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zoom RSS とってもケッコー? 映画『天然コケッコー』

<<   作成日時 : 2007/08/14 06:44   >>

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 映画『天然コケッコー』について考える時、この作品が原作に負っている部分がどこで、そうでない部分がどこなのか、分けて考えたかったので、原作本を探したのですが、結局、新刊書店でも古本屋でもAmazonでも原作本を見つけることができませんでした(品切れでした。唯一、青山ブックセンター六本木店にはコミック版の4巻と9巻と12巻と14巻を見つけましたが、さすがにそれでは手が出ませんでした)。映画は、単に映画として出来上がっているものだけから判断すればいいという考え方もあるので、それはそれでいいのですが、ちょっと確認したい部分もあったんですね〜。

 で、結局、原作は読めないままなんですが、映画を観た記憶もどんどん薄れてしまいそうなので、ここらで感想をまとめておきたいと思います。

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 ◆物語の構造

 映画『天然コケッコー』を評して、事件らしい事件が何も起こらない映画と書いてある映画評がけっこう見受けられましたが、案外大きな出来事が起こっていたんじゃないかと私は考えます。
 それは何かというと、故郷(田舎)というベクトルと、都会(東京)的なベクトルの中で揺れる主人公がいて、主人公はとりあえず現時点では田舎で暮らすことを肯定して、田舎を選択する、というものです。
 「主人公」と書いて、「そよ」と書かなかったのは、これはそよに限らず、大沢くんにも当てはまるからで、どちらも田舎と都会の間で揺れていたのが、物語の終わりでは田舎を選択することにしたということです。
 そよにとっては、大沢くんと彼が住んでいた東京、および雑誌の中の世界が「都会」だったのですが、大沢くんがじっちゃんの孫であることを知ったことから徐々に大沢くんと都会は切り離されていき(身近に感じられるようになり)、「キス」や「ジャンパー」や「秋祭り」といったエピソードを通して、大沢くんは東京を象徴するような「外(よそ)」の人間ではなくなり、また修学旅行を通して、都会への素朴な憧れも消えて、故郷で暮らす自分を肯定的に受け入れられるようになります。
 一方、大沢くんには、都会への分かちがたい気持ちがあり、東京の高校を受験することで、「東京を選択する」こともできたのですが、最終的には田舎、というか「そよと一緒にいること」を選択します。
 後で、少し触れますが、本作はいろいろしっくりこないところもあるんですが、それはそれとして、本作のすべてのエピソードは、「『田舎』と、『田舎で暮らすこと』を肯定すること」というテーマに収斂していきます。
 この映画を観て、「よかった」と思えるのは、「田舎」を象徴しているそよちゃんと舞台となっている町の暮らしや自然が共感を以て描かれ、最終的に肯定されるからで、それが気持ちいいからなんですね。そのためにはそよちゃんはどこまでも純朴で優しくけなげで、ホッとさせてくれるような存在でなくてはならず、背景となる自然もどこまでも美しく包容力に富んでなければならないのですが、夏帆ちゃんも舞台となった浜田市もそういう意図を見事に実現しています。

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 「田舎と都会の間で揺れる」ということに関しては、実は映画『天然コケッコー』では二重三重構造になっていて、そよの父を中心とした、そよの母(田舎)と美都子さん(都会)という3人の関係が、子どもたちの関係の二重写しになっています。一見そよちゃんたちの物語には直接関係なさそうな、お父さんの浮気疑惑ですが、物語全体を構造化するのに大きく貢献しているということになります。

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 そよの同学年(もしくは1つか2つ上)に別の男子がいたら、大沢くんを介して、より田舎対都会の対比が明確になったかもしれず、その時、そよと大沢くんの関係はどうなっただろうか、と私は考えてみたのですが、ひょっとすると、その「男子」の役割を原作ではシゲちゃんが担っていたのでしょうか。映画では、シゲちゃんのポジションがよくわからなくもあり(年齢も不詳だし、怪しすぎる!)、これも原作で確かめてみたいことの1つだったのでした。

