsichni dobrí rodáci)” *1969年カンヌ国際映画祭監督賞受賞 ・ヤン・ニェメツ“Return(Návrat)” ・Juraj Jakubisko “Deserters and Pilgrims (The Deserter and the Nomads)” 1969年 ・エヴァルト・ショルム“End of a Priest(Faráruv konec)” *1969年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品 ・ヴェラ・ヒティロヴァ“Fruit of Paradise(Ovoce stromu rajských jíme)” *1970年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品 ・ヤロミル・イレシュ『闇のバイブル(聖少女の詩)』“Valerie and Her Week of Wonders” ・ヴォイチェフ・ヤスニー“Czech Rhapsody(Ceská rapsodie)” ・ドラホミーラ・ヴィハノヴァー“Squandered Sunday(Zabitá nedele)” ・ヤロスラフ・パポウシェク“Behold Homolka(Ecce Homo Homolka)” ・Elo Havetta “The Gala in the Botanical Garden” ・Juraj Jakubisko “Birds, Orphans and Fools” 1970年 ・ヤロミル・イレシュ“Valerie and Her Week of Wonders(Valerie a týden divu)” 1971年 ・ミロシュ・フォアマン『パパ/ずれてるゥ!』 *カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞 1972年 ・ヤロミル・イレシュ『マルシカの金曜日』 1985年 ペレストロイカ スタート 1989年 11月9日 ベルリンの壁崩壊 11月24日 ビロード革命により、一党独裁を廃止。以後、民主化が進む。映画産業は順次民間に移行。 1990年 ・イジー・メンツェル『つながれたひばり』(1969)がベルリン国際映画祭で金熊賞受賞 ・カレル・カヒニャ “Echo(耳)”(1970)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品 ・ズデニェク・シロヴィー“Funeral Ceremonies(Smutecní slavnost)”(1969)がモントリール国際映画祭で審査委員特別賞受賞 ・エヴァルト・ショルム“Seventh Day, Eighth Night(Den sedmý,osmá noc)”(1969)が初公開になる。 ・ピルゼン(プルズニ)映画祭では、イジー・メンツェル『つながれたひばり』(1969)、ズデニェク・シロヴィー“Funeral Ceremonies(Smutecní slavnost)”(1969)、カレル・カヒニャ “Echo”(1970)、パヴェル・ユラーチェク“Case for a Rookie Hangman(Prípad pro zacínajícího kata)”(1970)、ドゥシャン・ハナック『百年の夢』(1972)、ヴェラ・ヒティロヴァ『パネルストーリー』(1979)などお蔵入りになっていた12本の作品がエントリーされたが、各々の作品が被った不幸を鑑みて、審査は不可能とし、すべての作品にグランプリ(Golden Kingfisher)が贈られることになった。 1993年 1月1日 連邦制解体 ※資料により製作年が異なっている場合があります。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【日本でのチェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ公開史】 チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグは、ヤン・シュヴァンクマイエル等チェコ・アニメを日本に紹介していたアーバン21の粕三平さんが、映画祭という形で上映する計画を立てて、開催場所・開催期日まで決まっていたのに、粕三平さんが実現に向けて動いている途中で不慮の事故によりお亡くなりになって企画が見送られたという経緯があります。開催が予定されていたのは、1999年3月の川崎市市民ミュージアムで、その期間には、代わりに「チェコ・アニメーションの世界」という、これまで粕三平さんが紹介されていたチェコ・アニメーションが上映されました。 その後、2005年に愛知万博の関連行事として東京で「チェコ映画週間」と題した特集上映が行われ(2005年8月30日〜9月9日)、その中で、1989年以降の新しいチェコ映画とともに、チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ時代の作品がいくつか上映されました。その時に日本語字幕がつけられた作品が、今も時折上映されている、というのがチェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグをめぐる現在の状況です。 1988年以降のチェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ関連の上映状況をまとめておくと、以下のようになります。 