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 ◆単線的な構成

 この映画に関しては絶賛が多く、実際に年末の映画賞レースに大きく関わってくることにもなると思うのですが、必ずしも絶賛ばかりが囁かれているわけではないというのは、いくつかのブログを覗いてみればすぐにわかります。

 賛否両論があるのはどんな映画でもそうだろうと言われれば確かにそうなのですが、本作の場合、好みの問題とはちょっと意味が違うように思います。
 というのは(素晴らしい作品だし、稀有な作品であることは私も認めるんですが、)私にも、何だかしっくり来ないと感じさせる部分があるから、なんですね。

 それがどこからくるのかということを考えながら、この映画全体を何度も反芻する中で、おぼろげに見えてきたのは、この映画の中で描かれるそれぞれのエピソードに“オチ”がない、ということでした。
 お父さんの浮気に関するエピソードにもオチがつかず、バレンタイン・デーのエピソードにも「それでどうなった」というリアクションがまるでなく、唐突に明らかにされた「シゲちゃんの恋」にも“その後”は示されず、「そよちゃんが大沢くんと“つきあってる”こと」がみんなに知れてもだからどうということもない。そよちゃんと大沢くんは“チュー”はしたけれどその次のステップに進むこともなく、“進路の決定”が2人の仲を裂くように見えて一瞬緊張が高まるけれど、その緊張は何事もなかったようにあっさりと回避されてしまう。自分は知らず知らずのうちに他人を傷つけているのかもしれないとそよは気づくけれど、その後その気持ちに対してそよは特に行動を起こすことはないし、それがそれ以上展開することもない……。

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 考えてみれば、この映画の中で描かれるエピソードは一事が万事こんな感じで、ホントにあっさりとしているというかなんというか、1つのエピソードが別のエピソードと結びついてふくらんだり、物語が結末に向かってどんどんエモーションを高めていくということがないんですね。

 原作があるから原作がそうなのかもしれないし、そもそも日常生活で起こる出来事には必ずしもオチがあるわけではないから、この映画もそういう現実を反映させていちいち安易なオチをつけなかったのだとも考えられます。でも、普通の映画だと、1つ1つのエピソードに対し、これはこれで終わったなと感じさせる“しるし”が必ずあるものです。

 考えてみれば、山下監督の『リアリズムの宿』だって、エピソードがタテにつながっているだけの映画で、物語が結末に向かってカタルシスを高めていったりはせず、無目的的な旅に劇的なことが起こるわけでもなく、淡々と物語は進み、旅の終わりとともに映画もまた終わる、という構成になっていました。
 ひょっとするとこういうスタイルやとぼけた味わいこそ山下作品の持ち味なのかもしれないのですが、どうなのでしょう?
 『リンダ リンダ リンダ』の場合は、文化祭という結末に向かってどんどん進んでいく物語なので、最後にちゃんとしたカタルシスがあるのですが、『リンダ リンダ リンダ』だけが例外的な作品ということになるのでしょうか。

 そういう意味でも原作を読んで、こういうところは原作ではどうなっているのか確認したかったですね。

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 ◆大沢くんの微妙なポジション

 この映画が自分の心に映し出すイメージ、あるいは感情の起伏をたどっていくと、どうも大沢くんの印象が曖昧にぼかされていることに気づきます。
 「おしっこ、触った手でデザート触られたくない」とそよに言って、彼女の心をシュンとさせたかと思えば、海まで行くのに「2人きりになるかと思った」と言ってドキドキさせ、大事に思っているような素振りを見せながら、「キスなんか握手と変わらない」と言って、そよちゃんのファースト・キスを奪おうとする。田舎のみんなと馴染んだように見せながら、密かに東京の高校に進学してみんなを裏切ろうとする。
 彼がどんなにそよちゃんに親切にしても、こう度々裏切ってしまうのではどうにも信用ならない感じがしてしまうんですね(そうは言っても、ほかの男にどうにかされるくらいだったら、もちろん多少は気心が知れた大沢くんの方が安心できるからいいに決まっているのですが)。

 悪い言い方をしてしまえば、そよちゃんが大沢くんと付き合うということは、田舎(の女)が都会(の男)に陵辱されるということでもあって、―それは、まさにそよの父が心に抱くイメージそのものなんですが―、映画では、大沢くんの失点をその後で完全に挽回させるような見せ方をしていないようにも思えるんですね〜。カメラが「そよちゃん(夏帆ちゃん)、かわいい」と感じているのは伝わってきますが、大沢くんに対してはそれがありません。少なくとも、そよちゃんの大沢くんに対する感情(の浮き沈み)は、物語上やナレーション以外では伝わってこなかった(つまり、カメラを通して観客に見せるというようなことはなかった)ように思います。ひょっとして、監督の夏帆ちゃんをいとおしく思う気持ちが働いて、岡田将生くんから夏帆ちゃんを遠ざけたい、守りたいという心理が映像に表れてしまったと、考えたら考えすぎでしょうか(ちなみに、監督の前々作は『くりいむレモン』だったわけですが(笑))。

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 ◆感想をもう少し

 ・「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」というのが、本作で最も重要なメッセージであり、このモノローグがよかったと指摘している映画評が多々あるわけであり、一瞬私もそう思ったんですが、私の場合は、次の瞬間にちょっとひっかかるものを感じてしまいました。

 で、そのひっかかりが何に起因するものかと考えてみたんですが、この台詞(あるいは気持ち)って、前に向かって走り続けている若い人たちは考えないようなことだから、なんじゃないか、というのが私の結論です。どうも、この台詞には、大人が後から考えて、取ってつけたことのような匂いがして仕方がないんですね。
 たとえ、中学生であっても、卒業が近くなって、みんながバラバラになる、もう一緒にいられないと感じれば、切なく思ったりはしても、それをこんな風な言葉で明確に理解したりはしないと思うんですね。子ども目線で描いてきた映画なのに、ここに来て、急に、大人から見て子どもはこうだろうと感じさせる視線が入ってきた。だから、私はちょっと違和感を感じたんだと思います。

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 ・また、この台詞(「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」)は、本来なら、言葉にしないで、映像で伝わるように表現すべきだと思うのですが、どうでしょうか。原作にはこの台詞がそのまま載っているのでしょうか?
 ちなみに、最近の映画でそれを映像で見せたのが、映画『青空のゆくえ』でした。
 ここ最近なぜか、私の書いた映画『青空のゆくえ』の記事のアクセス数が増えているのですが、『天然コケッコー』と何か関係あるのでしょうか。

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 なんだか、あまりうまくこの映画に関する印象をまとめられた気もしないのですが、何回か続いた『天然コケッコー』からみの記事は、とりあえずここまでとしたいと思います。

 *
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 *当ブログ関連記事
 ・映画『天然コケッコー』 リンク集
 ・映画『天然コケッコー』に関するトリビア
 ・夏帆 in 「You and Me」
 ・原作を読んで

 *おまけ:予言!

 1.山下敦弘監督は、2〜3年以内に東宝系もしくは松竹系、東映系、いずれかの拡大公開系の作品を任されることになるでしょう。あるいは、もう既に依頼されているかも?
 
 2.夏帆ちゃんは、1〜2年以内に、連続ドラマの主役もしくは準主役、あるいはスペシャル・ドラマの主演を演じることになるでしょう。

 3.夏帆ちゃんと山下監督は、今年の年末の映画賞で何らかの賞を獲るでしょう。厳密には夏帆ちゃんは今年の新人ではないけれど、どこかの新人賞をもらうかもしれません(新人賞の定義は曖昧なので)。ライバルは今のところ成海璃子ですね。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。

「別冊くらもちふさこ」管理人のPrinceと申します。

これだけ映画に正面から向き合っておられる方に
映画「天然コケッコー」を評価していただき
大変うれしいです。また、感想も非常に的確かつ
鋭いもので、興味深く読ませていただきました。