1988年 8月6日〜9月9日 東欧ファンタスティック映画祭’88@テアトル新宿・テアトル吉祥寺 9作品上映されたうち、チェコスロヴァキア映画は7作品で、ヤロミル・イレシュ『闇のバイブル(聖少女の詩)』が上映された。 1990年 8月25日〜10月5日 イジー・メンツェル『つながれたひばり』(1969) Bunkamuraル・シネマにてロードショー(配給=松竹富士、アルシネテラン) 10月19日〜27日 東欧映画祭’90@草月ホール 13作品上映されたうち、チェコスロヴァキア映画は2作品で、ヤロミル・イレシュ『受難のジョーク』(1968)とヤロスラフ・ソゥクップ『ふたつの決闘』(1989) 1991年 3月3日〜 ヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく』(1966) 日本初公開@吉祥寺バウスシアター 11月4日〜12月3日 ヴェラ・ヒティロヴァ映画祭@吉祥寺バウスシアター 『ひなぎく』(1966)、『リンゴゲーム』(1976)、『パネルストーリー』(1979)、『解放者マサリィク』(1990)、その他短編3本上映 1993年 4月10日〜 ヴェラ・ヒティロヴァ フィルム・コレクション@吉祥寺バウスシアター 『天井』(1962)、『ひなぎく』(1966)、『リンゴゲーム』(1976)、『パネルストーリー』(1979)、『解放者マサリィク』(1990) 2000年 7月 DVDリリース記念『ひなぎく』『天井』2週間限定ロードショー@シネセゾン渋谷 2005年 8月30日〜9月9日 チェコ映画週間@東京写真美術館ホール ヤン・カダール、エルマル・クロス『大通りの商店』(1965)、ミロシュ・フォアマン『ブロンドの恋』(1965)、フランチシェク・ヴラーチル『マルケータ・ラザロヴァー』(1965〜67)、イジー・メンツェル『厳重に監視された列車』(1966)、ミロシュ・フォアマン『消防士の舞踏会』(1967)、フランチシェク・ヴラーチル『暑い夏の日陰』(1977)、フランチシェク・ヴラーチル『夏の終わりのコンサート』(1979)、イジー・メンツェル『スイート・スイート・ビレッジ』(1985)、ヤロミル・イレシュ『白いたてがみのライオン』(1986)、ヤン・スヴィエラーク『小学校』(1991)、ヤン・フジェベイク『ジャッカルの時代』(1993)、ヤン・スヴィエラーク『ドライブ』(1994)、マルティン・シュリーク『ガーデン』(1995)、ミラン・シュテン・ドレル『新しい毎朝をありがとう』(1994)、ヤン・スヴィエラーク『コーリャ 愛のプラハ』(1996)、ペトル・ゼレンカ『クノフリーカージ』(1997)、ウラジミール・ミハーレク『セカルを殺せ』(1998)、ヤン・フジェベイク『心地よい部屋』(1999)、サシャ・ゲデオン『白痴の帰郷』(2000)、ヤン・フジェベイク『この素晴らしき世界』(2000)、ヤン・シュヴァンクマイエル『オテサーネク』(2001)、ペトル・ゼレンカ『悪魔の年』(2002)、ウラジミール・モラーベク『ブルノの退屈』(2003)、オンドジェイ・トロヤン『ジェラリ』(2003)、ヤン・フジェベイク『ホレム・パーデム』(2004) 2008年 7月26日〜7月31日 ぴあフィルムフェスティバル「巨匠ミロス・フォアマンの世界」@渋谷東急 『黒いピーター』(1963)、『ブロンドの恋』(1965)、『消防士の舞踏会』(1967)、『パパ/ずれてるゥ!』(1971) 9月20日〜10月10日 チェコ映画週間@シネマ・アンジェリカ ヤン・カダール、エルマル・クロス『大通りの店』(1965)、ミロシュ・フォアマン『ブロンドの恋』(1965)、イジー・メンツェル『厳重に監視された列車』(1966)、ミロシュ・フォアマン『消防士の舞踏会』(1967)、イジー・メンツェル『スイート・スイート・ビレッジ』(1985)、ヤン・スヴィエラーク『小学校』(1991)、ヤン・シュヴァンクマイエル『悦楽共犯者』(1996)、ウラジミール・ミハーレク『セカルを殺せ』(1998)、ウラジミール・ミハーレク『晩秋』(2001) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ※参考 ・チェコ・ヌーヴェルヴァーグに関するWikipedia(日本語):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B0 ・Czechoslovak New Waveに関するWikipedia(英語):http://en.wikipedia.org/wiki/Czechoslovak_New_Wave ・赤塚若樹「ヌーヴェル・ヴァーグ」(『夜想35 チェコの魔術的芸術』収録 p74〜79) ・特集上映「チェコ映画」パンフレット(2005年) ・ヴェラ・ヒティロヴァ映画祭パンフレット(1991年) ・ぴあフィルムフェスティバル2008 公式カタログ *この記事がなかなかよかった!と思ったら、人気ブログランキングにクリックをお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ ![]() ↑ ↑ ↑ ↑ クリックしてね! |
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