原作、無いですか・・・
集英社、アホですね。。くらもちふさこの作品を
メディアミックスで販促できるチャンスなんて
これが最初で最後かも知れないのに。
おそらく、増刷の見込み違いで予定以上に売れ
ちゃったんだと思います。

一年前にこのマンガの映画化を聞いた際の
原作ファンの感想は
「そんなの、ありえねえ!!」(笑)
このマンガが映画なんかに出来るわけがない!
と、思っていました。

是非とも原作読んでいただいて感想を聞かせて
もらえれば、と思いますが・・。

ただ、原作を読まれたとしても疑問点は解決
しないかもしれません。ただ、それ以外の
理由でその疑問点は納得していただけるような
気がします。

Prince
URL
2007/08/14 10:51
Princeさま
コメントありがとうございました。
有楽町の三省堂でようやく原作をゲットしました。とりあえず4巻まで。
ここは『DEATH NOTE』を揃えたところでもあって、ほとんどサラリーマンばっかりの店なのに、コミックもある程度揃えているので、そのギャップから、ほかでは手に入らないものが手に入ったりするんですね。
で、1巻から読み始めたんですが、映画よりもそよちゃんの主観が強くて、女の子たちの内緒話のような印象を受けました。少女たちが男の子や大人の世界を少しずつ知っていく話というか。
少女マンガは初めてではなかったんですが、これは全然大丈夫でした。スラスラ読めます。5巻以降も買っちゃいそうな予感もしますね。
DVDには、特典で、そよちゃん以外のサイド・ストーリーを収録して欲しいような気がしますね。撮ってあるかなあ。あっちゃん編とか面白そうなんですけど。
umikarahajimaru
2007/08/14 20:01
「映画でこれほど深く読み取っておられる方が」と、Pさんにお知らせしようとしたら既に(笑)という事で、便乗させて下さい。

しかし、ほんと集英社はアホですね。ドラマ放送の原作は平積みのくせに、こんな良作を売らずにどーするですよ(笑)

>疑問点
Pさんと同意です。はっきり言ってしまうと、それが作風と言うか、それが天コケの、作者の魅力でもあります。
なので白黒ハッキリさせたい向きは敬遠する傾向がある様です(^^;)
こと天コケは、くらもちさん自身「わざと盛り上がりを避けた」的な事を、どこかで仰ってました。

>もうすぐ消えてなくなる
原作でもそれに近い事は言ってますが、仰る様に「言葉にしないで、映像で伝わるように」漫画で巧みに表現されてたと思います。

そもそも中学・高校編を合わせて「もうすぐ消えてなくなる」が最大にイキると言うか…なのであの言葉は脚本の渡辺さんが上手く導き出した言葉なのでしょう。
本来、中・高編があってあの世界なわけですから、些か無理が生じるのは仕方無いですね。それでもやはり映画は素晴らしいと思います。

長文、失礼しました。
N耳
URL
2007/08/15 12:14
N耳さま
レスが遅れてしまいましたが、コメントありがとうございました。
映画『天然コケッコー』を観て、絶賛の声も多いわけですが、そんなに面白くもなかったという声もあり、その一方でどうして「そんなに面白くもなかった」と感じたのかについて考えて書いてある感想はほとんどないようなので、その理由についてちょっと考えてみた、というのが上の記事ということになります。
『天コケ』ファン、くらもちファンからは総スカンを食ってしまうかもしれないと思いつつ書いたんですが(笑)、まあ、冷静に受け止められたようでうれしく思います。
原作はなんとか手に入れて、別の記事にその感想をアップしたので、よかったらそちらも覗いてみてください。
umikarahajimaru
2007/08/19 19:31
>この台詞には、大人が後から考えて、取ってつけたことのような匂いがして

同感です。
本作の中で、最も気になるセリフでした。説教臭い・・・。
マダム・クニコ
URL
2007/09/17 23:52
マダム・クニコさま
TB&コメントありがとうございます。
いや〜、「臭い」かもしれませんが、「説教臭」くはないのでは?(笑)
umikarahajimaru
2007/09/18 20:48

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